現代ポピュラー音楽作曲の技法を考える/不定調性論のブログ

世田谷区music school M-Bank発信による、これからのポピュラー音楽のための作曲についてのトピックと、アーティスト楽曲研究、ジャズ/ポピュラー楽理オンライン講座付属のブログです。
ときどき音楽スクールのこと、スタッフの活動なども書かせて頂きます。


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教材改訂中に付き、第四巻(ほぼ資料集と用語集、そして第八章)をかいつまんで紹介させていただいております。

 

 

表を解説してもよいのですが、省略します。

たとえばII-V化のところはVが抜けています。その代り一番上の列のコードに対するVをVドミナントという列(三段目)で書かせていただいております。一つしか書いていない理由もあります。

 

用語は独特なものですが、無視してもらって構いません。

この表が言いたいのは、「コードというのは無理やり考えたらいかようにでも拡張解釈が可能であり、普段はわざわざ一つの表面的でありきたりな解釈をしているだけですよ」ということです。

 

あらためて表をご覧ください。

Cメジャーのキーに対してほとんどあらゆるコードが関連つけられますね。

たとえば一般的に考えて

Dm7 |G7 |CM7 |

というのはCメジャーキーのII-V-I以外の何物でもないですよね。

 

でも本当にそうですか?

それでいいんですか?それでおわりですか?

でも、それが分かっても演奏できるわけでも、うまく弾けるわけでもありませんよ?

ではその理解は何のための理解ですか?

この表によれば、G7はGのブルーストニック和音であり、CM7に対するVであり、FM7をIとした場合のII=ドッペルドミナントであり、Bm7(b5)の裏ドッペルドミナントであり、Am7のサブドミナントマイナーVIIbです。

 

え?そんなの普通に考えたらII-V-Iでいいんじゃないか?

とおっしゃるでしょう。

 

では、普通に考えていいんですか?

あなたの分析している音楽は普通ですか?他と違わないんですか?

他の曲のII-V-Iと同じ、という解釈にとどまっていいんですか?

そういうことで何曲ぐらいアナライズしたどの程度の実力がつくんですか?

そしてどの段階から自分なりの音楽に反映できるんですか?

もっと新しいことをしたいと思いませんか?なにか人と違ったことをしたいと思いませんか?

それはどの段階で始めるのですか?

(音楽ジャンルは限られますが)

 

バブルのころはこれでもよかったのです。時代が平和でしたし、若者は10年ぐらいじっくり勉強すればよい、という時代でしたから。

でもいまは中学生だって働かなければ家族が生きていけない時代です。

そんな時代にのんきに勉強などしていたらただのゴクツブシです。即ビジネスにできるスキルをつけなければいけない時代、だと思うのです。

 

音楽分析は、表面的にやれば安易な結果になり、拡張して読み解こうと思えば、様々な可能性が出てきます。言ってみれば"余裕がある方の趣味"というところでしょうか。

 

実践的な学習過程においてはその先、「自分の考えでどう音楽を行い、自分のやり方を見つけ、自分の音楽活動を充実させるか」まで学校側が短期間のうちにサポートできなければいけない、と考えます。ユーミンレポートやスティービーレポートも結構これを意識しました。

 

細かい例ですが、cにとってgは上方五度であり、下方四度であるが、どちらであるか定めることができない、とすると、あらゆることが定まらず、自在に解釈が可能になり、そこから現代の音楽に通じる様々な和音の可能性がおのずと見えてきたりします。

同様にDm7-G7-CM7がシステムの上で、II-V-Iにならない可能性をすべて打ち出し、具体的に表として提示することで、表面的なアナライズよりも大事なことが見えてきます。

まさにDm7-G7がII-Vに見えてこなくなる、ゲシュタルト崩壊みたいな感覚がやってきます。

 

Dm7=Dフリジアン

G7=Gホールトーン

CM7=Cリディアン

 

で弾いたら、どうなるでしょう?それは絶対に音楽でない、という事を言い切れますか?この先の将来も出てこない、と言い切れますか?言い切れなければ学問としての可能性は開いておかなければなりません(旋調性の音楽)。

 

また

Dm7=Dm7(センターコード)、I

G7=Dm7に対するIV7

CM7=Dm7に対するVIIbM7

という解釈で何とか弾いてみよう、としてみてください。絶対無理ですか?

無理だとしたらなぜ無理なんですか?誰か他の人も絶対にできないと言い切れますか?

