テムズ河の潮汐を眺めつつ
今札幌です。昨日38度9分の熱が出て病院に行き今日も大人しくしています。綱渡り旅行中。パスワードを最近変更して思い出せずPCで更新できない。スマホだととても遅い。途中抜けてる分はおいおい書きます。

12月30日
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コーヒーテーブルの修理

緩和ケアの勉強

ミダゾラム(Midazolam)

 

 

 しかし、なるべくコミュニケーションができつつ苦痛を取ることを目指して、最近の鎮静は「間欠的に」(必要な時だけに)あるいは「浅く」(呼べば起きるくらいの状態を目指す)行うことから始めることとされています。持続的鎮静だけの施設がまだあることは少々残念なことで、より正しい鎮静の知識の普及が望まれています。

 

坐薬の鎮静薬

 

2014年6月26日
yomiDr.記事アーカイブ
鎮静(2)モルヒネでも取り除けない最終末期の苦痛に

 

https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20140626-OYTEW62530/

 

弥生、大好きだよ

こんにちは。弥生の夫の透です。これを読んでいる皆さんの中には、まだ悲しいお知らせが届いていない方もいるかと思い、このメッセージを書きます。

弥生のブログを読んでくださっていた方は、日本滞在中に弥生のがんが背骨全体に転移してしまい、青森で入院することになったこと、その後ロンドンに戻って入院生活を送っていたことをご存知かと思います。その後、弥生の容態は悪化の一途をたどり、昼夜、家族が付き添ってケアにあたっていました。

本当にお伝えするのが辛いのですが、弥生は2月4日(月曜日)に永眠しました。日本から訪れていた両親と妹を含め、家族皆に囲まれ、痛みを感じることなく迎えた最期でした。

それからの日々は堪えようのないほど寂しいものですが、同時に、日本・英国を問わず、友人や同僚、そして家族と、どれほど多くの人たちに弥生が愛されていたのかを改めて知り、救われています。

弥生と私の結婚生活は20年に及びました。毎日、弥生が恋しくてたまらない。弥生と結婚してから、私の弥生への愛は年々深まっていたけれど、その想いは今後も変わることはありません。

このご報告で驚かせてしまい、またお知らせが遅くなってしまい、すみません。

弥生、みんな君のことが大好きだよ。

これも幻覚症状?

ただの日記も毎日1件は記録していないと何があったかなんてすぐ忘れてまう。病院が実際にあるのは緑深い丘の上でロンドンの素敵な郊外が始まる。

所が就寝前に夜中の投薬とお世話の人がローズマリーとビバリーという名前の看護師さんにのチームですよと知らされた。私の頭に典型姿が出来ちゃった。

夜中に起きると私の病室のの外はなぜか60年代アメリカにいそうな観光客姿の人が居て、ここはアメリカ?日本?私はお世話について日本語で話したんで良い?!

余命の宣告

どこかの会議で主治医のDr. Mとは会えなくて代わりのDr. Hと今後の治療について相談した。

1 余りに進行しているのでこれ以上の抗がん剤も免疫剤治療も無い。

2余命は一ヶ月。死ぬ前にお風呂に入りたい。

3 最後のケアをどこで受けるのから
きめる。

今日の体調
基本は食住全部ベッド上で。デイケアのサービスについて調べる。

Mさんという看護師に何度も低姿勢にあやまられた

この日の朝に直接Mさんへ。おむつ変更の質の低さに苦情を入れた。血痰のナースコールへの反応の遅さも。

下の世話に使う拭き取りワイプをベビーサイズので良いから持ち混んで欲しいとMさんに言われた。お湯で洗うのだって私からから注文してたらやってたし。
  ナースコールで無視されてもめげないで押し続けてと。忙しい朝だったと、そうなの?私にとり原因不明の呼吸困難では限界だったえ。せめて血痰ンの様子は大丈夫と確認してくれてたら。その後の治療待ちもよオムツ替えも心落ち着いて待てていたはずよ。血痰の付いたティシューに囲まれ放置をされてパニックにになりついに透か緊急番号にかけようと思っていた程だったのに。

この日途中からAさんは急に妙に腰低くなった。部は違うお見舞いに来てくれるがん治療部門看護師さんに愚痴ちってたらかな。後で知ったがその看護師さんは看護師長さんだった!

