the14th-moonさんのブログ

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YUMINGの新譜(といっても、3月に発売の 分ですが)を購入。『恋をリリース』・・・ タイトルやっちゃってますね(^_^;)彼女にし ては珍しい(初かも?)モータウンSound。 「ちゃちな指輪でもうれしくて太陽をかざし てたある日セーターにひっかけて宝石だけな くしてた何にこだわってたのかしらこぼれ落 ちた涙と笑いはじけた時だけが瞳の底に残っ た」というエピソードはYUMINGらしい。ヒ ロインの純粋さと、ひたむきさを表現しつつ さびの「ずっとかっこつけててねもっと素敵 になってねちょっとマジメになって誰か愛し てきっとキライになれないそっとしまってお きたいだってみじかくても夢中だった人」を 浮き上がらせています。 カップリングの『夜明けの雲』は一転して大 人のバラード。「銀細工のフォトフレーム空 映す窓よりも遥かな影」一瞬の情景を短いセ ンテンスに凝縮。聴き込み系バラード。全
然 違う2曲ですが、ある女性がティーンズのエ ピソードが、『恋をリリース』その女性が晩 年の心境を綴ったのが『夜明けの雲』という のは、深読みのしすぎでしょうか。「めぐり めぐる季節いくどやって来てもこの想いは死
ぬまであなたさえも消せないめぐりめぐる季 節どこへ流れゆくのただひとつの灯何があっ ても消さない」というフレーズが、『恋をリ リース』のエピソードだったら、面白いんですけどね。

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満開だった桜もあっという間に葉桜になってしまいました。
本当に桜の時期は短いですね。
満開だった桜がひらひらと散っていくのは又、風情があります。
桜はこれから又、巡りくる春にむけ、ゆっくりと力を蓄えていくのですね。
桜を愛でて季節を感じる。
日本人で良かったなって思う瞬間です。


経(ふ)る時

窓際では老夫婦が ふくらみだした蕾をながめてる 薄日の射す枯木立が 桜並木であるのを 誰もが忘れていても 何もいわずやがて花は咲き誇り かなわぬ想いを散らし季節はゆく

二度と来ない人のことを ずっと待ってる気がするティールーム 水路に散る桜を見に さびれたホテルまで

真夏の影新緑に ペンキの剥げたボートを浸し 秋の夕日細く長く カラスの群れはぼんやり スモッグの中に溶ける

どこから来てどこへ行くの あんなに強く愛した気持ちも憎んだことも 今は昔 四月ごとに同じ席は うす紅の砂時計の底になる 空から降る時が見える さびれたこのホテルから

by YUMING
橋下市長の小中学生の留年制度が物議を醸し出す昨今。
問題は留年うんぬんではなく、長らく迷走を続ける教育方針が問題なのかと。
戦後、高度成長時代はモデルがはっきりしていた。良質な労働者を産み出す。目指す方向も、一流大学→一流企業、とりあえず安泰みたいな。
しかし、長らく続く景気低迷の中、大人が子供にどういう大人になって欲しいというビジョンを示せなくなった。
元来、義務教育は国家が将来の国家を担う人材を育てる基礎を施している。
本来、教育方針=国家の目指す方向でなくてはいけない。
しかし、国家自体が方向性を失っている。
当然、教育方針は迷走する。
教育方法は考えず、ただ単にカリキュラムのボリュームを落としただけのゆとり教育もさいたるものの一つな気がする。
人生学力だけではないし、いろいろな道もあるし、才能を潰してはいけない。
でも、どの道に進むにせよ、必要だと位置付けられているのが義務教育。
もちろん、その知識自体使わなくても、ある一定の考え方、枠組み、そして、それを習得するための努力や、試行錯誤は必要だと思う。
ただそれが単に留年せ制度を導入することなのかは疑問である。
最低限の教育に施し、意欲あっても他人のペースでは習得出来ない子供を救うのはほかに方法があるはずだし、どの前にどういう人材を育てるのかというビジョンと、習得するための方法論ももっと議論されるべきだと思う。
留年制度はみせしめ的な制度になりやすい。
懲罰や、みせしめは教育といえるのだろうか?
なぜそれを習得する必要があるかを考えず、大人に言われたから疑いもなく、それを受け入れているだけの人間を育てるのは理想なのだろうか。
それを習得する必要を感じさせる納得感を育て、自らその道を進めるように後押しをするのが教育ではないだろうか?
そのためには、どういう大人に育って欲しいという明確なビジョンが必要な気がする。