できるとしたらそこから新しい音楽が生まれる可能性をイメージできませんか?

 

それを排除していったい何の理想を求めているんでしょうか。

それは教える側の先生の個人の理想をいろんな権威を持って人に押し付ける形になっていませんか?

不定調性論もそういう意味合いになる場合があるのでそのお立場よくわかります。

 

いろいろむずかしいですよね。。

 

音楽を他者から学ぶ限界は、この辺りであって、ここを超えるためには方法論そのものを進化させないと音楽も学校業も面白くなくなると思うのです。

そこで耳で聴き分ける、または感覚で感じることと音楽方法論を一緒にした方法論を体系として用意しておけば、可能性を考えながら、時間を有効に活用できる、と考えました。

 

なんでそう聞こえると思うか、

なんで自分はそう感ずると思うか、

なんでこれを演奏したいと思うか、

なんでそれを聴きたいと思うか、

理屈じゃなくて、どう生きたいのか笑

 

みたいなことを考えていこうよ、っていう男らしい話ですね笑。

その答えは、結局あなた自身の中にしかないと思うのです。それを探れる感覚を養おう!と声高に言ってしまう勢い、が不定調性論の一番の強みかもしれません。

 

学校業をやっていると、人の才能を伸ばすことだけを考えてしまうので、自分は後回しです。せめてブログで拙論を宣伝するぐらい。

皆様に有意義に活用いただき、突き抜けた音楽活動をなさってください。

私たちは知識のない人に知識をつけるのが目的ではありません。あなたが苦労しながらやっていることに少しでも報いられる適切な方法はないか?と考える役回りです。

 

ホント、常に新しい方法論がないとだめなんですよね。

 

 

「学校」の「校」には動物の檻、のような意味もあるそうです。またschoolには「暇つぶしの場所」の語源もあるんだとか、どちらも今の時代にはもう必要ないのかな、なんて感じます。

今の瞬間を大切に生きて行こうではありませんか。

 

 

 

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一枚でペロッとみられるテンション表を掲示いたします。

細かい表記のニュアンス、V7での使い分け等は、先生方で自由に訂正し自由にご利用ください。結局ある程度分かっていないとぺろっと一枚、というわけにはいかないんですよね。。。

印刷など自由にしてご利用ください。

 

ちらっと見せるだけで、なんか音楽できそう感、も演出が可能な見栄えになっております。

 

不定調性の教材からの抜粋です。

 

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こちらも質問を受けまして書かせていただきます。

 

本作の様々な都市伝説は置いておいて、同曲を普通に考えてフラットに解説する、ということはなかなかされないと思います。

聴きたくもない!!なんていう方もおられるでしょう。

でも、音楽が人の心に影響を及ぼすのだとしたら、それはあなたがそう思い込んでしまっているからです。

だから良いイメージをあたえてくれる曲についてはそう思って欲しいし、悪いイメージを与える曲については、もっと理知的に考えていただきたいです(先生的意見ですみません)。

音楽は自分の精神のためにどんどん活用していくべきでしょう。


"聴いたら自殺したくなる曲"はなんていうレッテルを、現代的思想の力で、もっと様々な意味と力と歴史のある曲としてしっかり理解し、数奇な運命を背負ってしまわれたレジェー先生に、音楽に生きた我らが先輩に後輩の音楽への思いを捧げようではありませんか。

 

http://news.livedoor.com/article/detail/10557489/
自殺がもともと多い国民性、のように書かれていますが、日本も並列されているので、なんとなくニュアンスはわかります。

http://karapaia.livedoor.biz/archives/52221509.html

この記事もホントかウソかはともかく色々考えます。何事もそうですが、音楽だけの影響というより、色々巻き込んだ上での何重もの価値観の歴史が一つの事実を生み出すわけですね。

また当ブログ記事ページ下記PDF(出典)には、ハンガリーにおける自殺という手段は尊厳の一つという描かれ方もあります。日本の自刃の歴史にも似ていて、なんとなーくその雰囲気が分かります。。

 

ゆえに同曲のオカルト性を用いたら必ず種あかしを見ていただきたいです。

嘘から出た本当、になりかねないからですし、そのくらい人の心が豊かに機能するから、音楽という文化が存在し得るのではないかとも思います。

 

今更なんでこんなことを、という話ですが、こういう記事を書く人もあまりないと思いますので、隠れ不定調性マニアの方は下記、楽しんで頂ければ幸いです。

 

