ホロー荘の殺人(クリスティの心理学④) | 英語は度胸とニューヨーク流!

ホロー荘の殺人(クリスティの心理学④)


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ホロー荘の殺人 (The Hollow)

久しぶりのアガサクリスティ。
今回はまたポワロ物。
1946年初出の『ホロー荘の殺人』をお届けします。


この本での突出したキャラはなんといってもルーシー・アンカテル夫人。
役柄的には狂言回し風なんですが、クリスティが精魂こめた人物だと思います。

とりとめのないことを言いながらも、いつもその底に洞察力に裏付けられた真実があり、
優しいようで冷たく、やわらかいようで鋼のような強さを持った女性です。
何も知らないふわふわした言動の下で、すべてを知ってるような彼女の恐ろしさが
ホロー荘という田舎の屋敷の性格付けに一役買っているのがミソ。

ストーリーは自分の高邁な目的とともに、覇気ある性格を持つ1人の医者が、
週末に訪れたいとこの屋敷で殺される、というもの。
彼をとりまいていたのは、おとなしくて優しい妻、昔婚約を破棄した映画女優、
アーティストでありながら実際的な頭脳を持つ恋人、その彼女に子供の頃から恋している
無口な男性、彼と彼の持つ屋敷の雰囲気に惹かれている現実的な女性…そんな人間模様です。

相変わらずみんなを一箇所に集めて、容疑を分散させるやり方ですが、
ひとりひとりの性格設定が丁寧なので、読んでいても理解しやすく、
当時のイギリスの上流社会を考えれば、多少内輪すぎる設定もムリを感じません。


さて今回ご紹介したい最初の心理的なキャラは被害者の妻、ガーダ。

母性愛の強い家庭的な主婦、周りからは少し鈍いと思われているが、ひたむきに夫を崇拝する。
このひた向きさは宗教に近く、無心である。
決断も行動もすべてが夫中心。「あなたまかせ」の気楽さと気苦労が同居する。
精神的なアンバランスを自分で克服するのではなく人に頼るこの行動は心理学で言う
転移(=transference)』そのもので、陽性と陰性に分かれる。

シェイクスピアの好む題材、愚者の楽園を代表し、自分の作り上げた理想の維持に努める。
芸術家のヘンリエッタが『祈る人』という木彫の作品を仕上げるためにどうしても
このガーダをモデルとして使いたいと願う。
彼女の体型や顔のつくりではなく、彼女のかもし出す雰囲気、底に秘める盲信する本性に
インスパイアされたからだ。

彼女を描写するヘンリエッタの言葉を引用しよう。
「ええ、あたしが求めていたのはこの頸と肩だったの。―それにあの重々しい傾き、服従、
反抗のかけらもない姿、すばらしいわ」


この木彫はデフォルメされたものでガーダの姿そのものではない。
夫のジョンが訊く。
「この作品を見てると、なんだかぞっとしてくるよ。この女は何を見ているんだ―誰なんだ? 
目の前にいるのは?」
「あたしにもわからないのよ。でも、たぶん―あなたを見てるんじゃないかと思うのよ、ジョン」


『転移』の2つの出方で、陽性は相手に信頼、感謝、尊敬、情愛の念を抱くことで、
自分の精神的バランスをはかることが出来る。
陰性の場合は敵意、不信、恨み、攻撃性などの感情が出て、バランスを欠くことになり
対処が必要である。いわゆる愛憎一致の関係となり、1度距離を置くことが必要。

ガーダは治療を受けているわけではないが、こうした出方は共通するので、愛情の対象が遠くへ行くか、
数を増やさないと自分の感情と人の判断力のギャップで精神的ゆがみが生じる場合もある。

物事や状況ではなく人に優先順位をつけるため、母性愛も怪しい描写も出てくる。

彼女の精神的アンバランスさを示す面白い表現が以下のようなもの。
夫の帰宅にあわせて用意した食事が、待っている間に冷め始め、暖めなおそうかどうか永遠に迷うガーダ。
「全世界が、皿の上でだんだん冷めていくマトンの脚に凝縮していった」

