小南五郎 (こみなみ ごろう) | げむおた街道をゆく

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小南 五郎(こみなみ ごろう、文化9年(1812年)10月 - 明治15年(1882年)2月22日)は、幕末の土佐藩士。名は良和。通称は五郎、五郎右衛門。迅衝隊士。



ー 生涯 -
土佐国土佐藩下土佐郡大川筋(現高知県高知市大川筋2丁目)に生まれる[1]。
大目付をつとめ、1853年に山内容堂より側用役として抜擢される。
安政の大獄時には、井伊直弼の容堂に対する追及をかわす為に、小南などの重臣が身代わりとなって幽閉処分を受ける。のちに復帰し大目付に就任するが、尊皇攘夷主義の土佐勤皇党に協力的だったため、勤皇等弾圧時には任を解かれ、失脚。勤皇党盟主武市瑞山をはじめ、平井収二郎、間崎哲馬ら同志が相次いで切腹に追い込まれる中、小南も武士の位を剥奪され、町人と同じ位に落とされるという屈辱的な処罰を受ける。
慶応2年(1867年)に復職し、戊辰戦争に際しては、板垣退助率いる土佐迅衝隊に従軍した。 維新後は土佐に戻り、高知藩権大参事などを務めつつ余生を過ごした。


以上、Wikiより。



小南五郎