====

 

https://musescore.com/user/443/scores/705?audio_source=706

こちらにメロディ譜面があります。

 

メロディとコードだけを見ると、これ、楽理という面からは何の不可思議もなさ過ぎて何なくスルーするしてしまうかもしれませんね(当時の曲を全て聴いたわけではないですから、何が特徴で何が特徴でないかを私は当時の感覚に照合して指摘することはできません、もしこの曲の旋律的、アレンジ的な特徴を見出そうとお考えであれば、当時のラジオから流れた曲を前後5年ぐらいに渡って全部聴いてみてください。)。

 

またどうしても見た目から安易に理由をつけるのなら、短調である、下降系の音型がいかにも気分を鬱にさせる、最後の五度下降のメロディが絶望を助長する、歌詞が暗い、アレンジが暗い、などというかもしれません=私は別にそうは思いませんでした、普通にシャンソン風熱情的なアレンジに思います。

 

こういう外見だけで音楽を即判断するのは、音楽に対する古い考え方だと私は思います。

 

昔は、霊柩車が通ったら親指を隠す、なんていうような風習がありました。

しかし、現代であれば、その霊威車の中の人が例えばおじいさんだったとして、その孫が昨日パソコンで「悲しい時に聴く曲」と検索してたまたま出てきたあなたの曲をインターネットで聴いて、感動してファンになっていたかも、ということがあり得る時代です。そういう孫を持つ亡くなったおじいさんに親しみは持っても忌避しようとは思わないでしょう。

どこにどんなつながりがあるかわからないし、そういう不思議なつながりが起こり得る、実感できる現代だからこそ、ハレとケの区分けはもちろんなのですが、もっと別のことを考えてもっと自分の糧にしていく必要があるのだと思います。

他者が絶対的に忌避すべきだというから自分も自動的に忌避する、というような世相ではないのではないか?という意味です。同様に、

単純に、自殺者が出た曲だから、そういう要素がこの曲にあるのだろう、と決めつけるのは現代では適切か?という意味です。

 

==== 

BBCも2002年まで同曲を放送禁止した、と書かれていますが、解禁されたという事なのでしょうか。

これもまた民意の向上であり、価値観というものが時代に沿って変わっていく、音楽はやがて芸術となっていく、ということを表しているように感じます。

価値観は変わる、です。

 

=====

まずレコード音源を聴いてみてください。

すみません、オリジナルバージョンというのがわからず、Pál Kalmr氏の歌唱ということらしいのですが、、、わかりませんのでしたが、なんとなく二つ載せます。

 

 

いくつか"オリジナルバージョン"がインターネットにはあるようなので、それぞれ聴き比べてみてください。

 

歌詞はみなさんで検索してみてください。

歌詞は作曲者本人の歌詞ではないので、ひょっとすると原作のメロディの意図はまた違うところにあったのかもしれません。

歌詞も楽譜もこの都市伝説に利用されてしまっています。

 

この曲によって、またその曲によって起きた自殺案件が起きたなどとして作曲者は世間から「お前は殺人者だ」というレッテルや批判を浴びます。

当人のことを思えば、それはひどいなあ、と思ってしまいます。自分が少なからず音楽に携わっているからでしょうか。でも、当時の世相で実際そういうことが一件でも起きたら、そう罵られる可能性は大いにあったでしょう。それらをツイッターで見るならともかく、新聞やメディアなどから総たたきを食らったら、それは国民の総意のようなイメージになったことでしょう。たまりません。

 

<覚えやす過ぎる旋律>

このメロディ、極めてシンプルで100%生絞りマイナーキーのメロディです。

シンプルに同音を上昇し、リフレインされるメロディ、町に流れればすぐに頭に入り、どんな生活レベルの人でも口ずさめるのではないかと思えるメロディです。

 

これがストラヴィンスキーのようなメロディであれば、街にあふれた浮浪者や、困窮に思い悩んだ人までが口ずさむことはなかったかもしれません。

単純にヒット曲の要素があったのでは?なんて感じます。

 

第一"暗すぎる"、なんて人が言うような曲なんて、書けそうでなかなか書けません笑。書いているうちに嫌になりますし、書いているうちに気分は解消されてしまうので完成までなかなか行きません。

 

わかりやすく、口ずさんでもらえるメロディを、死にたくなるようなパニック時でも頭の中に流れるぐらい頭が覚えているような覚えやすいメロディを書くぐらいの気持ちで頑張ろう、ということが作曲者への手向けでもあります。

