先ず、初めに、楽しみにして下さっていたお客様に、お知らせをお待たせしてしまった事をお詫びいたします。

お待たせして申し訳ありません。

 

Twitterでもお知らせ致しました通り、現在、『DM~デュアルミステリー~』(以下、DM3)は、延期に向けての調整中です。

本日(5月31日)まで、その可能性を残すところから始まり、何とか少しでも良いご報告が出来る様にと、出演者さんやスタッフさん、劇場さんと協議に協議を重ねておりました。

 

東京も緊急事態宣言が解除され、楽しみにして下さっていた方も少なからずいらっしゃった中、ご予定や、遠方のお客様など、場合によっては、ご宿泊や交通機関のご予約などされていた中、このタイミングでの発表になった事は、個人的には本当に心苦しく、重ねてお詫び致します。申し訳ありません。

 

本稿は、Twitter上での、情報の発信、報告としての部分ではお話ししきれなかった、個人的な気持ちを書きたいと思います。

ちーむはちぽちの主宰のいけてるまさとしてではなく、池輝将として。

ですので、あくまで、ちーむはちぽちと言う団体のオフィシャルな発信としてではないことをご留意下さいませ。

 

 

正直言って、今の気持ちは「悔しい。」が一番強いと思います。

 

この企画の始まりを、何処とするかによりますが、古くは前作『DM~ダーティーミラー~』の終演後、或いは、ある程度、具体性を持って話が持ち上がりだした昨年の1月ごろ。

または、それに向けたの準備を始めた昨年の2月か、劇場を予約して、企画の立ち上げが決まった3月か…。

 

とにかく1年半近くの期間を懸け、昨年の刀剣乱舞とアニーの合間の時間や、そのギャラと…とにかく昨年から、ほとんど全てをこの6月の公演に向けての準備に費やしていました。

 

そんだけの準備をして、ようやく迎えた顔合わせが4月の5日。

緊急事態宣言が発令されたのが、その二日後の4月7日の事でした。

 

その少し前、別企画の別作品ではありますが『七人の童貞』が延期が決まった(※こちらも現在、上演時期は調整中です。併せてお待ち頂ければ幸いです。)ばかりであり、正直、4月中は「しんどい」が全てだったと思います。

 

緊急事態宣言が出たタイミングで、本公演「DM3」を中止にすること自体は簡単でした。

僕がそう決めて、そう発表してしまえば良い訳ですから。

 

ただ、それをしなかったのは、5月6日で緊急事態宣言が解除される可能性もあった事、その場合、それからでも作品と企画を立て直せる見込みと、自信があった事。

そして、何より、楽しみにして下さっていたお客さんと、やりたいと言ってくれている出演者がいた事でした。

僕としては、公演が出来る状況になっていれば、やれる可能性があるのなら、その可能性に賭けたい。

そして、その可能性が少しでも残されている内に、それを信じている人達がいる中、どうしてもそれを捨てる事は出来ませんでした。

 

 

このブログをお読みになるような熱心な方はご存知の事かと思いますが、僕は前作『DM~ダーティーミラー~』(と『マイホームヒストリー』)をもって無期限の活動休止を宣言しておりました。

これは、正直に言えば、そのままフェードアウトしようとしていましたし、事実上の引退宣言でした。

戻って来るつもりもありませんでしたし、戻ってやりたい事もありませんでしたし、のんびり生活を送りたいと本気で思っていました。(結局、商業現場に立て続けに入っていたので、DM3が無くても、そうはならなかったと思うのですが。)

 

そう思っていた僕が、「出来れば、もう二度とやりたくない。」と思っていたセルフプロデュースで企画を立ち上げたのは、やはり、「続編をやりたい。」と言う役者さんと、「続編を観たい。」と言うお客様の声があったからに他なりません。

それどころか、他に理由は(本当に)ありません。

 

芸能の仕事は、食っていける人は一握りです。

ですから、他人に「やれ」と強制されてやるものではありません。

事務所や劇団に所属していて、その中でやれって言われる事もありますが、そういう話しではなく、そもそも嫌なら辞めてしまって、就職するなり、フリーターするなり、少なくとも芸能の仕事より(または、しながらより)安定した生き方はいくらでもあります。

 

やりたくなければ、芸能ごと辞めてしまえば良いんです。

だから、僕は辞めました。

 

ただ、僕は芸能…というより、演劇は、何処まで言っても根本的には「観たい人に観たい物を届ける」のが仕事だと思っています。

観たくない人は観に来ないし、観に来いと強制されるものでもない。

観たい人には、少しでもより良い物をお見せする。

 

