ブログネタ:アニメやドラマ「名言」といえば?
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タイトルの前に^^)
アニメもドラマも最近見ていないので、よく分からないんです^^)
最近のドラマを我が家の奥さんが見ているのをちらっと見たら、なんだかとても暗い内容でこれでは景気はよくならないなと思いました^^)
昔見たドラマで好きな名言は「101回目のプロポーズ」で武田テツヤさんが言った「僕は死にません!あなたが好きだから!」ですね^^)
最近は時代劇風で博多座とかでやっていたようなので、見に行きたいなと思います^^)
それではタイトルに戻ります^^)
それでは写真です^^)
朝早く旅館を出て東神奈川駅に行ったんですけど、関東の路線は訳が分からないので、駅員さんに聞いたら「何時の何番線の電車でどうのこうのと説明を受けて、なんとか九段下まで来ました^^)
九段下の駅では前になかったエスカレーターなどあってとても楽に駅を出られました^^)
長い坂をあがるとそこは靖国神社です^^)
すごい実務家で、強い意志を持った大村益次郎が大好きなので、憧れの人です^^)
さて、野良うさぎさんとの待ち合わせまで1時間ありますから、本殿に歩いていくと、「下乗」と札が立ててありました^^)
下馬と同じように降りなさいという意味ですけど普通の神社にはないので、戸惑っていると若い人が数人本殿の方から走ってきて、下乗の札の前で踵(きびす:足のかかとの事^^)を返して一礼して行くのが見えましたから、僕も若い人に習って一礼して手水舎(ちょうずや・てみずや^^)の前に行って、左手を洗い、右手を洗って口をすすいで本殿へと行きました^^)
お賽銭を入れて、2回頭を下げ、2回手を叩いて、1回頭を下げて英霊に日本が良くなる様にとお願いしました^^)
僕へのお土産のお守りを買って美味しいきつねうどんを食べた後、東京とは思えないほど静かで爽やかな風が吹く木陰で、野良うさぎさんとの待ち合わせの前にみなさんと我が家の戦争体験などをお話をしたいと思います^^)
以前ブログで紹介しましたけど、我が家には「征路記念 軍人名誉肖像録 全」という本があります^^)
興味がある方は、「国立国会図書館」の同じ本がありますから、ご一読願います^^)
その中で僕の曽祖父(ひいじいさん^^)が出ています^^)
難しい漢字で書かれていますから訳しますと、陸軍輜重(しちょう:食べ物や弾薬など輸送したりする役目^^)兵軍曹 鉄斎曽祖父
君は明治37年6月2日第五師団第二糧食縦列に属し、出征して6月8日に清国張家屯に上陸し、その時第二戦闘序列に入り、得利寺戦役以来、38年3月奉天付近の大戦闘に至るその間、多くの辛酸(ひどい目にあった^^)をなめ、各地の戦闘に参加するごとに危険をおかして精力的に勇敢にその重責をまっとうした。その功績は偉大です。38年10月に平和になったので39年1月に名誉ある凱旋をした^^)
それで勲七等を頂きました。だから無傷で帰って来ました^^)
その鉄斎曽祖父には子供祖母だけだったから、我が家へ養子に来たのが祖父です^^)
祖父は旧姓三隅と言って、なんでもご先祖様が源平合戦の時に都落ちして、山陰を回り、山口に来たようです^^)
それで、島根県浜田市や山口県長門市に「三隅」という地名が残っています^^)
その祖父は太平洋戦争で陸軍少尉として千葉に行っていたんですけど、肺炎にかかって山口で在郷軍人をしていました^^)
前に、竹やりでは米軍に勝てないと適当に休ませて訓練をさせていたと書きましたけど、祖父は「負け戦はしない」タイプなのでそれは僕と似ているところかなと思います^^)
その祖父は戦後公職追放で教職員には戻れないで、いろんな仕事をしていたようですけど、僕が20歳のときに修養団の人が「祖父にお世話になった」とかおっしゃてまして、いろいろやっていたんだなと思いました^^)
晩年は田植えなどしていましたけど、近所のおじさんが「日本の将来を憂う変わった爺さんだった」と言っていたので、僕は笑って聞いてました^^)
我が家の母親の父親、母方の祖父は太平洋戦争で二等兵として満州に出征して、どうやら将校の日本刀を研ぐ係りだったようです^^)
満州でおしっこをしたら下から凍って来るので、急いでおしっこをしたと言ってました^^)
その祖父が言うには、中国のスパイや反乱した人に墓穴を掘らせて、一人ずつ首を刀で切って墓穴に入れてお坊さんがお経を読んで埋めたと言っていました。
銃殺にしなかったのは弾薬がもったいなかったようです。
そんな母方の祖父も無事無傷で生還しました^^)
我が家の奥さんの方は良く知りませんけど、祖父が我が家の奥さんの子供の頃まで生きていたようですから、多分靖国神社には祭られていません。
その我が家の奥さんのおじが言っていましたけど、近所に悪いやつだが嘘はつかないという人が中国での戦争体験を話されたようです^^)
都会ならいざ知らず、山口県の山奥で嘘つきならすぐにばれますから、この話は事実だと思います^^)
その人は少年兵で中国に出征していたんですけど、軍の食事だけではお腹が減ってしかたないので、駐屯地を抜け出して中国人の街へ食べ物をかっぱらいに行ったようです^^)
そうしたら中国人の店主などから鉄砲で銃撃をくらって命かながらに駐屯地へ逃げ帰ったようです^^)
この話にはいろんな意味があります^^)
中国で日本軍が食料がなくても略奪しなかった事。中国人は武装していたという事です^^)
日本軍が悪者になる話が多くありますけど、中国の市民には軍律がよく守られていたと思います^^)
そうでなければ中国に残留孤児があんなにたくさん生存している訳がないですね^^)
日本軍が略奪などしていたら、残留孤児は皆殺しされていたでしょうね^^)
残留孤児2世が悪いことをしているようですけど、中国の養祖父母の顔に泥を塗って申し訳がないと思って欲しいです。
頑張らないとね^^)
まだまだ続きます