=====

作曲初心者の方がハマりやすいマイナー曲の初期的要素、また曲を仕上げるためのセオリーをすべて備えていると思いますので、頭に浮かんだ1メロディを一曲として完成させるためにどのように拡張して1コーラスを仕上げるか、という教材としても使えるでしょう。

またこのメロディ、歌って作ったというよりも、楽器で作ることもできそうに思いました。

鍵盤をたたいてメロディを構築するときのメロディの流れのバランス、起承転結を作るための構造がこのメロディの流れにはあります。

 

ポピュラーミュージックとクラシック音楽の交差していた時代の音楽が持っていた影響力とか、それに対して批評家やメディアが持っていた言葉の力に影響された大衆の心境とか、偉い人がたくさんしゃべるラジオから流れるこのメロディの説得力とか、ちょっと想像ができません。

 

というか、そもそもどの程度、この曲はラジオから流れたのでしょうか。

 

 

<メロディについて>

最初は上行します。リリースされます。何かが始まる予感です。

それからリフレインされる下降メロディ、津軽海峡冬景色的な感じで、もう、一瞬で覚えます。

覚えたらすぐ歌えるメロディです。この音形がシンプルに繰り返されます。ごくごく自然にI-IV-Vの流れに沿うように存在しています。覚えないほうが不思議なくらいシンプルなメロディです。

これに物悲しい歌詞が乗っていたら、メガトン級の音楽だったでしょう。

 

同局の歌詞を聴いて、軽いパニックになった人が日ごろの鬱とともに心を破裂させてしまう、ということが起きたとしても何の不思議もありません。

普段は他人の迷惑になると分かっているのに、つい電車に飛び込んでしまいたいという気持ちに支配される人の心理の話を思い出します。

 

しかしながら、それで音楽の責任になるなんてことはありえません。

このあたりは一番難しいところですが、拙論でもそういう音楽のベクトルとか印象とかについてはさんざ述べていることです。

 

音楽を聴き、それを個人の印象=音楽的クオリアとして落とし込み、解釈するのは個人の責任です。この曲の場合は、歌詞に死を匂わせる、というフェイントが使われているのでなおさらなのですが、それらを当時の人がストレートに受け取り、「ああ、つらい時は死を考えてもいいんだ、ラジオから流れる声がそう言っているのだから、、、、ラジオは嘘は言わない、、、、世間を代表する意見なのだ、、だからラジオから流れるのだ」と無意識に感じて刷り込まれてしまった人もあったでしょう。

 

現代のポップスだって「あの歌が,こう言っているじゃないか」という引用をします(最近はだいぶなくなりましたが)。

"上を向いて歩こう、涙がこぼれないように"

です。

こんなに素敵な歌詞はありません。この真逆な印象を持つ歌詞が自分に与える印象を考えてください。

「打ちひしがれてもいい、つらい時は死を選んでもいいのだよ」

とそれなりに発言力のある歌手が会社を挙げて作られるシングル曲で発信しようとしたら、現代でもその影響を考えてしまいますよね。

 

解釈する自由、自由に解釈を発信する自由、受信する自由があります。

両極端な意見の中から自分に合うものを自在に選ぶことができます。

いろんな音楽趣味があっていいし、それぞれのレーンにそれぞれの音楽が打ち出されるような仕組みもできています。

 

同時に、自分で考える意見、誰のものでもない今感じたままの意見を半分しっかり「これは自分の意見だ」というものを意識の上に陳列しておくこともまた大切で、それをディスカションできる環境が大事だと思います。

 

またそうしたことを音楽を教える人が教えられる方法論を持つこと、の大切さです。

ただ単に「そんなのまやかしだ」というだけではあまり説得力がないからです。

パット・メセニーの曲はなぜ素晴らしいか、を端的に説明する必要があるのではないでしょうか。それも一貫したその人の主張として、です。そしてその考え方でパーカーもちゃんと紹介出来ること、が、学校の先生なら必要かな、なんて思うわけです。

 

そして逆にその意見が、自分の中に死を肯定する意見となって自分の中に鎮座させてしまう、ということが起こりうる、ということもこの曲が教えてくれているのではないかと思います。これがどの程度難しい問題なのかわかりません。

 

