現代ポピュラー音楽作曲の思考/不定調性論のブログ

music school M-Bank発信による、これからのポピュラー音楽のための作曲についてのトピックと、アーティスト楽曲研究、ジャズ/ポピュラー楽理オンライン講座付属のブログです。
ときどき音楽スクールのこと、スタッフの活動なども書かせて頂きます。


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本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

年々ニッチになっておりますが、制作関連の方の皆様には本当に熱く密かに(笑)ご愛用頂いております。

 

もし何か参考になりそうな発想などがあればどんどん持って帰ってください。嬉しいことです。

何より知識、技術は「盗む」ものです。

 

この「盗む」というのはパクるのとは違います。実力が付いてこないと分からない感覚、知らないと見えない技、そして一瞬の技能だけど絶対に普通の人はできない技を見定め、見落とさず得られるヒントを得ていく、というskillです。良い意味での「盗む」だと思います。

そしてたとえ教えてもらっていても、「もっと盗む」、説明を受けていても「もっと理解できるように盗む」、つまり自分が必要だと思うまで何かを吸い込む、というわけですね。お金を払ったら次の瞬間そのスキルが得られるわけではありません。やっぱり高いモチベーションがあって初めてできることだと思います。何でも。

だから好きなことを真剣に取り組むしかありません。

そして自分にないものは、スキルとして「盗む=知らず知らずに吸収してしまう感知力」以外方法が有りません。説明している本人だってちゃんと説明できていない場合だって、ポイントがずれてる場合だってあるんですから。

 

どこにも書かれていないこと、説明されていないこと、本人が気がついていないスキルを見つけ、つまりそれをパクることができる、見つけて自分に活かすことができる、というのはもっと各位誇るべきでしょう。相手にすぐばれてしまうようなパクリに技能は必要ないですが、ハタ!っと手を打って自分の技に活用できる、というのは日々の努力のたまものあってでしょう。

ここにある種の線引きがされていないゆえにパクリは有りか無しかという議論しか出てこないのだと思います。でもここにこうして書けば、やがて問題意識になって一般化し、民度を上げていくものと願っています。

 

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当ブログも、私自身ではなんとなくしかわからないこと、なんとなくすごい素材を扱い、できる限り考え方を述べています。きっと私と異なる感性を持っている人なら、もっとすごい何かを見つけて持ち帰ってくれそうだからです。

 

特に力を入れているのは、作曲時の頭の使い方について、イメージコントロールについてです。

楽曲を作るとき、どうしても思考は行き詰まったり凝り固まったりします。

それは当たり前ですね。筋トレして筋肉が硬直しないわけがありません。

 

それを上手にクールダウンさせてくれるのは、音楽の場合、先人の技や先人の表現のアトラクションを時折垣間見ることです。そこにヒントがあり、フル回転している脳みそにとっては、ときに一瞬で解決策が導かれることでしょう。

 

そういう状態(ゾーン??)において、それが発揮できるかがこの制作業の最も過酷なところですから、うまくコントロールする術を見つけ、機械の音楽に負けない人間の音楽文化を作って行きたいですね。

 

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昨年末にも少し宣言しましたが、今年はブログの全記事、不定調性教材の表現を細部まで下記の内容を伴うニュアンスで変えていこうと考えています。

 

・音楽的クオリアと銘打っている感覚の独自性は万人がそれぞれの形式で有していること。

・その感覚を発見し、育成するという事に意識を向けながら音楽活動をすることで独自性が磨かれていく、ということへの言及。

・ブログ、教材の表現もこれに特化した感覚追及の事例として列挙している旨を注記しながら、皆さんの感覚育成に役立てられるような表現に変えていく。

 

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この感覚を単純に「共感覚」といってしまうと、また微妙なゆるい話になってしまいます。

そういうひとくくりでは言えない能力が人間にはあると感じます。

 

考えてみれば、

 

「音楽を聴いて心から楽しめる人はみんな共感覚者」

 

だと思います(用語の定義は別として、です)。

つまり人類のほとんどがそういうなんらかの特殊感覚を有していて、そこに程度の差があり、種類の差があるから、いろんなアプローチが生まれたのではないか、と思います。

また、それを理論という形でくくれる人は、むしろ「完全無共感覚者」であり、そっちの方が実は稀有ですごい事なのかもしれませんね。自分の意思に左右されない、とか完全体かよ、ですね笑。

 

