医療崩壊の根っこには、


死生観の変容がかかわっている、とのことから、


以下、かつての日本人の死生観、人生観についてです。




芥川龍之介は、侏儒の言葉に次のように書いています。




「我我の生活に欠くべからざる思想は、

  或は『いろは』短歌に尽きているかも知れない」



色は匂へど 散りぬるを


我が世誰ぞ 常ならむ


有為の奥山 今日越えて


浅き夢見じ 酔ひもせず




「色」とは、綺麗な色。

転じて、綺麗な花を指します。

日本の代表的な花といえば、桜。


「匂ふ」とは、

感性を刺激する、

心を楽しませてくれる、ということから、

花が綺麗に咲き誇って、

思わず顔がほころぶような、

幸せ一杯なイメージですね。


視覚的な「色」と、

嗅覚に訴える「匂へど」を重ねる豊かな感性、

五感をフルに使って自然を感じる心の深さ、

そしてそれを言葉にしてしまう表現力の緻密さ、

ぜひ見習いたいものです。


日本人(日本語)ってすごいなぁ、と

嬉しく思えるひと時です。



侏儒の言葉 』には、こんな言葉もあります。



「文章の中にある言葉は


 辞書の中にある時よりも

   美しさを加えていなければならない」


さて、いろは歌。




色は匂へど 散りぬるを


我が世誰ぞ 常ならむ


有為の奥山 今日越えて


浅き夢見じ 酔ひもせず



今は、どんなに綺麗でも、

やがて必ず、衰え、散る時がくる。

儚いものの代表として、桜がよく歌われます。


そういえば、

【儚い】という字は、【人】の【夢】と書きます。


今の若さも、健康も、衰える一方。。。

一日一日は変わらないように感じても、

刻一刻と変化し続けてるんですよね。


常ならぬ、コロコロ変わる楽しみ、喜び、

そんなのばかりを求めて、

あとで振り返って、

「昔はそんなことに夢中になってたっけなぁ・・・」、

くらいにしか思えなかったり。

思い出にふけって、寂しくなったり。



「変わってしまう」というのは、

切ないというか、悲しいことです。



そんなことばかりの人生でいいのか?


そんな自分に満足できるか?


今さえ楽しければ、まあ、それでいいや、

今有るもの(状態)が続いてくれれば、それで十分、

と思いがちな自分。


そして問題が起きてから慌てて対処することの繰り返し。


新たな一歩を踏みだし、

今までの自分を乗り越えよう!


そう、問いかけているように思います。



浅い夢みて、現(うつつ)を抜かし、

寝ぼけた生き方してないか?

嫌なことからは現実逃避したいと、酔っ払って、

やるべきことも忘れてるからこその楽しみでは、

我にかえったときに大変です。


病気になって初めて、

自分の人生を振り返る人が多いのは、

逃げられなくたって初めて、

「死」という現実に向き合うからでしょう。


いつまでも続くと思っていた健康が、

実は儚いものであり、

健康でいられることは、

決して当たり前ではないと

思い知らされる時があります。


「これからどうなるのか」

迫りくる未来に、不安を覚えないはずがありません。


健康な人も、医療者自身も、

死と無関係な人はいません。


では、その現実に向き合っているだろうか。

目をつむっていないか。

顔をそらしていないだろうか。


ちゃんと目を開けよう。

はっきり目を覚まそう。

現実を直視して、

悔いのない人生を送ってくれよ。



一言一言を考えながら読んでみると、

意外に深いメッセージが聞こえてくる気がします。





ちなみに、いろは歌は、

仏教の言葉を表現されているらしいです。



諸行無常(諸行は無常なり)

是生滅法(これ、生滅の法なり)

生滅滅已(生滅滅し已わりて)

寂滅為楽(寂滅を楽と為す)







諸行無常といえば、平家物語です。



 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。


次回、この平家物語を【英訳】から学んでみたいと思います







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いろは歌といえば、これ。





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