====

https://musescore.com/user/443/scores/705?audio_source=706

このリンクの譜面はちょうどハ短調なので、これ、ハ長調で弾いてみてください。つまり調号を無視して弾いて、歌ってみてください。

そんなことしても音楽ではない、と思われる方もおられるでしょうが、それは無駄な抵抗、というものです。

どんどん新しい音楽の概念が生まれていくのが現代です。

 

この曲がこの曲だけに長調で演奏すると、シンプルなメロディなのに、まるで恐慌時代の路地裏に咲く一輪の黄色い花、厚い雲間に一瞬現れた暖かい陽の光になります。こういうのが音楽的クオリアの不思議であり、これには当然原曲の印象が混じったうえでの印象になっているでしょうから、本当に不可思議です。

こういうのが音楽的クオリアであり、強いて言えば音楽の力ですね。

 

====

あと200年後は、脳は電子ツールでコントロールできる時代が来るのでしょうか。 

 

音楽は、「言語」ではありませんが、まだ人間が解明できていない、「脳が理解する多情報大容量言語」であることは間違いありませんから、未知である分その影響力はまだ全く測定ができていないのではないか、と思います。

音楽を聴くときに湧く感情と対面する、という行為はまるで最先端の脳科学の分野に触れているようです。

だから、たかが音楽、と軽んじることはできない、まだまだ現代でも難しいテーマなのではないか、と思うと同時に、そういう伝説を残した同曲の歴史を知った上で、それを「音楽の起こし得ること」として記憶していくことで一人の音楽家の人生をもっと大切に教えたい、またはそういう表現ツールとして拙論を使いたい、というように思うわけです。

 

音楽を仕事にするのは尊い、なんて思って今日も頑張ります。頑張りましょう。 

 

 http://blog.le-miklos.eu/wp-content/SombresDimanches.pdf

 

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以前ゲーム関連の知人から、音楽関連の何かディープなゲームを作ることができないか、みたいなお話がありました。時効なので書いておきましょう。我々よりも優れた制作者の何かの参考になるかもしれません。

 

不定調性論は、極端な話、現行の音楽存在から独立して、音の存在意義そのものを組み立てたり、構造化することができます。

 

つまり、

 

電話番号をメロディにしたり、

名前をメロディにしたり、和声進行にしたり、です。

 

音楽というのは人間の感覚から言って、高い芸術性を備えていなければならないもの、少なくとも最終的にはそうした価値観のものに属していなければならないもの、という先入観があります。

 

でも、あまり大声では言えませんが、

もちろん拙論に触れている方はなんとなくお判りでしょうが、音はただの音です。振動数という数値の連鎖にすぎません。

それを用いて美しいものを構築する、というのは全く別のスキルだと思います。もう、そのように考えないと、努力しないで何でもできると思ったら大間違いなのです。もうそれを声高に言える時代ですから、音楽理論と音楽をいつでも切り離せる方法論もこうして書けるようになったのです。

音楽理論を知っても音楽は作れません。

もちろん不定調性論を知っても音楽が作れるわけではありませんが、音楽そのものの扱いを

もっと音楽以外にも展開できる要素がある分、音楽をもっとプライベートで扱いやすい素材にした、ということは言えます。

音楽を作るのは作り続ける忍耐力と、そこから生まれる感性を身に付ける感受性、機械や楽器を操作する能力、そして脳が繰り出す直感をとらえる能力、だと私は思います。

 

ピアノ一台で、人を感動させる音楽を生み出す、というスキルは「音楽」ではなく、むしろ私たちの想像も及ばない闘争で生み出されるきらめきであり、理論でどうこうというものではありません。人生をかけたいくつもの必殺技を磨き繰り出すようなものです。

四の字固めだって、知っているからといって相手を一撃できるわけはなく、やはり鍛錬し、繰り替えし用いた結果であることは言うまでもありません。

 

まあ、そんな話を聞いた知人が、音楽的存在がそうしたところに昇華できるなら、音楽や楽器を使って相手をコントロールするようなフィクションができるのではないか、と問うてきました。

 

======

 

まあ、そういうことですよね。

ある音とある音の組み合わせを特殊な楽器で弾くと、相手が昏倒する・・・。

そんな和音があったら、外国の特殊部隊が買いに来ます笑

ソフトシンセ一台で相手が倒せるなら、それこそすごいコスト削減。

人はそれぞれ違いますから、その人の波長をとらえ、それに相反する和音を繰り出せばよい、ということになります。

 

