□NPO法人「ニッポンランナーズ」理事長 

 ■走ることは生きること実感 マラソンを通じて社会貢献

 市民ランナーへの指導や、マラソンの解説で知られる金哲彦さんが、大腸がんの告知を受けたのは4年前。幼いころから走ることが好きで、選手、コーチと立場は変わっても当たり前のように走り続けていた金さんにとって、それは思いもよらぬ出来事だった。しかし病を得て、「むしろ走る喜びを実感した」と話す。(文・飯塚友子)

 大腸がんを告知されたときの記憶は今も鮮明です。小布施(長野県)でのハーフマラソンを終え、帰りの新幹線でワイワイお酒を飲んでいる最中、トイレで大量下血したんです。もう真っ青になって、近所の病院に行きました。内視鏡検査で大腸を見せてもらったら、待合室で見た「これが大腸がんです」って書かれたポスターと笑っちゃうくらい同じ画像が見えた。お尻からカメラが入った状態で、「がんですね、間違いないでしょう」って告知されたんです。血の気が引きました。

 それまでフルマラソンも走っていて、自分の健康をみじんも疑っていませんでした。でも振り返るとその2年前、人間ドックで「便潜血、要再検査」って結果が出て、サインはあった。それを「痔(じ)かな」と無視して、がんを進行させてしまったんです。

 《がんは大腸の外に湿潤していた。進行度合いはステージIIIと軽くはなく、S字結腸を取り除く手術が行われた》

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 手術から1週間後、転移がないことが分かり、執刀医が「奇跡」という表現をしました。そのとき、「与えられた命」という気持ちがした。それまで早く走ることが喜びでしたが、はう状態から始まって一歩一歩足を踏み出すことに生きる喜びを感じました。

 《周囲に心配をかけたくないこともあり、金さんは闘病を公表せず、手術前と変わらぬ仕事量をこなした》

 術後3カ月くらいして、1キロを8~9分でゆっくり走れたとき、本当にうれしかった。手術痕の痛みと、転移や再発の恐怖と闘いながら、どう走ろうかを考えました。

 僕にとってフルマラソンを走ることは、存在意義そのもの、病気に打ち勝つ再スタートを意味しました。手術から11カ月後の平成19年7月、オーストラリアで開かれるゴールドコーストマラソンを走りきれるかどうかが復活の証だと思っていました。

 1年ぶりのレースはこれまで何回も走ったコースなのに、すべてが新鮮でした。最後の12キロは歩いて、ゴールにたどり着くまで5時間42分かかったけれど、走ることは人の本能であり、生きることそのものだと実感した。再びフルマラソンを走れた、またここに戻ってきた、という喜びがありました。

 さらに、昨年11月のつくばマラソンでは、サブスリー(フルマラソン3時間未満)を達成、がんが体のどこに残っているか分からないけれども「完全復活できた」と思えたレースでした。

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 僕は病気をして、むしろ走る楽しさを実感したんです。心臓がバクバク元気に動くのも、筋肉痛もうれしい。生きている証拠ですから。

 《病を得たことで変化した「走る意味」。それをタイトルにした新書を講談社から出版し、病気を公表した》

 僕はライフワークという言葉が好きなんです。ライフには限りがあり、病気で残り時間も少なくなった。でも死ぬまでに何をするか考えたとき、どんな人も得意なもの、好きなものを掘り下げたら、幸せだと伝えたかったんです。

 僕の場合、それが走ることだった。走ることは心の健康にも直結しています。命小野のランニングです。手術後、希望や喜びを得たのも走ることだったし、自信を取り戻したのもフルマラソンを完走したときでした。今はマラソンを通じた社会貢献や、マラソンで鬱病(うつびょう)の人を救う研究も進めています。すべてが走ることに繋がっているんです。

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【プロフィル】金哲彦

 きん・てつひこ 昭和39年2月、福岡県出身。早稲田大学競走部時代、箱根駅伝の山上りの5区で2度の区間賞。リクルート時代は選手、コーチ、監督を歴任。平成13年にNPO法人「ニッポンランナーズ」を設立、市民ランナーの指導や陸上競技の解説で活躍中。今年2月、『走る意味』(講談社)を出版した。

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