不定調性論のアプローチはどちらかというと「ある共感覚者の記録」です。

しかし他者がこういう感覚を有し、それぞれ違う感覚を有していることはよくわかります。バンドなどでは、この個々の感覚の差異をすり合わせていけるバンドだけが生き残るのではないかと思います。

 

音楽理論がどうのこうの、と日本のSNSではよくコメントが荒れたりしますが、これってある種の共感覚者にとっては議論しづらい話なのではないか、と思います。どんなに「トニックはこうだ」「この和音はこういう動きをするべきだ」といわれても、目の前に得体のしれない魔物が襲ってくるような和音を聴くとき、又は壮大な見たこともないような惑星空間が広がってしまう和音を弾くときなどは、音の楽譜上での細部の動きなんかよりも、目の前に広がるその光景を彩るためにこの和音どうしてくれようか、としか考えることができません。勉強はしますが、それはあくまで絵の具を買ったに過ぎず、その組み合わせが楽しいのです。名前のない色を作るのが楽しい。だから理屈に合わないこともしますし、理論書に書かれていないことを平気で信念をもって実践できたりします。

それが現実に目の前で起きているからです。

もちろん幻視ですが、音楽という存在は、そういう感覚=音楽的クオリア、にとっては、音楽が意識に引き起こした現実、である、と考えることで初めて創造する意義とか意味をモチベーションにすることができます。それを「勝手の思い込みだ」「誤った知識と感性による稚拙な感覚だ」などと思っていたら何も生み出すことなどできないのです。

逆にそこを突けば、クリエイターを一瞬黙らせることはできます。「君の感覚はおかしい、知識に基づく経験が足らない」。でもそう言ったところで明日からそれをなくすことはできません。自然と又膨らんでいってしまうからです。もっと親身に付き合わないと「育成」というのはできないし、とても難しい作業です。私の場合は「一緒に行う、一緒に考える」というのがとても成果があって好きです。

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EDMのイベントでなんで若者はあんなに熱狂するのだろう?

とか

某男性アイドルグループのコンサートで、なぜあんなに熱狂するのだろう、

とか

思われる方もいらっしゃるでしょう。そういう方には、あと少しでいいので、音楽的クオリアについての理解を進めて頂きたいです。

 

ライブという空間から、自分が喜ばしいと感じる何かを確かに感じ取ることができます。現実感として。それを感じる体質か、体質でないかの違いだけであって、感じない人にとっては、あれほど意味のないことはない、と思うかもしれません。でもあなただって、あなたのしていることだって、他者から見れば、ちょっとそれ何とかなんないの?と思われていることでしょう。皆おんなじではないでしょうか。

 

たとえ歴史上の優れた人が身に着けていた技能・知識を自分も共有できるから、自分は正しい側にいる、と考えているのだとしたら、それは錯覚だと思っておいたほうが楽しいです。そうすれば、それ以外の多くの他者を非難するまでに及ばないでしょうし、他者からいろいろ学べます。たとえどんなに優れている、正しいというものを持っていても、人生の現状は、あまり他者と変わらないはずです。

どちらが優れているとか、本当にないのだと感じます。スティービーのいう「人間裸になれば皆同じ」という意味がなんとなく見えてきます。

 

学問体系、芸術体系の権威というものはありましょうが、何かをクリエイトする人にとってはあんまり関係がなく、そういう権威は、それらに価値を置いて商業的価値にしたい人、それを認め表彰したい人、そういう格差を設けて生きやすさを追求したい人が作った概念である、というだけだと私は思ってしまいます。そういうと社会そのものが壊れてしまいますから、それがあることは良いことだとは思います。しかし、それこそが「価値である」などと思いこんでしまうと人は傲慢にならざるを得ないと思います。傲慢になると怒りしか湧かず、疲れます。また他者をも疲れさせます。優れているけどできれば深く付き合いたくない人、というのはどこにでもいるものです。難しいですね。優れているのに。

 

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他者と互いの趣味を共有する、というのもなかなか大変です。

一人ひとり感覚が微細に違いますし、美しい、と思えるものに対する感覚が異なるからでしょう。だからその価値を共有できる人をとても好きになり、自分のパートナーにしようと思えます。そして運命の人は世界に何人もいないわけです。

だから他人を変えようとすることで感じるストレスよりも、理解しようとする努力によるストレスを感じるほうが何か見えてくるのではないか、と教育現場で戦って常々思います。不定調性論もそういうアプローチです。