まあ、フィクションですから何でもできますが、不定調性論という一本化した何かの発想で統一的に考えられないと意味がないと思うのです。

 

それは悪い冗談ですが、現実の世界では難しくてもシナリオさえしっかりしていれば、そういう一大ストーリーが作れるのではないか、というのです。

 

わたくしはそういうことは苦手なので、突き詰めることなく終わったのですが、いかがでしょう。

 

不定調性論は、一つ一つの音を立体的に配置することで、それぞれのフォルムを作ることができます。意味が与えられ、関連性が地図のように浮き彫りになります。

 

これが12音に拡張されていますから、これまで誰も聞いたことのないような和音の連鎖だって「意味」「対称性」「模様感」「クオリア」などのキーワードをベースに意味ありげに作ることができます。芸術性などまるでない存在に、意味を与え役割を与えることができるんです。もちろん個人の感性によってそれらの解釈も変わってきます。

 

これまで翻訳できなかった不協和音が、日常的言語となって存在させることができるわけです。

 

もしもある一人の高校生が、突然その不思議なシンセ(やたら目ったらかっこいい見た目の笑)を手に入れることにって、突然世の中を自由にコントロールすることができたとしたら、、、どうでしょう。

 

また、実は世界中にそうした魔法使いのような音楽の使い手がいたとしたら、いったいどんなストーリーが出てくるでしょうか。

 

漫画だと音が表現できないから、ゲームとかアニメがいいね、などという話をしながら、落ちを考えていました。

 

やっぱりどんな美しい誰かの音楽より、家族のうたう「Happy Birthday」にかなわない理由は何だ??何が幸せで、何が本当に美しいのか?

 

これはまあ私たちのテーマでもあるわけですが、不定調性論では、これを個人が感じる音楽的クオリアが、現実の音現象の含んでいる情報量を上回り、人の脳の中で情報が自由に解釈され、その人が最も自然に感じる感情に落とし込まれるからだ、と考えます。

そして、それを他人がコントロールすることはできません。

だから音楽は自分の好きなものをとことん楽しむことができる、という意味で、こんなに物質が豊かになっても、人が脳を使うのをやめない限り存在していく貴重な文化なのではないかな、と考えるわけです。

 

普段作る音楽を通してそれを訴えることを仕事にしているわけですが、これはもっともっと大きなテーマなのではないか、とも感じます。

また音楽的素材を通して、そういうことを問いかけることができたら、もっと音楽を気軽に、自分のできる範囲内で楽しもうとする人が増えるのではないかな、と思っています。

 

本当は自分で作りたいのですが、そういう素養がありませんので、もしこういうネタにピンとくる方がおりましたら、どうぞ考えて頂きたいです。

 

ご興味のある方お問い合わせください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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これも不定調性論からの考え方です。

 

===

 

Dm7 |G7 |CM7 |

 

はCメジャーキーのII-V-Iね。

 

で、

 

Dm7  |F#mM7 |G#m7(9) |

 

これはハテナですね。不定調性進行です。

 

では、

 

C7 |F7  |C7 |

 

これはどうでしょう。

 

これ?これはブルースじゃん、

 

となるでしょう。ブルースの認知度はすごいですね。

 

では同じ質問をショパンの時代のヨーロッパの音楽人に聴いたら彼らは何と答えるでしょう。

当時最先端の音楽を知っていた彼らの答えに興味があります。

こんなふうに進行感を時代感的、民族間的に、分けるのをやめられる発想を一方でいつでも持てるようにしておこう、という提案が不定調性論には含まれています。

 

====

 

教材第六章では、西アフリカ(アメリカに奴隷として連れてこられた人々の民族音楽の研究から-主にA.M.ジョーンズらの研究をベースに)音階の並行移動変化がブルースのカギ、という解釈で方法論が展開していきます。

 

つまり、

一人の人が

c-d-e-f-g

と歌ったら、それにハモリをつける人は、高音部四度なら、

f-g-a-b♭-c

とつける、という意味です。

 

これにはもっと細かい説明が必要ですが、

 

つまり、調で考えるのではなく、単純にきれいな四度でハモリをつける特徴がある、という考察です。これには四度の部族、五度の部族、三度の部族、などいろいろ区分けがあるようです。

 

もうこれだけでピンと来る人は来るでしょうね。

 

なんでC7→F7にながれるのか、が一目瞭然です。

これ、単純に四度上に上がっただけなんです。

 

