バニビのオタクとしての7年間を振り返ります
友達のツイートから始まり、動画を漁って楽曲も好きだ!となりたまたまインスアに行き、たまたま思い出づくりにワンマンに行き気付けば7年
ワンマンのエンドロールで号泣するくらいには大好きなバニラビーンズについて、思ってたことを振り返りたいと思います
オタクとしてどうだったか?
結論から言うと幸せでした
前に述べたようなことは思ってましたが、それとライブが楽しいのは別の話
2人が最初からすごく優しくしてくれたので僕はずっと着いていくことができました
あぁ、自分はここに居ていいんだって思えることは凄い大事でした
おまいつの人がいるから1番にはなれないけど、そこそこ大事にされてるから嬉しいなくらいの感覚です
それがオタクを続けていくモチベだったので最初の頃はオタクの知り合いなんてほとんどいなくても大丈夫でした
バスツアーまでの3年弱は知り合い2人でしたからね 笑
そっから徐々に増えましたけど…
イナズマで増えてランニング会で増えて知り合った人と飲んで増えて…
結局はライブ以外の時間を共有しないと知り合いは増えなかったですが、
数は少ないけど、どの人もいい人で今思うとすごい幸せなことです
最後の頃には今日はあの人いるかな?というのも1つのモチベにはなっていました
たぶん一番熱心だったのはちょうどリキッドの辺りですね…
自由な時間と自由なお金が多かったという理由だけですが、その期間が続けば続いただけ熱心に推していたと思います
あの頃のtwitterを掘ると凄いバニビ好きだなと思いますね…
今も好きですけど
そしてりちゃこが好き過ぎる…
何をするにもとりあえず喜んでくれることが嬉しかったです
何かアクションを起こす時はそれだけがモチベでした
と言っても、やったことと言えば拙い絵をアップし続けるというやつでした
僕を釣ったところで見返りなんてないことは知っていたはずなのに、それでもブログに絵をあげてくれたり…
今ブログを見返すと完全に推されオタクだったなと…
当時はそんな言葉はなかったのでそんな感覚なかったし、早く自分より上手な人が出てこないかなと思ってましたが 笑
結局、絵を描くのは諸事情により時間が取れなくなって頻度が激減していくという形になりました…
もちろんレナ子から貰ったものだってあります
東海の社会人という安直なバニビうらビ使ってた名前はレナ子がつけてくれました
関西の学生が東海地方で社会人になったから、きみは東海の社会人だ!と…笑
まさか他のアイドルに行く時にこの名前に全く個性がなかったために全然違う名前を使うことになるとは思っていませんでしたが…笑
だからこそ逆にこれはバニビだけの特別なものという意識はずっとありました
あの頃はどうしたら売れるのか?何かやれることがないか?そういうのを思ってました
それから、自分だけの時間が少なくなりそういうのを考える時間も減り…
それでも行ける現場は全て行ったし、形は変わっても確かに推し続けていました
それなりに長く推してると、様式美を拝みに行くという感じでした
それでも他のアイドルをバニビより優先するという考えは湧きませんでした
事実、ライブが終わった後の満足感はいつだってバニビが一番でした
もうこんなにアイドルのことを想うことはないと思います
バニビが居なくなった世界で僕は何か物足りなさを感じるかもしれません
あるいは慣れて忘れてしまうかもしれません
それでもその時の気持ちをこのブログで振り返ることができたらいいなと思います
心からありがとうバニラビーンズ
お二人のこれからの幸せを心より祈っています
友よサラバ
またどこかで