それだけの仕事ですし、それが全てだと思います。

 

だから、僕は、観たい人がいて、観れると信じてくれていて、観に行こうと思って待ってくれているなら、それに応えるのが仕事であり、そこに向かっていくのは当然であり、それがプロだと思います。

 

いくら、僕は一度辞めたからと言って、やるからには、そこは曲げてはいけないと思っていましたし、今でも思っています。

だから、元々の予定通りに6月の上演が出来ないと判断した時も、それを発表した時も、「悔しい。」と言う気持ちでした。

 

4月中にも、中止、または延期にした方が良いんじゃないかと言う意見もありました。

それをしなかった理由は、先ほども書いた部分と、この「やれる可能性があるうちに、(やれないかもしれないからと言って)それを捨てる」と言うのは、(少なくとも僕の思う)プロの仕事ではありませんでした。

 

 

ただ、いよいよもって、6月の上演は不可能だろうと言うタイミングを迎えました。

緊急事態宣言の延長で、満足に稽古も出来ない。(満足な稽古が出来なくても、それでもやり切るのがプロだとも思いますが)

仮にいつ、緊急事態宣言が解除になるとしても、役者やスタッフ、そして、お客さんの安全は?

そもそも、お客さんは来てくれるのか?

 

その時点では、僕が、僕自身の裁量権の範囲で選べるのは、6月に決行するか、それとも中止か。

この二択でした。

 

それらを踏まえて、協議を始めました。

それでも6月にやろう。

そういう話しになれば、僕はそれで抱える赤字分は背負う覚悟はしていました。

関係各所に頭を下げて、待っていただける支払いは待ってもらい、可能な限りの範囲で少しずつでも支払いをしていけばいい事です。

それが僕の頭一つ下げれば済むのであれば、いくらでも下げます。

そこにプライドは要りません。

それは、自分の立てた企画に対する、自分自身の責任です。

 

中止に関しても、同様の事が言えます。

僕が負債を背負えば済む話しなのです。

 

ただ、協議にあたり、決定を下すのは、役者さんの意思を聞いてから決めても遅くないとも考えました。

つまり、延期の可能性です。

もし、この企画を残したいと思ってくれる人がいるのなら。

「やりたい」と言ってくれる人がいるのなら。

僕はその人達の為になら、その人達とまた立ち上がれると思ったのです。

 

既に何人か、ご自身で発表していらっしゃる方もいますが、どうしても調整できなかったり、ご事情があって、(出演の辞退や降板など表現は様々ですが)延期するとしても参加が難しい、不可能だと言う方もいます。

そういう方たちには、何の恨みもありません。

事情があったり、先にも述べた通り、やれと言われてやるものでもありません。

 

それに、はちぽちは劇団でもありませんから、尚更です。

また、どっかで飲みにでも行ければ良いと思っています。

 

これは元々公言していますが、僕は演劇をやりたくてやっているわけじゃありません。

Twitterの固定ツイートに「義理」か「お金」か「オモシロ」かと書いているくらいです。

 

お金は生活をする上で必要なものですし、、それを得る為にするのも仕事でもあります。

 

義理は生きていく上で通さねばならないものです。

 

オモシロいかどうかは、やりがいになります。

 

このうちのどれか一つでも条件が合えば、それはやる意味の事だと思います。

僕にとって「DM3」は、観たいと言ってくれたお客様と、やりたいと言ってくれた役者さんに対する「義理」を通し、お返しするものです。

 

僕にとって、この企画をやる価値はそこにあります。

 

だから、「やりたい」と言ってくれる役者さんがいて、やれる人が残ってくれて、そして、どんな形でも、待ってて下さるお客さんがいてくれるなら、僕はその気持ちに応えなくてはいけません。

 

中止の発表に対して「英断だ。」とコメントを下さった方もいます。

でも、これは僕の英断なんかではありません。

もし、「英断」だとするならば、それはやはり、「それでも、やっぱりやろう!」と言ってくれた役者さんや、(まだお話し中の方もいますが)快く後押しをして下さったスタッフさん、そして、無茶な要望の交渉に応じて下さった劇場さんなど、僕以外の人達の「英断」です。

 

コロナウイルスの影響なんて、誰もが経験のしたことの無い状況ですし、その上で、やはり経験したことの無い、ましてやセルフプロデュースと言う形での延期に向けての調整なんて、全く経験したことは無く、ノウハウも無く、試行錯誤と暗中模索の道のりになります。

 

先ずは、なるべく早い時期に延期の時期を決め、皆様にお伝え出来る様にしたいと思います。

 