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それなら、せめて科学的事実とその知識だけは事実だから共有すべきではないか、とおっしゃるかもしれません。でも私はこれもよく分かる事が出来ません。理解しようとはしています。でもよくわからないのです。科学的な知識、つまり世の中で「これは明らかなものとする」と学会で決まったことですら、あるクリエイターにはあいまいな存在でしかないのではないか、と感じるからです。そのあいまいさは自分にとって確かです笑。困ったものですね。

これは気質だと思います。きっと事実は科学雑誌の書かれている通りなのかもしれませんが、自分の頭の中を覆う創造性というフィルターを抜きにして物事を考えられないのです。

「赤を青として見ないと面白さを感じない」からではないでしょうか。こんな人ばっかりだったら社会は混乱します。だから科学者は必要だと思いますし、一般的な理論を「取り決める」必要があるのだと思います。でもそれはあくまで社会を円滑にするための道具で、先の「絵の具の種類分け」程度なのかな、と。こういうのは数学の公式教育のちょっとネガティブな影響なのかな、とも思ったりしますが、誰の責任でもない文化の飽和のようにも思えます。

新しい価値を常に社会に滲ませる存在でありたいです。

 

私はそういう自分の気質に、音楽研究をやってはじめて気が付きました。最初は和音を聴いたら風景が広がる、小説が浮かぶ、とか誰でも当たり前だと思ってました。

しかしこれは個人差があるのだ、と知った時から当ブログも一般論の追及ではなく、独自の観点の追及と、事例(症例?笑)の記録として書かせていただくとともに、同じような感覚を持たれる方への理解、奨励、育成について考える場とさせていただいております。

 

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昨年から、制作にますます入れ込んでいますので、より独自の観点の立ち位置の様々な変更を迫られています。様々なオーダーは自分の一つだけのフィルターを様々な様式に変更させる楽しさがあることが分かりました。

 

このブログも、研究者目線から、クリエイター目線に変更する作業を今年は合間合間に行ってまいります。

・これから音楽を作る人、

・独自のやり方で音楽を作っている人、

・伝統知識に疑問を感じてしまう人(伝統知識が悪いのではありません、あなたが個性的なのです)

こういった方が、より羽を伸ばして、自分が望むやり方を模索することに時間を割き、それがブランドになるまで集中して努力できる思想環境を、ここから引き続き発信してまいりたいと思います。でも大学などの専門教育を決しておろそかにしないでください。人類の叡智です。でもそれを得ても傲慢になったり安心しないように。その知識は200年後、全く異なるものになる恐れがあるからです。生きる拠り所は自分の感覚、自分の意志以外にはないと信じます。

「不定調性論」は小さな思想形態ですが、ブランドです。皆様にブランドにしていただきました。最近SNSメディアで少しずつ見かけますし、こちらのスタジオでも「不定ナンたらの人ですよね」笑、みたいに全く知らない方からお声を頂戴します。

 

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もちろんこの活動によって世間に、この先10年ぐらい「中途半端な独自性を混ぜたあまりうまくいかない音楽」が増えるかもしれません。

でも。それは過渡期を経ている、というだけで音楽文化の劣化ではないと信じます。まさに進んでいる現在を見せられているだけなのだ、と。

 

新しいクリエイターがより本気になって独自にクリエイトする方法を脇目もふらず追求する、という事を決断させるのが「不定調性論」のやり方です。

その決断によって自分の音楽を究められる人が、音楽の本当の楽しさと自由を得られる人が少しでも増えていくことを純粋に願って記事を書いております。

 

過去ブログ記事の文章が少しずつ変わっていきますので、時々また読み返していただければ幸いです。

 

今年も健康で、いけるところまで行きたいと思います。

よろしくお願いいたします。

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数年ぐらい前からこの不定調性感覚についての指摘は様々な方からいただくので、それを今年は最後にまとめて来年への展望としたいと思います。

ちょっとこのブログをご覧いただければ、お分かりになる方も多いかと思いますが、拙論による音楽的クオリアの活用というのは、質感を感じる感覚の活用(「共感覚だよそれ」と教わりました)です。

 

誰しも生きていれば、特殊な感覚を持っています。それを活かさねばならない仕事をしているか、そういう環境にあるかないか、でしょう。

 

次年度の第七章の追加事項は、実際の作曲活用と、この感覚そのものへの理解と発展について書いてまいりたいと思います。

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自分の場合は、音を聞いて色を感じるとか、そういうのではありません。

