伊集院 忠倉(いじゅういん ただあお、生没年未詳)は、戦国時代の武将。島津氏の家臣。父は伊集院忠朗、子は忠棟、春成。
主に薩摩国における国人の統制などで活躍した。主に島津貴久に仕えた。島津義久の養育係でもあったといわれる。[要出典]1549年には樺山氏と北原氏を和睦させ、同年の黒川崎の戦いでも父・忠朗とともに出陣して、暴風に乗じた奇襲策で肝付兼演を破り、降伏させている。これらの功績により、1558年からは島津氏の筆頭家老を務めることとなった。
大隅国の肝付兼続を鹿児島に招いた宴席において不手際があったと相手方より詰られ、責任を強く感じ出家、隠居した。貴久・義久の強い要請によって一時は復帰したものの、嫡男の忠棟に後事を託し再び隠居。以後は身を退き表舞台に出ることはなくなった。[要出典]
以上、Wikiより。