本当は、もっと言いたい事や伝えたいことは沢山ありますが、まだうまく気持ちを文章に変えることが出来ないので、ここまでにしたいと思います。

 

「やりたい」と言ってくれる役者さんと、「観たい」と言ってくれるお客様の為に。

僕にはそれだけでいい。それだけで、まだ踏ん張れます。

他には何も要らないのです。

 

元々前作から1年半も空けての企画でしたが、来年中の目標なので、また更に1年や、それ以上お待たせしてしまうかもしれませんが、お客様には、もう暫く、どうか気長に待っていて下さればと思います。

 

今後とも、何卒宜しくお願い致します。

 

Facebook(いけてるまさ で検索したら出てきます)向けに書いた記事をコピペしたので、改行とかがトチ狂ってるし、長いし、読みづらいです。

読んでもらう為と言うよりは、長い長い独り言なので、目を通さなくても大丈夫です。

 

 

 

今、僕は来年の6月の公演に向けて、もりもりと準備を進めている。
(その前に4月に短編のお仕事が入ったので、そっちも手を抜いているわけではないのですけれど。)
何と言っても、6月の公演は約3年ぶりとなる自分のプロデュース公演になる。
この三年、もっと言えば、その前もだけど、人にお声かけ頂いて、お仕事として話を頂いて、雇われ作・演出として、ずっと仕事していたのですが。

去年の11月。
「これで最後にしよう。」
と、無期限の活動休止を宣言して、作・演出はそのままフェードアウトしようとしていた。

でも、それに「続編はいつですか!?」と、待ったをかけたのは、その時の出演者達であり、その時のお客様たちだった。

正直、続編なんてやるつもりは当時カケラも無かったのだけれども。
やりたいという人と、観たいという人がいる。
これに応えないのは、不義理な気がしたし、それに応えるのが恩返しの様な気がした。

だから、来年の公演の後の事は、やっぱりあまり考えてないのだけれども。

自分の「やりたい」よりも(むしろ、自分の「やりたい」は元々ほとんどないところからスタートしているのだけれども)周りの人の「やりたい」と「観たい」に背中を押されると言うのは、きっと演劇人としては、本当に本当にありがたいことなんだと思う。

早め早めの準備を始めたのもあるけど、今回は過去最多の出演者数を予定している。
目標は40人。
多っ!

2作品同時にやろうとしているので、1作品につき20名ずつくらいで、約40人。

最初は自分で言い出しておいて、んなアホな。とも思っていた。
それでも、あと数人で目標出演者数に達しようとしている。

我ながら信じられない。

最初に「やりたい」と言ってくれた人たちや、声をかけて快く引き受けてくれた人たち。
勿論、色んな事情で、それがかなわなかった人もいる。
そして、オーディションなどで募集をしている中、やっぱり「やりたい」と声を上げてくれた人たち。

こういうのは、本当は、千秋楽が終わった後に言う事なんだけど。

支えられている。

スタッフさんも、これまでご一緒した人たちの中から、今回の企画に(ちょっと贅沢過ぎるくらいの)人達が参加してくれる。

これもやっぱり早めにお願いしたのもあるけど、基本的にはお仕事だからって言うのもあるとしても、理想かよ!って人達が参加してくれる。

あぁ、贅沢過ぎる。

出演者の人達も、お客様も「楽しみにしている。」って言ってくれている。
プレッシャーもやばい。
ハードルもちょっとずつ上がっていく。
逃げたくなることもある。
今から投げ出したくなることもある。
上手くいかない事があると、拗ねたくなることもある。

だけど、やっぱり「楽しみにしている。」と言われると、やらなきゃ。って思う。
やってやるぞ、と思う。

作・演出としては、一つの作品にかける労力は実際にはあまり変わらないかもしれない。
だけど、僕個人としては、今までできっと、一番力のこもった企画になるし、注ぐ企画になると思う。
なんなら、もうそうなっている。

思い通りにならない事は多いし、なんならそんなことばっかりだけど、思い通りになったところはもう夢の様に贅沢。

いくら僕が力を込めたって、この企画に出てくれる役者さん達がそれで売れるよ!とか、それでキャリアに箔がつくよ!みたいなことは無いかもしれない。
それでも出てくれるなんて、打算抜きでやってやろうって気概の人達って事じゃないか。
そんなことってある?

僕はその人達にも応えなきゃいけない。
応えなきゃいけない想いがどんどん増えていく。

あぁ、面白くしたいなぁ。
面白くしないとなぁ。

今からやることいっぱい。

もう、こんな贅沢な企画は二度と出来ないかもしれない。
だから、いつもより余計に、沢山の人に観て欲しい。

だって、やるからには「観てもらう為」に作るんですもの。

きっと面白いと思います。
今からワクワクしてるんだもん。

 

つってーーーー
公演の内容全然触れてないじゃん!つってーーーー!!!