もうストーリーになって勝手に見えてきます。色だって一色ではないし、複数で、みたこともない光だったり模様だったり、感じたこともない感情だったりします、ホワイトノイズ聴いてるとお経が聞こえる、とか、もうそういうレベル笑。

だから現代音楽だろうが何だろうが、下記のレポートのように自由自在にストーリーが作れてしまいます。

これは作っているのではありません。音楽が勝手に生んでくれるんです。

http://ameblo.jp/terauchi-mbank/entry-12065738396.html

 

ちょっとした音の芽から勝手に展開していきます。

タイムラグがあり、聴いて、止まって、そのイメージがストーリーになるのを待って、そしてばーーーん!!と頭の中にやってくる、そしてまた再生、です。

まるで映画の予告編でも見ているかのような勢いで。

自分はつくづく研究職につかなくてよかったと思います。

こんな勝手な人間が研究をしたら、誤った認識だらけになってしまいます。

だから伝統的な教科書の言っていることが全く理解できないのです。

自分にとってドミナントはどれ一つとして同じではなく、どれ一つとして違った形と印象と機能を持っている、などと今更私が言ってもどうにもなりません。学習というのは古き時代から一般的に広く認知されている知識をもとにその体系を引き継ぐことです。私はそれは今はまだできません。

やはり私自身が今やるべきことは、不定調性論という看板を掲げて、「ある共感覚の事例」を示し残し続けることが唯一出来る責務であると思います。

 

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しかし、毎日レッスンやアーティストの話を聞いていて思うのは、皆それぞれ違う感覚と特殊性を有していて、それをうまく使っていけるかどうかだ、ということです。まあそれ以前に症状の模索から始まるのですが。

 

医師ではないので事例と照合して説明できないのですが、

たとえば自分なら、

目をつむった時の光と黒の点の模様であるパターンが生まれるとそれに見入ってしまい目を開けられなくなるとか笑、究めて変な感情を持ってしまう閉所恐怖症とか、、

違う次元の、並行宇宙?の、今の出来事が気になって思考が停止したりとか(もはや病気じゃないか笑)、

そういうことでなくても、

今日はニンジンが食べたい、とか、あ、カルシウムが足らない、とか具体的に感じることもありますし、時にそれが心霊的な話に呼応したり、第六感みたいになったりします。

でもあくまでそれは、脳が勝手にはじき出しているランダムなもので、修行をして鍛えたわけでもないですから、全くとりとめもない感覚で素通りしています。

 

もっと明らかな感覚をもう少し挙げれば、

町の匂いを感じた時、全く違う人生を送った自分を感じたり笑、、

絶対にこの道は今日通りたくない!とか、灰色の空の絵を見るととてもおかしな閉塞感の中に囚われながらも満足してしまうとか、、、笑(変態じゃないか)、

もうこんなやつクリエイトする仕事以外絶対に就けないだろう感バリバリです笑。でも気にしません。それを日々音楽に落とし込むことでバランスがとれているからです。

むずかしいですね。といって人の音楽が、なんか違うとか、これはまずいとは感じません。何が起きているのか自分で解釈し、自分ならここをこうしてこう直して、こういう音楽にする、と具体的に指摘できます。でもそれはその人のクオリアとは異なる場合があります。そこを擦りあわせるのがレッスンの場です。

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でも、みなさんだって、きっと何かあると思いますよ。そういう自分に得体のしれないパワーになる何らかの事象パターンが。それは現代の科学ではまだちゃんと説明できないかもしれないけど、必ず自分の仕事、生き方に役に立つパワーだと思ってそれに向き合えるかどうかではないでしょうか。

 

またクリエイター業をやっている人ならだれでも鋭敏になってしまう感覚であろうとも思います。ようは、どう生かすか。

 

その解決策を探し、活かすことで、人生は充足たるものに近づいていくのではないか、と感じます。それは自分で探して、自分で構築する以外ないですが、一緒に探して教えて、ある程度ビジョンとして形作るところまではいける自信があります。それがこちらもわかるからです。

先生という職業は、そうしたことができる人が取り組むべき有意義な仕事ではないか、と思います。教えるのは教科そのものではなく、自分の専門教科はあくまでコミュニケーションツールであり、互いの感性の翻訳ツールであるだけで、本当はその人がどういうことができる人なのかを一緒に考えることに付き合う仕事であると思います。

だからマンツーマンは最適であり、これ以上の成果は望めません。

(グループレッスンが悪い、というわけではないです。これはタイプの異なる話です。)