体清拭の後また下の世話。Aさんはまたイマイチ。でも正しい方向には向かっている。教育係りにはなれない。トレーニングビデオ見て。

残りも日も安静のまま。血液検査でまだ血小板もヘモグロビンも低いと出る。熱も上下するので抗生剤の点滴を受けている。午後から香蓮と透のお見K舞い。

という状態。おかげさまでロンドンに戻って初更新。まだ病院にいて最後に風呂にいれてもらったのは7日前、

なんとか青森東京ロンドン旅程をこなす

 
どうしても食欲がわかずに、全食とも少量にして済ましている。お通じも昨日1、2度しかなかったので下剤等の量を元に戻した。

コルセットはベッドにいる間は胸の部分を緩めて呼吸しやすくしている。

毎日39度から38度の熱が出る。
  
今朝の回診で主治医の先生Sさんから「いよいよ今日だね。ちゃんと手配できているようだからがんばってね。でも無理だったら戻って来て良いんだよ。」って。最後の1行がそう優しくて涙腺崩壊してた。

Aさんが探してくれた病人移動サービスの概要は以下の通り。Fさんという女性看護の迎えを得て青森の病院とさいごのギリギリの投薬をしてから、新青森駅、東京駅経由で最終的に羽田空港国際線乗り場まで案内とチェックイン代行をしてくれた。ほぼ全行180横になったまま。

ハイライト1
新青森の駅のエレベーターのストレッチャーのまま車両内に入れた。でもわたしを仰向けのまま移動する心づもりの人は誰もおらず。そこで気合いで座り姿勢から座り姿勢で移動。多目的室に贅沢は期待をしていなかった。でも簡易枕と 毛布は期待してた。Fさんが手持ちの物でなんとかしてくれた。私は「もうこんなに苦しいのに大丈夫?」とパニックに。それでもFさんに私のを手を握って貰い落ち着きをとりもどしたえ。

ハイライト2
投薬の管理もお願い出来た。病気でパニック中の本人の私自ら、または日本語がおぼつかない透ではいくら頑張っても無理があった。

ハイライト3
東京駅に社長さんのSさんがいらした時はとても嬉しかった。トロリーからトロリーで仰向けのままで移動できた。それに喜びを感じる程の具合の悪さでおしゃべりに出てこれなくてごめんねえ。ちらっとでも会えて嬉しかった。
  

子ども達はエアフランスで一足先にイギリスへ

透が子ども達(先の記事では赤ちゃん達と呼んだ。2人も家の中での赤ちゃん扱いは大好きなのだ。)を新青森駅に連れて行き新幹線に乗せた。
  そこからはAさんが私の高校時代のお友達に連絡を取ってくれて彼女達のお世話に
なった。Sちゃん、S重ちゃん、Mちゃん、ありがとう。
  絶対に行き違いが無いように東京駅の新幹線の到着プラットホームで待ち合わせ、そこから羽田空港国際線ターミナルまで移動。レンタルしていたWifiを返したり飛行機会社でのチェックインに同行して貰った。
  ランチはモスバーガーでその何が魅力といえばぶ厚めのトマトなのにさっさと外す奇行もしっかり目撃されていた。

お友達や子ども達自身からのアップデートのお陰で私と透は心安らかに最終調整ができた。

室内トイレを使うにも必ずコルセットをつけて大事に過ごしている。コルセットをつけたついでにマスクも付けて最上階へ行った。車椅子で押されてたった30くらいなのに息が切れるのが心配。
 
散歩から戻って来てからは、うたた寝と戦いながら又吉直樹の『火花』を読んでいた。せっかく子ども達が院内図書館から借り出してくれたし面白いし。それでも薬の力には負ける。今の感想は単純に好きだった。井の頭公園で散歩って自分の青春時代もそこだったから。

バイバイ、かわいい私の赤ちゃん達

朝食後に病室内のトイレを使ってみた。転んで余計な怪我をしないように看護師と一緒に酸素ボンベと導尿管とバッグには繋いだままで。立ち上がるのに相当なエネルギーが必要だった。
  予想通りに力む必要もない物が出た後にウオシュレットも完了。でもこの時点で「息が苦しい」パニックと脳貧血が出て気持ち悪くなった。

