日本手相セラピスト協会

      オフィシャルブログ


    「凸凹しながら右肩上がり」

 

 

     手相は観るけど占わない

      手相セラピー®️

   



【知恵の無い者の言葉に】


人として生きる以上、

避けることができない

苦しみと怖れは


・生まれ出た苦しみ

・老いる苦しみ

・病の苦しみ

・死への恐怖


その他に


・愛する者との別れ

・憎む者との付き合い

・求めるものが

    得られない苦しみ

・心と身体が

    思い通りにならない苦しみ


この苦しみからは

どんな者でも逃れられない。


何者も逃れられない

この苦しみは道理であるので、

この出来事に遭遇することを

「凶事」と呼ぶことはできない。


この出来事は生きている以上、

避けることができない宿命。


この出来事を

「凶事」とし、予言する者は

事の道理を理解していない者。


そんな道理を

理解していない者の言葉に

耳を傾ける価値など存在しない。


この出来事に遭遇したなら、

それは人として

正しく生きていることの証。


苦難を怖れる必要なし。


証を乗り越えることは、

人としての転換期となり、

更なる成長を迎えられるのだから。







    日本手相セラピスト協会

     オフィシャルブログ

 

   「凸凹しながら右肩上がり」

       

    手相は観るけど占わない

      手相セラピー®️


【それは宿命なので】


講師という

「人を育てる」ことをやってると

時に自分の地位を

脅かしそうな存在が

現れてくることがある。


そんな時、

その人に脅威を感じて

イライラしたり、嫉妬したり、

焦ったりするかもしれないが

そこまで育った人を見て

一つ忘れないでほしいのは、

その人を私が育てたって事実。


「おー!私って育て上手なんだ!」


ってことを認めてほしいかな。


あなたの下に集う人は

きっと、あなたの姿を見て

「あなたから学びたい!」

と思って集ってきた人達。


あなたが勝手に怖れを抱いて

あなたを慕って集う人を

退けようとするよりも

集った人達の姿を見て、

あなた自身が

もう一回り成長することを

目指すのもいいかもね。


その場所に胡座をかくことなく、

更に高みを目指す姿を見せたら

あなたが怖れを抱いたその人も

更にあなたに憧れるかも。


講師という

人を育てる役目を担うことを

一度引き受けたなら、

そこから降りない限り

それはずっと付いて回る宿命。


人を育てるってことは

それは親子でもそうだけど

自らの地位を常に脅かされ続ける

ってことを覚悟するしかないね。

 

受講生の成長に

心脅かされながら😆

尻叩かれるように

焦って更なる上を目指すのも

講師としての醍醐味の一つだと

思えばこれもまた一興。







     日本手相セラピスト協会

      オフィシャルブログ


    「凸凹しながら右肩上がり」

 

 

     手相は観るけど占わない

      手相セラピー®️

   


【不安を煽るなよ…】


久しぶりに嫌なもの見た。


手相の写真をあげて

根気が無いとか

少しの障害で逃げるとか、


蛇行した人生を送り

落ち着きのない人生を過ごすとか


やる気はあるが

何か障害が入るとか


お金の価値が分からず

無駄な出費が多い人生を送るとか、


頭が悪いとか

虚弱体質だとか

アルコール依存症だとか、、、


もう手相セラピーでは

考えられないような

ネガティブワードのオンパレード。。。


「手相を見てください」と

仰る多くの方は

人生の岐路に立っていたり、

何かに悩んでいたり、

方向性を見失って悩んで

手相を見てほしいと思い、

手を差し出したんだと思うんだよ。


そこで、

それだけ救いのない言葉を

浴びせかけられたら

悩み苦しんでいる人は

いったいどう思うだろうね?


悩みや迷いを抱える人は、

自らと葛藤し続ける人が多い


その状態で、

こんなネガティブな言葉を

手相の専門知識があり、

上位に立つと感じている人から

浴びせかけられたら

悩み苦しんでいる人は

どう思うだろう?


昔のボクなら

もう生きていても

この先救いがないと

死んでたかもしれないw


根気が無いのは

悪いことで

少しの障害で

逃げることは

本当にダメなことなのか?


ここは自分に合わない場所だから

さっさと別のところを探そう。と

他者の顔色を伺わないで

違う選択をすることができる

強い意志を持った人とも

言えるんじゃないだろうか?


蛇行した人生、

落ち着きのない人生を送る。


迷いなく真っ直ぐな人生を

歩める人ってどれだけいるの?

落ち着きのない人生って、

慌ただしく、忙しい毎日を過ごすこと?

その良し悪しは誰が決めることなんだろう?


やる気はあるが

何かと障害が入る。


大事なのはやる気であって、

やる気があって進んでいくからこそ

この先進むに不足している力や

視点に気づくという困難や障害に

ぶつかるんじゃないんだろうか?


困難や障害って、

本当にこの先

本気でやる覚悟があるの?

って問われている

お試し事かもしれないね。


本気でやってる人に

何らかの障害やリスクが

起こらないなんてことはない。


因があれば、

望む望まないに関わらず

何らかの結果は必ず生まれる。


それが物事の道理であり真理。


迷い苦しんでる人に

投げかける言葉一つで

その人の人生に影響を与える

可能性があることを

人を導こうとする役目を

担おうとする人は

知っておく必要があると

ボクは思うかな。


何年も何十年も

内なる自分と戦い続け、

葛藤を続けている人は

その葛藤を治めるために

必要なことは

更に戦い続けることではないよ。


現実の争いでもそうだけど

葛藤という戦いを

治めるために大切なことは

「赦す」ということ。


互いを認め、それを赦す


そこを目指し、

実現に近づいたら、

心穏やかな日がきっと訪れる。


人の人生に

影響を与える役を担う人が

不安を煽ってどうする?


その人の使う言葉は、

自らの人生観を

顕にしてることでもある。


他者の不安を煽る人は、

きっと自分自身の中で

常に不安と向き合っている

心穏やかではない状態の人だと

ボクは思ってしまうな。