行松正盛 (ゆきまつ まさもり) | げむおた街道をゆく

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行松 正盛(ゆきまつ まさもり、生年不詳 - 永禄6年(1563年))は、戦国時代の武将。官職は兵部少輔。『福山市史』では、後室は毛利元就の姪と記す。子に九郎二郎、十郎二郎。



ー 経歴 -
伯耆国尾高城を拠点とした国人・行松氏の一族。明応元年(1492年)の時点で守護の山名尚之の被官であった行松氏は、永正年間からの尼子氏の伯耆進出で反守護勢力の山名澄之が守護職についたことにより、城を追われた。(いわゆる「大永の五月崩れ」)退去後に頼った先は不明だが、後に毛利氏と結んだ正盛は永禄5年(1562年)夏頃に尾高城を奪回した。『陰徳太平記』、『森脇覚書』などから尾高復帰後の翌永禄6年末に病没したことが分かっている。正盛の病没後、遺児の九郎二郎らは正盛の後家と再婚した杉原盛重によって養育された。行松氏は正盛の死後、急速に没落していった。


以上、Wikiより。



行松正盛