過去12日間にベッド上のみで過ごし、例え食事時であっても背もたれを45度以上上げるのを禁じられて暮らした結果がこれ。今日中にもう1度でもやろう。

昼過ぎに透と子ども達がスーツケースを持って現れた。主に私の洋服が入った物で復路の洋服を選んだ。  
  子ども達は持参したパンでお昼の後に大、大、大好きなドン・キホーテへ買い物に行った。彼らはストライキでキャンセルになったエアフランスのフライトを明日に動かしてとる。

私と透はようやくJALから登場許可が出たので、出来るだけ早い便を早く予約したいのにクレジットカードの処理に問題あり。でもカード会社が開くまで後4時間も予約を控えられない。便やシートの売り切れが怖い。
  そこで透が英語のカスタマーサービスにかけたら出た発音のきれいな日本人女性のスタッフ、あっさり諦めて通訳を使った。この通訳のレベルが低くてただでさえ長い50分の通話時間がより長く苦痛に感じられた。最終的には電話で手数料を払って予約が出来たのでその点は感謝する。

余計なお世話だが通訳さんは以下の点でトレーニングが要る。1 広く知られている英語名と日本人名を覚える。(私の名前、YayoiをKayoiに間違えたのはある事だろう。でも王族にも一般にも人気で伝統的な名前であるJamesが聞き取れずJanesとか言ってるのはダメ。最初からスペリングアウトしているのに。) 
  2 カスタマーサービス用の丁寧な表現を覚える事。悪気はないのに英語力がないばかりに相手をイラッとさせている。

一安心。

病院から車椅子を借りて始めて院内散歩してみた。ここがみんなが買い物していたローソンかーって。エレベーター脇にある床から天井までの窓も山の景色にも心洗われた。

そしてお別れの時。私も誰も保証できないけど、近日中に戻ってくる私はきっとまだ大丈夫という感触はある。バイバイ、かわいい私の赤ちゃん達!大好き❤。

何が起きるか分からない一日

朝目が覚めても自分がどちらを向いて進もうとしているのかが分かっていない。昨夜その会議に薬の副作用で眠ってしまったから。7時半、とりあえず朝ごはんを食べよう。

透と子ども達はいつも通り昼過ぎに現れた。イギリスには帰りたいけどこちらの主治医の先生の同意を得て帰りたい。酸素ボンベの手配をなーんて話していたら透が「ノ〜」と叫んだ。

なんと私達のエアフランスの12日土曜日の切符がキャンセルになった。キャンセルの理由は職員のストライキによる人手不足。子ども達は私の病気のせいでビジネスクラスにアップグレードした復路を楽しみにしてたのに。
 
悩んだ末にエアフランスの申し出に従い同じ条件で予約を13日の日曜日に移動した。ただし子ども達だけ。透が子ども達と
荷物を新青森駅から新幹線に乗せる。
  東京駅で私の友達が子ども達と待ち合わせて一緒に羽田空港国際線駅まで行く。Wifiレンタルの1セットを返却する。荷物をチェックインしてしまえば彼らは身軽。出国のセキュリティも大丈夫だろう。それとも母親が医療用麻薬摂取中との主治医からの手紙のコピーを持たせようか。
  イギリス側では義理の姉にまず我が家に立ち寄って車の鍵のスペアを入手してから空港での子ども達の送迎をして貰う。

私と透はエアフランスから切符代金の払い戻しを受ける。主治医が最初の予約に関して1番難色を示していた理由は「直行便ではない。」という点。それは私達も同じ思いだった。
  私と透は15日の水曜日の昼過ぎに羽田空港を出るANAかJALのビジネスクラスに乗る。最近では背中の痛みは大分良くなってきたので、時々起きる息苦しさの方が怖かったりする。酸素ボンベの備えはあるのか持ち込めるのかまだ手配中。

因みにこれらの変更や手続きをしているのは引き続きAさんと透。ありがとう。子ども達の東京駅での付き添いに協力してくれるお友達もありがとう!

子ども達が院内図書館から又吉直樹の『火花』を借りて来てくれた。読書する気力が出て嬉しいわ。
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