これがブルースにおいて「コード進行」となり展開されていった、と理解するわけです。

 

もうこれだけで、ブルース進行がなぜ平行移動なのか、なんとなくわかってしまいますね。

ご興味のある方は、ガンサー・シュラーの「初期のジャズ」や、サージェントの著書をご覧ください。

合わせてその考察を進めた拙論教材第六章もぜひ。

 

=====

で、ここからがとても大事です。

スティービー・ワンダーなどは、そういう意味で最も進化したブラックミュージックハーモニーの使い手になろうかと思います。とにかくあらゆる展開に「進行感」を作り出し、音楽的印象を構築していくからです。

 

不定調性論があるから、どんな進行も使用可能だぜ!!

 

というのは確かにそうなのですが、だからと言って既存理論やスティービーのような先例を無視していい、というわけではありません。それらの不思議さが方法論的に解説可能になった、というだけです。

 

そのためにも、何がそんなにスティービーは素晴らしいのか、をちゃんと解説するためにレポートを書いたのです(M-Bankにご連絡いただければ無償でご提供しています)。

 

で、そうしたことを理解することで、

自分にとっての確かな進行感概念を確立し、変幻な現代音楽に向かっていただきたい、という意味がございます。

 

余談でしたが、こういうことです。

 

C7-F7

Dm7-G7

Dm7-F#mM7

もすべて同じ「和声連結」である、ということです。

 

一旦、基本理論を二年程度学習しますね、そしたらすぐにこの概念に頭を切り替えて頂きたい、又はそうした価値観を同時進行で吸収していくべきだと思います。

 

現代はもうお金も時間も資源もないんです。

 

二年音楽の勉強をしているうちに世界は変わってしまいます。

できれば一年、半年程度の理論学習を経たら、とっとと作品制作の実践にどんどん入っていき、二年後には、簡単なBGMぐらいだったらバシバシ書けるようにならないととても音楽で食うなんてできません。

 

そういうふうに教育概念を変えていく必要があるのですが、現状のシステムで教える人も多々おりますので、なかなかそうもいきません。

だから同時進行で結構ですので、不定調性論みたいな、「君の感性ですぐ実践!」というようなお祭り的な方法論を心の奥底に地雷のように埋め尽くして、どんどん攻めて頂きたいです。

 

=====

 

C7-F7は"転調"ではない、ブルースという伝統を起こさせるもはや有名な進行感の一つ、

Dm7-F#mM7は非機能進行ではない、墓地に吹く秋風のような進行感がある、とか。

Dm7-G7こそ、時に無意味で短絡的に感じることもある、これこそ「時には非機能になりうる進行」

 

というような理解をしてどれも平等に、使えるだけの精神を持とう、というお話です。

 

あなたがアイドルの曲の制作を依頼されたら、

Dm7-F#mM7

は使いますか?

非機能だから使わないんじゃないんです。墓地に吹く秋風の印象を自分に与える進行は今回出番はない、というだけです。

 

ではあなたが短編映画の無実の人が処刑された葬礼シーンでのBGMを頼まれたら、Dm7-G7は使いますか?

まあ、ひょっとすると使うかもしれませんが、もっとよくシナリオやシーンの感じをイメージし、それに見合った、響きを探っていきたい、と思われることでしょう。

 

これはもちろん和声の話にとどまりません。

どんな音楽的材料の展開について考える場合も同じです。

シンセの音色が「バイオリン」だから、高音部パートでしか使わない、というのは狭い了見です。ひょっとすると曲によってはコントラバスの音色に使えるかもしれません。または笑い声の効果音に使えるかもしれません。

とにかく膨大な勉強が必要で、そんなに簡単ではない、ということをまず理解し、早く「本気!!!」になって取り組まないといつまでたってもできません。これはわれらの年齢になってくると痛いほど切実笑。少年老い易く学成り難しですね、、若い方はなかなかそうはいかないですから、できる限り本気になれるよう一緒に徹底的に制作に付いて取り組みます。

 

でもとにかくたくさん作らないといけません。

 

自分もまだ今年は40曲ぐらいしか書いていません。もちろんここには、採用不採用、短いBGMなども含まれます。

結果が出ない時期は肩身も急に狭くなるのですが笑、こればかりは突き進んで行くしかない話ですので一緒に黙って頑張っていきましょう。

拙論の方法論もわたくしと一緒に成長を続けているように感じています。

 

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