====

最初は自分でも全くわけのわからない感覚を探り、とりあえず感じた感覚を正直に記事を書くところから始まり、音楽的クオリア=共感覚の新しい可能性とかそういうことを具体的に考えるところまで来ました。

アメンバー限定で、作曲とコンペへの取り組みから見えてくるこれらの不定調性感覚のDTM、作曲への実践などについてもご覧いただきながら

http://secret.ameba.jp/terauchi-mbank/amemberentry-12232222612.html

(教材の次々最新版2018版には掲載予定です)、いろいろな方面から自分自身ができることを展開して発信していこうと思います。

 

2017もよろしくお願いいたします。

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レッスンで用いた一つの事例としてシェアいたします。

 

かのビートルズのYesterdayなのですが、まずこちらを聞いてください。

Yesterday0

https://soundcloud.com/kan_takeuchi/lesson-materialsyesterday0

 

これはGメジャーのキーのメロディで、Gメジャーのコードを当てたものです。

 

で次はこちら。

Yesterday-2

https://soundcloud.com/kan_takeuchi/lesson-materialsyesterday-2

これは上記と同じバッキングに、全音下げたメロディ、つまりFメジャーのキーを主体としたメロディを乗せたものです。つまり、GメジャーのYesterdayの伴奏(微妙に変えてる)に、FメジャーのYesterdayのメロディが乗っています。

 

そのまま載せても、まあそれなりに聞こえはしますが、レッスンの素材としては多少アレンジした方がいいと思い、ちょっと下記のことをそれなりに考えてみました。

 

■Gメジャースケールの構成音は、g-a-b-c-d-e-f#、Fメジャーの構成音は、f-g-a-b♭-c-d-eであるから、もしメロディが全音下がった場合、主音のfはどうしても避けられないから、Gミクソリディアンで伴奏の主要コードを考えておけば(特に主和音)、fとf#の問題は回避できる。

■同様にbとb♭の問題は、b♭をGミクソリディアンにおける、ブルーノートの♭3rdと考えれば良いから、それっぽいニュアンスのメロディに変える。

 

、、、と言って、何か素晴らしい世界が広がる、ということでもないのですが、

 

これは曲全体がD/C化、つまりII/I化しているということで、まあここではベースも全音上がってますから、旋律/和音がII/I化している、みたいに考えていただければ、よろしいかと思います。領域断層和音をテーマ全体に応用した例、な訳ですが、まあそんなことはどうでもよくて、この違和感というのは、

Dm7  G7  |D/C

の違和感そのものの拡張な訳です。このII-V-I進行はみなさん受け入れられると思います。

多分、鮮やか、というか、浮遊というか、上昇というか、ポジティブな落ち着き、というか、そういうニュアンスを与えます。

これが曲全体になってしまうと、まあ微妙な感じになってしまうが、決してどこまでやっていいか、という境があるわけではないし、「違和感、不協和感の統一」という意味においては、統一は一応とれているともいえます笑。

音楽理論的に、これはやっちゃダメ、ということはどこにも書かれていませんし、この美的感覚が一般的ではない、というだけで、決してこれをやると電車が遅延する、とか、お隣が出火する、ということでも、預金残高が急に減る、ということもありません。本人がそれを自分の音楽性として意味のあるものとして打ち出せるかどうか、だけの話です。私個人は面白いとは思いますが、安易だとも感じます。じゃあ半音下げたらどうなるの?半音上げの時は?50セットメロディをあげたらどうなる?とかって話になってしまい、その「差異の統一感が生み出す空気感」を自分の音楽的表現にしようとは思わない、というだけです。これがしっくりきちゃって、面白い!もっと自分でやってみよう!という人こそもっと素晴らしい差異感の芸術ができることでしょう。

 

しかしながら、何度も聴いていると、なんかちょっとハイブリッドなジャズっぽく聞こえてくるから不思議です笑。

トラディショナルな楽曲のアレンジにおいて、「全音違い」をここまで引っ張ると違和感があるでしょうが、時々やってみると予想もしないハイブリッドな響きのクオリアを持ってくれるのではないでしょうか。

またこういうところが既存の音楽理論の面白いところでもあり、理屈上許される、という免罪符を基に「理論的にはハマっている」新たなサウンドを作ることもできます。

不定調性論では、その鳴っている空気感がどうか、ということだけから考えますから、たとえハイソで難解でハイブリッドな音楽でも「ダメなものはダメ」と自分の感性で判断して良いです笑。。

 

