淡河定範 (おうご さだのり) | げむおた街道をゆく

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淡河 定範(おうご さだのり、天文8年(1539年)? - 天正7年9月10日(1579年9月30日)?)は、戦国時代の武将。播磨国淡河城主。官途名は弾正忠。「淡河」の読みは、あわが、おごうなどの説もある。
別所長治の義理の伯父にあたる人物で、備前江見氏から淡河氏の養子に入った。天正7年(1579年)6月27日には敵軍中に牝馬を放つ奇襲作戦[1]で羽柴秀長を破った。その後の定範の消息は、天正7年9月10日(1579年9月30日)に、羽柴勢に破れ自刃したという戦死説(『別所長治記』、『陰徳太平記』などの記述から)と、その後も生き延びたという生存説(毛利輝元が家臣の井原元尚に宛てた書状の、「弾正殿御事、今御逗留に候」という記述から)などがあり、消息ははっきりしていない。


以上、Wikiより。



淡河定範