安井道頓 (やすい どうとん) | げむおた街道をゆく

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安井 道頓(やすい どうとん、天文2年(1533年) - 元和元年5月8日(1615年6月4日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての商人。道頓堀の開鑿者として知られる。苗字は安井成安(やすい なりやす)で、通称は市右衛門。剃髪後に道頓と名乗る。



ー 略歴 -
1533年(天文2年)、誕生。出自については安井氏と成安氏の2説がある。
1582年(天正10年)頃、豊臣秀吉から大坂城の外壕を掘鑿した功労および猫間川河岸整備に対する賞として、城南の地を拝領した。1612年(慶長17年)、城南の開発には河川の堀鑿が必要と考えた道頓は、豊臣氏の許可を受け、私財を投じて城南地域中心部の水路(後の道頓堀)の堀鑿に着手した。堀鑿中の1615年(元和元年)、大坂夏の陣に巻き込まれ、秀吉の遺児・豊臣秀頼に味方して入城、大坂城内で討死した。
なお、水路の堀鑿は、道頓の死後、松平忠明の許可を受けて道頓の従兄弟の安井道卜や平野郷の坂上氏の一族の平野藤次(安藤藤次)らが跡を継ぎ、同年11月に完成させた。


以上、Wikiより。



安井道頓