作ってみて、1コーラス全部ってのは自分の音楽性ではちょっやりすぎかな、と正直感じました笑。つまりこれだけだと安易ですし、応用が効きすぎて芸がない、と申せば良いでしょうか。

 

これ統一せずに、

全音下げ→半音上げ→ぴったり→半音上げ→全音上げ、とかってやったらもっとなんか素晴らしい世界が広がりそうな気も。。。。しないかな。

興味のある方は限りなく理論的にトライしてみてください。

 

なかなか難しいですね。

 

<今回の使用コード>

G7  |G7  |

G7  |F#m7(11) Bm7 B7 |Em(11) D6 |C9  D7(13) D7sus4(b13) |

G7sus4 F#7 |CM7(9) A7(9) |Csus4(9) G9 | 

GM7(間違えた笑) |F#m7 B7(b9) |Em(9,11) |CM7  D7(#9) |

GM7(9)(これも間違い笑) F7(9) |Em7 A7(9) |CM7(9) G(9) |

B7sus4 B7(#11) |Em9 Dsus4(9) Csus4 Esus4(9) |Am6 D7 |GM7(9)  |

B7sus4 B7 |Em9 Dsus4(9) Csus4 Esus4(9) |Am6 D7/C D7(11) |

Gsus4(9) G6  |

Gadd9 A7sus4 |Csus4 Gadd9  ||

 

 

 

 

 

 

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ご質問いただいたのでアップいたします。

アッパーストラクチャートライアド分類表です。

 

其の一

其の一は主なダイアトニックコードの上部に理論上作成可能なUSTがディグリーで書かれています。

 

其のニ

其の一はCのキーで書いたものです。

 

其の三

其の三は結果どんなトライアドがどの和音に含まれるかをCのキーで振り分けたものです。

 

例えば、USTでC△を持つ和音でコード進行を作ると、

Dm7(9,11)  |C/E   |FM7(9)  |G7sus4(13)  |

などが、

C△/Dm  |C△/E  |C△/F  |C△/G  |

などの分数コードに展開できることが分かります。

 

これは理屈だけ覚えてしまえば、あとは指の動きを固定するような和音進行を作ることで自然と対称性や整合性を作ることができるようになりますので、ふーーーん、そういうことなんだ、程度に考えておけばよいように思います。

 

不定調性論では、こうしたUSTから分数コードへの展開が機能の拡張、響きの感覚の拡張に伴い、ミラーコードや、複分数コードなどへの理解につながり、そこから不定調性進行への理解も自然と進んでいくと考えています。ジャズの突飛な進行と和声の歴史をくっつけ、そこから「個々人の和声感を作る作業」まで一貫して突き進むことができます。

 

たとえば、

C△ |Eb△ |A△ |B△ |

は同一和声単位の進行と不定調性論でいうことができますが、これをこじつけて解釈すれば、其の三の表から、この進行は、

C△ |Fm7(9,11)   |G7(alt) |CM7(Lyd) |

のただのIVm-V-Iである、というような機能和声の超拡大解釈も可能なわけです。

こうやって機能和声は、拡大解釈できる先進性を、機能和声論の枠の中に収めることで解釈の進化に成功させました。

 

やがて、本来作曲者が使いたいのは、メジャーコードの連鎖による、いわゆるUST側のみを単独で使用する、という感覚に変化していきました。

これはコルトレーンが展開して、ビートルズが世界に広めたものであり、意識の進化、というより、必然的偶然とも言えるような自然な和声の扱いの意識を変えていく時代の流れであったのではないかと思います。

つまり、解釈としてはUSTを用いる必要があるけれど、使いたいのは、USTとしてのトライアドではなくて、知識や解釈がない状態で自由にメジャーコードをつなぎ合わせられる方法論、としての学習方法が求められるようになった、というわけです。

 

ここにきて「ただ知ってるコードを自分が好きなようにつなげれば良い」という発想に行き着きます。これはこうした解釈の進化の先の世界であり、それらは方法論として明確に示されていませんでした。不定調性論は、ここからスタートして、伝統技法の拡大解釈の理由と意義を探っていき、12音の関係の再構築、和音の作り方を変えていきました。

 

学習される方は、様々な解釈ができるように伝統的な知識を蓄えながらも、同時に不定調性論の考え方をご理解いただくことで、結局自分が今演奏しているその響きが、今作っている演奏に、楽曲に合っていると思うか、思わないか、だけを考えていけば良い、となります。

 

次年度の教材には付録として付けました。。

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