古田重勝 (ふるた しげかつ) | げむおた街道をゆく

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古田 重勝(ふるた しげかつ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。伊勢松坂藩初代藩主。
新井白石は『藩翰譜』で茶人として有名な古田重然の甥としているが、根拠となる史料は残存しておらず、不明である。



ー 生涯 -
古田重則の長男として美濃に生まれる。豊臣秀吉に仕え、小田原征伐、文禄の役などに従う。文禄4年(1595年)、伊勢国松坂城を与えられ、同城の改修に着手した。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いに先んじて上杉景勝討伐のため会津に向かうが、西軍挙兵の報を受け急ぎ帰国した。木食応其より西軍参加を説かれるがこれを拒否し、松坂城に篭り鍋島勝茂らと対峙するとともに安濃津城に篭城した富田信高、分部光嘉に援兵50人を送るなどした。戦後、西軍を引き止めた功により2万石を加増され伊勢松坂5万5000石の大名となった。 江戸城の石垣普請を命ぜられるなどしたが、慶長11年(1606年)、江戸にて没した。
死後、子の希少丸が幼かったため、弟の重治が家督を継いだ。


以上、Wikiより。



古田重勝