もはやどうすることも出来ない彼女の、むしろ幼稚なものの見方を示す文だと思う。


次に紹介するのが被害者の愛人だったヘンリエッタ。
頭脳明晰で芸術家。他人にも細かく気遣いの出来る、
生活能力も精神的なバランスも人並み以上に優れた女性。
他人も自分も束縛を嫌い、盲信には常に冷ややかな目を持つ、ガーダとは正反対のタイプ。

被害者のジョンが、妻にはこのヘンリエッタの長所を求め、
彼女には妻ガーダの従順さを求めるくだりは、よくある話で興味深い。
男というのがいつまでも愛人と母の2役を妻に押し付けようとするいい例だ。

そんな彼女の持つ心理的な特性が『強迫衝動(= compulsion)』。
あるひとつのテーマや物事に異常にこだわり、そうせずにはいられない衝動。
彼女の場合は、先に挙げたとおり、芸術に対するこだわり、それを形にしたいという欲求で、
これは彼女の仕事の成功につながっている衝動だろう。

ガーダの姿を借りながらも、彼女を喜ばせるために肖像彫刻も作って、
その理想化された小品で単純なガーダを喜ばせることも忘れない。
よく言えば他人への気遣いが抜群で、悪く言えば自分の芸術的欲求のために
とことん何でも利用する打算タイプかもしれない。

そんな彼女に対するジョンの言葉は鋭く、本質を見抜いている。
「もし僕が死んだら、キミは涙を流しながら、何をおいても、喪に服する女とか、
悲しみに沈んでいる彫像を造り始めるよ」
「そうかしら。きっと―ええ、たぶんそうするわ。ひどい話ね」


最後に紹介するのが、ジョンの若いときの恋人、今は映画女優となっている傲慢な女性、ヴェロニカ。
アガサクリスティはこの3人のネーミングをいかにもといったもので表現し、
名前だけで性格や体型まで分かるようになっているのもおもしろい。
日本で言えば、春奈とか由利子とか麗華といった感じでしょうか。

さてこのヴェロニカ。典型的な自信家で、自己中心にしか物事を眺められないタイプ。
典型的とは言ってもフィクションの中だけで、かなりお決まりなキャラだ(= stereotypical)。
ジョンとの復縁を断られると、その自信が『強迫観念(= obsession)』に変り、執拗になる。
また自己中心的な人特有だが、つらい現実を自分に都合のいいように作り変え、失望をすり代える。

これを『反動形成(= reaction formation)』といい、
防衛機制(defence mechanisms)』のひとつである。
言ってみれば文明世界の人間には誰にでもあるメカニズムで、
他には抑圧、同一視、投影、退行、置き換えなどが挙げられる。
たぶん皆さんにも心当たりがあるものがいくつかあると思います。


さてこの3人の女性に愛された被害者であるジョンはどんな人間か。
ガーダは、医者としての仕事に献身する崇高な人、という理想像を作り上げ、
ヴェロニカは、自分に隷属すべきペットかモノのように考えている。
しかし、ここではやはりヘンリエッタの言葉が真をついているかもしれないし、
たぶんその性格が殺された原因だったかもしれない。
「あなたはサーチライトみたいなものよ。自分で興味のある一箇所だけは強烈な光で照らすけど、
その後ろや両側は真っ暗なのよ。(それは)危険なことなのよ、ジョン」



さてさて、田舎の屋敷のプールサイドに横たわる死体と滴り落ちる血の赤。
舞台設定抜群の光景を見たポアロの推理はいかに?
状況は2転3転しますが、以上の心理分析を踏まえて読むと、きっと面白さ抜群ではないかと思いますよ!

作品は何度も舞台化、映画化、テレビドラマ化もされており、日本では1985年に大竹しのぶさん、
池上季美子さんの主演で、『危険な女たち』というタイトルで映画化されています。


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