五輪・高校野球考~アマチュア精神と商業主義~ | ビハーラ21事務局日誌

五輪・高校野球考~アマチュア精神と商業主義~

日本国中が熱狂した(であろう)五輪と高校野球が終わりました。

特定「非営利」活動法人(Non Profit Organization)の事務局運営を担う僧侶の僕としては、一言記しておきたいと思います。

◇ ◆ ◇ ◆

一部は違うかもしれませんが、多くのアスリートのインセンティブ(誘因)は「金銭」と違うでしょう。

「金メダル」という至極の「達成感」を得る為、すべてを犠牲にして競技に賭けているのだろうと思います。

そして、人間の極限まで鍛え上げた「力と技」をTVを通して世界中に配信し、人々を魅了しているのが五輪の姿でありましょう。

その陰では、運営に莫大な金銭が動きながらも、無償で働くボランティアが万の単位でいるという驚くべき事実もあります。

高校野球も本質は同じです。

「高校生らしさ」という「純度」を保ちながら、相手に「勝つ」という離れ業をやってのけるのが球児たちであります。

「教育の一環」と称するなら、いっそのこと、運営も高校生にやらせてみたらどうでしょうか?

都道府県を代表する「商業高校」が、それこそ血眼になって「地元にいかに金をもって還るか」を競ったら、メチャクチャ興奮すると思いますね。

OE(オーバーエイジ)で、その高校の卒業生、商学部に通う大学生なんか入れたら、なお盛り上がるかもしれません。

◇ ◆ ◇ ◆

そんなひねくれた事を考えながらも、事務局としての仕事をしなければなりません。

「ビハーラ活動」も、「ボランティア精神」だとか「純粋な仏教者」とかいろいろな理想論を持ち込まれます。それを整理していくもの僕の仕事なんですが、ある程度の方向性は定まっております。

僕の示す方向性は、
「医療従事者・介護従事者のスピリチュアリティを刺激し、医療・福祉サービス利用者及び家族の精神的利益を増やすことを目的とした社会事業」
であります。

TVの向こう側にいるアスリートや球児たちに「純真さ(スピリチュアティ)」を刺激され、そこには「商業主義」にまみれたモンスターの存在を充分理解しながらもその罠(スキーム)にはまっていく、およそ人間とはそういう生き物であります。

煩悩を忌み嫌うのではなく、それを認めながらも「浄土へ生まれることを願う」のが真宗ではないでしょうか?

それは、けっして矛盾ではないことを、事業を通して訴えていきたいと思います。