氏家 吉継(うじいえ よしつぐ、生年未詳 - 天正19年5月21日(1591年7月11日))は、戦国時代の安土桃山時代の武将。大崎氏の家臣。陸奥岩出山城主。通称は弾正。氏家隆継の子。
父の隠居で家督を継いだ。天正15年(1587年)末、同じ大崎氏の家臣である新井田隆景と対立して伊達政宗と内通した。これが端緒となって天正16年(1588年)に伊達政宗が大崎領に大軍を侵攻させたが、黒川晴氏の裏切りで敗北し、吉継も大崎氏と和睦して帰参することとなった(大崎合戦)。
天正18年(1590年)の小田原征伐の際、大崎氏は豊臣秀吉のもとに参陣しなかったために改易され、同時に吉継も没落して伊達政宗の家臣となる。しかし天正19年(1591年)5月21日に死去した。
以上、Wikiより。