僕が初めて作・演出をやるよりももっと前。
キャラクターや世界観のひな型の様な物だけは作っていた「探偵・取手付太郎」の物語。
キャラクターの名前を考えるのが正直面倒くさくて
取って付けた名前だから、取手付太郎。
ヒロインかな?え?で、広井叶。
そんな安直なネーミングで生み出されたキャラクター達を初めて『DM~ダブルミーニング~』のタイトルで公演と言う形で世に出したのが2016年。
それから、続編の声に押され、2017年にスピンオフ。『広井叶の事件簿・御手瑠依の日常』
2018年に本編の続編『DM~ダーティミラー~』

そして、2020年6月に『DM~デュアルミステリー~』として、上演します。
今回は、一つの出来事を「ディテクティブメランコリー編」と「ダイイングメッセージ編」の二つの視点(二つの物語、作品)に分け、一本だけ観ても楽しめて、もう一本を観ると補完し合う、そんな作品になるように画策しています。
(解りやすく言えば、バイオハザード2のレオン編とクレア編ですね!ってお客さんが言ってました。なるほど、それだ。)

各チームで約20名ほど、2チームで総勢40名の作品にしよう。
と言う、個人的には超ビッグプロジェクトになりました。

公演期間も約10日間で、各チーム8ステージの全16ステージ。
追加公演が入れられたら最大で20ステージになります。
どひゃー。

1500人…動員目標に頑張ります。
どひゃー。

40人もいると、キャラクターを作るだけでも頭痛いですが、もうこんな企画は二度とやらないだろうから、気合入れて頑張ります。

二作同時に書き下ろしって言うのは…大変だけど、去年やったからそこは大丈夫。

二作品がそれぞれどのように絡み、関係しあい、補完し合うのか。
それは頭うんうん捻るので、楽しみにしてください。

思えばこのシリーズ自体が、自分以外の「やりたい」と「観たい」に支え続けられて、作り続けてきたシリーズでした。

とりあえず、今出せるだけの情報を載せておきますね。

出演者さんも決まってる人はどんどんTwitterに載せているので、こちらにも出せるように準備いたします。

 

 

ちーむはちぽち第二回公演
付太郎の謎解き記録シリーズvol.4
『DM〜デュアルミステリー〜』
2020年6月11日(木)〜21日(日)
日暮里d倉庫

 

あらすじ
俺の名前は取手付太郎(とりでつけたろう)。探偵だ。
今日も警察の手に負えない様な難事件をいくつも抱え、現代社会の裏に潜む悪と孤独な戦いを続けている。
人の心を覗くことは出来ない。
目に見える行動、耳に聞く発言が、全て真意とは限らない。
当然、そもそも全てを見聞きすることも出来ないのだ。
何かを目撃したとしても、その裏の真実を見抜けるだろうか?
それを見抜くのが、俺の仕事だ。
例えそれが、望まぬ形であったとしても…。
それが正義だと信じて…。

「飽きないんですか?取手さん。」

…おっと、今日もまた邪魔が入ってしまった。
こいつは広井叶(ひろいかなえ)。俺の助手だ。
頼んでも無いのに俺の仕事に口を挟む物好きだ。

「依頼です。ミケちゃんが家出です。」

…この様に、警察の手に負えない様な難事件をいくつも抱えている。
家出じゃなくて脱走だろ。

俺はもっと、巨大な悪に立ち向かい、華麗に解決する様なカッコいい探偵になりたかったのになぁ。

俺はいつもそんな不満を抱いていた。
自分自身の過去と、向き合う事になるまでは…。

家に帰ったら、パンツ(トランクス)が今までに無いくらいダイナミックに避けて、セクシーランジェリーみたいになりました。

お久しぶりです。いけてるまさです。

 

文章の冒頭は掴み。

掴みで滑った気がします。

気はしますが、気にしてません。

 

今日はなんとなく文章を書きたいのです。

 

『ホンを書く時、大切にしていること。』

ここで言うホンは、舞台の台本の事だ。

自分で、この質問を投げかけておいて、自分は一体なにを大切にしていたかしら?

