吉川経世 (きっかわ つねよ) | げむおた街道をゆく

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吉川 経世(きっかわ つねよ、生没年不詳)は、戦国時代の武将。安芸国国人領主吉川氏の家臣、後に毛利氏の家臣。吉川国経の子。子に市川経好・今田経高・吉川経久。



ー 生涯 -
安芸国国人領主・吉川国経の子として誕生。
兄・元経や父・国経の死後、大永2年(1522年)に家督を継いで吉川氏当主となった甥の吉川興経を一門の重鎮として補佐することとなる。しかし外様である大塩右衛門尉が興経に取り入って権力を濫用するようになり、当主の興経も尼子氏と大内氏の間で離反を繰り返し、吉川家中にも動揺と不満が広がっていくこととなる。
天文16年(1547年)、経世は吉川氏重鎮としての責任感から大塩を暗殺、老臣の森脇祐有、および姻戚の毛利氏当主・毛利元就と共謀して興経を隠居させ、吉川氏の血を引く毛利元就の次男の元春を当主に迎えた。これにより吉川氏は毛利氏の家臣団に組み込まれ、吉川元春を当主としてその勢威を中国地方に拡大させることとなった。


以上、Wikiより。



吉川経世