石川 貞政(いしかわ さだまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将、旗本。杢兵衛光政の子。
豊臣秀吉に馬廻衆として仕え、徳川家康の会津征伐に従軍し、関ヶ原の戦いで東軍として福島隊に属し戦う。石田隊の服部新左衛門を討ち取り、これが一番首の功名となった。その後、豊臣秀頼に仕えて5020石を知行する。慶長19年(1614年)、片桐且元暗殺の命を受けるが、且元が大坂城を退去すると前後して退去し、高野山に上り剃髪した。大坂の陣では徳川方として戦い、旗本となる。寛永年間に『寛永諸家系図伝』が編纂されるに及び、姓を石川から石河としている。美濃国加々島を領し、貞政、貞利、貞代まで3代は交代寄合として、その後は、若年寄支配寄合となる。子孫は4250石の大身旗本として存続した。
以上、Wikiより。