と疑問を抱いた。盛大なブーメランであった。

 

問い返されて、僕の答えは

「バランスを取る事」

であった。

 

これは、出演者の出番のバランスを(ある程度)イーブンにする。

と、言う意味でのバランスである。

主演だからと出番や見せ場の多い役と、脇役だとかちょい役だとかで、少ししか出番やセリフが無い役がいるとする。

もう、不公平じゃん。

これで、ノルマは一律ですとか、一律ノルマ無しですとか。

不公平じゃん。

主演とか出番の多い人は50枚とか、出番少ない人は20枚とかで差をつけるなら、まぁ…まだ解るけど。

 

それでも、稽古に来てもらう期間や、本番期間中に拘束する時間とかは一緒なのに、出番や見せ場(持ち点とも言う)が大きくバラついていたら、そりゃ少ない人は気持ちがよくない。

そりゃ、出番も見せ場も少ないのに、売ってね!って言われても、難しいところがある。

 

そう思うのも、短いながらに役者として活動していた頃、ほとんど『ちょい役』側だった経験と、2回くらい所謂『いい役』をもらった経験とがあるからの考えかもしれない。

 

作家としては、或いは、演出家としては

「ちょい役なんていない。どれも必要な役なんです。」

なんて、決まり文句を言わなくてはならない場面もあったのだけど。

それが嘘にならないように、少なくとも、自分の本心に嘘を吐かなくて良いように、どの役もある程度は出番や見せ場が同じくらいになる様に考える。

 

勿論、これは良くも悪くも『大前提』と言う事である。

 

と、言うのも、稽古で積極的に提案してくれる(色々な案やパターンを試してくれる、と言う意味)役者さんや、集客面で努力してくれる人には、出番や見せ場を増やしてあげようかな、と言う気にもなる。

作家も人間なのである。

 

逆に、何回稽古しても芝居が変わらない人(これは上手い下手や出来る出来ないではない。やろうとすることが大切。)や、集客面が全然の人(一桁とか悲しくなる)には、書く予定だったシーンを取りやめる事もある。

作家も人間なのである。

 

この上の二つの文節で、『役者』と『人』と書き分けているところで、こちらの心情を察して欲しいところでもある。

 

そういう意味でも、「バランスを取る」のだ。

より良くなる可能性の方は伸ばすし、伸びしろが無いなら減らす。

それだけのことである。

 

ましてや、興行として考えれば、尚更のことだと思う。

 

本当は、バランスなんて考えないで書いた方が楽なんじゃないかな?って言う時もあるのだけれど。

一つの作品として書き上げるには、バランスなんて考えない方が良いものになるんじゃないかな?と思う時もあるのだけれど。

 

だけど、せっかくその時の出演者さんが集まって、一つの座組になって、その座組で一つの作品を作り上げるんだと思ったら、結果的には、その方が面白く、良いものが出来るんじゃないかと思うし、そう自負している。

 

 

 

 

さて、出番のバランス以外ではどうだろうか。

 

僕は作品によって雰囲気は結構異なるが、作風としては、小気味のいい早いテンポと、高めのテンションが基本になる。

そういう意味では話しや展開の緩急は書いている時から気にはする。

そして、クライマックスに向けて盛り上げていくのだが、、、これは書いてて思ったけど、書くのに気にすることって言うよりかは、テクニックだし、テクニックと言いつつ、恐らく基本中の基本だろう。

 

基本だとは思うけど、その辺が全然出来てなくて、山無し、谷無し、オチ無し、みたいな、何がしたいんだか解らない様なホンもよく見かけるのだけれども。

 

 

閑話休題。

 

 

既に大分長くなっている上に、ここから先は、別のタイトルつけて、もう一個のブログ記事にしても良い様な話ではあるが。

 

僕はテーマから決めて書き始める事が無い。

書きたい事があって書き始めると言う事も(最初期の短編時代はともかく)無い。

 

作家としては、テーマを決めたり、書きたい事があったり、なんなら書きたいテーマがあった方が健全か気もするのだが。

 

大抵の場合は、先に本番をやる事が決まり、その為に何をやるか考えて、概要(設定の大枠)を決めて、キャラクターを作って、そのまま執筆作業に入る。

概要が決まれば、おおよその話しの方向性や雰囲気は決まるし、概要と雰囲気が見えてくればテーマの様な物も出てくるし、キャラクターが立ってくれば、話しはある程度勝手に進み、テーマの様な物は浮き彫りになってくる。

 

そこで自分でも初めて「この作品のテーマはこういう事なのかもしれないね。」なんてこともある。

 

プロットを書かないから、そう言う事になるのだけれど。

 

 

 

閑話休題を挟んでみておいて、尻切れトンボなんだけど。

いい加減遅い時間なので、今日はここまで。

久しぶりのブログだけれど、なんとも消化不良気味である。

 

ま、いいか。ブログだし。