富田 景政(とだ かげまさ、生年不詳 - 1593年)は、戦国時代の武将。
富田景家の次子で、眼病を患ったため剃髪した兄・富田勢源より家督を譲られた。はじめ越前朝倉氏に仕えていたが、その没落後は前田利家に仕えた。賤ヶ岳の戦いで子の景勝が戦死すると、同じく朝倉氏に仕えていた山崎景邦より養子を迎えた。この養子が後に「名人越後」と称される富田重政である。
慶長元年(1596年)、豊臣姓を下賜された。
弟子には一刀流の流祖・伊藤一刀斎の師となる鐘捲自斎(富田勢源の弟子との説もある)がいる。また豊臣秀吉の甥である秀次に剣術を指南した。
以上、Wikiより。