■スピリチュアル・ケア    (wikipediaより)



概説


なぜ生きているのか


何のために生きているのか


毎日繰り返される体験の意味は何か


「自分はなぜ病気なのか」


「自分はなぜ死ななければならないのか」


んだあとはどうなるのか」


人間 に生まれ、人間として生きているということはどういうことなのか」


などの問いは、人間誰しも抱えている。



スピリチュアルケアというのは、

こういった問いに真正面から対面し、

探究し、健全な解決へと向けて、絶え間なく働きかけることである。



人は、誰でも、元気なときでも、

何かしら「スピリチュアルケア」を必要としているという。


ましてや、病気になったとき、

どうにもならない困難と対峙したとき、

死に直面しているときなどは、なおさら、

適切なスピリチュアル・ケアを提供してもらえることは、大きな救いとなる。


ところが、現代西洋医学というのは、


「APPARATE MEDIZIN(機械医療)」、


つまりハイテクノロジー重視の医療へと変化してしまったため、

もはや西洋の古来の伝統的医学とも異なったものになってしまっており、


また現在も用いられている各文化圏の

伝統医療 とも異なったものとなってしまっており、


現代西洋医学の従事者の多くは、

病んでいる人のスピリチュアル・ニーズや、

その切実な叫びを理解できなくなってしまっているという。


おまけに、現代社会全体が、

若さ・バイタリティー・美などばかりを高く評価

それに言及することが多い一方で、


苦しむこと・病気の状態を生きること・

死ぬこと・宗教的なこと

といったことがらについては、

普段、十分に考えたり言及しない傾向や、タブー視する傾向がある。


しばしば病は突然やってくるものであり、

そのような場合、人はスピリチュアルな痛みを感じつつ、

「自分は何のために生きているのか」

「死んだあとはどうなるのか」

といったスピリチュアルな問いを行う。


臨床スピリチュアル・ケアはこういった場で生まれている切実なニーズに応えている。


スピリチュアルケアは、

身体的ケア・精神的ケア・心理的ケアにまさっているともされ、

また、人間の究極的なケアともされる。



飯田は、スピリチュアル・ケアとメンタル・ケアとの違いは、

メンタル・ケアが「とにかく大丈夫ですよ」などと答えをあいまいにしたままであるのに対して、


スピリチュアル・ケアにおいては

「人生についての根本的疑問」に

 理路整然と回答し、

 納得を得る必要があること」だとしている。



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(このwikipediaの説明、とても分かりやすいです。)



「なぜ」という問いが大事なのでしょう。




「なぜ生きているのか 」


「何のために生きているのか 」


「毎日繰り返される体験の意味は何か 」



「哲学的な・・・」、などの理由で敬遠されそうな問いですが、

誰しも一度は考えたことがあるはずの問い。


このままの自分で、本当にいいのだろうか?

なにか足りない、どこか虚しい。

それなりには楽しいけれども、心の底から楽しめない自分がいる・・・。




「自分はなぜ病気なのか」


「自分はなぜ死ななければならないのか」


病気で苦しんでいる人、

特に不治の病で辛い思いをされている人は、

考えずにおれないでしょう。



「死んだあとはどうなるのか」


自分は、これからどうなるんだろうか・・・。

将来と言えば将来、

未来と言えば未来。


自分の行く末が気にならないはずがないと思います。


どんなに、この世のことで悔いがなくなっても、

これだけは如何ともしがたい、真っ暗な未来。


この不気味な不安、目をそむけることのできない、

恐ろしい問題な気がします。




「人間に生まれ、人間として生きているということはどういうことなのか」



人間に生まれてきて、本当にこれで終わってしまって後悔はないんだろうか?

何か足りない気がする。

けれども、その何かは分からない。。。


漠然とした不安が心を覆い、

正体不明の後悔が襲ってくるのではないでしょうか。



誰にもわかってもらえない

自分でも、その自分の問いに答えられない。


誰も助けてくれない、底知れない寂寥感に襲われ、

たった独りで、この孤独に耐え続けなければならない。






正直、いまだに「スピリチュアル」という言葉のイメージが宜しくないのですが、


内容は、きわめて大事だと思います。









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