現代ポピュラー音楽作曲の思考/不定調性論のブログ

music school M-Bank発信による、ポピュラー音楽のための作曲思考について、アーティスト楽曲研究(主に作曲観点からの思考について)のブログです。
ときどき音楽スクールのこと、制作物のことなども書かせて頂きます。

創立8年目がもう直ぐです。
拙論の詳細公開からは5年目でしょうか。
実は随時、無料の不定調性論勉強会など開いておりました。
今年もさらなる出会いを求めてブログで告知致します(なるべく)。

=3月の予定=

3月26日(日)5名様ぐらいまで

=4月の予定=

4月23日(日)5名様ぐらいまで

※初参加の方優先_受講経験のある方もお待ち頂く事がございます。
※希望内容によっては日時をずらして実施することもございます。

場所:世田谷区駒沢3-2-1-8F M-Bank STUDIO
時間:18:00-(21時ぐらいまで)
参加費:無料
ご予約フォーム:

https://ssl.form-mailer.jp/fms/29e66f76495827


別途プライベートレッスンのスケジュール、レンタルスタジオの運営がかぶってしまった場合、急遽変更・中止となることもございます。ご了承ください。
お食事持参、飲み物持参OKです(飲酒はご遠慮ください)。
軽いディスカッション形式です。内容は幅広く、作詞作曲編曲、DTM、音楽理論(ポピュラー・ジャズ)、ギターのフレット音楽理論といったところも兼ねたうえで、不定調性論についての言及と探求、ブログ記事の解説と考察などなどです。
出張講義や、がっつりマンツーマンレッスンなどの際は別途お問い合わせくださいませ。

https://ssl.form-mailer.jp/fms/8351c6c668507


テーマ:

 
やっぱり今年の春の夜長の宿題はこれでしょう。
改めてこの観点のご質問をいただきましたので、考えてみましょう。
 
三つのエリアのグループ分けの類似についてのご指摘なのですが、実はバルトーク研究のレンドヴァイ氏の著書には触れずに12音連関表は作られました。

G-Bb—C#-E
C-D#-F#-A
F-Ab-B-D

この偉大な先行研究には最大限の敬意を払いながら、観点をご説明させていただければ幸いです。
不定調性論は作曲思考論=そんな学問ない??ですから、未知なものを創造できるためにどんな発想をしていけばいいか、というところに力点が置かれるので、このレンドヴァイ先生の学習を行っていただいた先に置かれるべきものです。
先といっても、別に最先端のすごいえらい思想、ということではありません。すごいのはやはり和声だけでなく、リズム、構造論までオレ流でまとめあげたレンドヴァイ先生の神研究ですよ。
<参考>
「バルトークの作曲技法」エルネ・レンドヴァイ著 谷本一之訳 第17版(2005)
P1-2******
Cをトニカ(T)とすると、4度上のFはサブドミナント(S)、5度上にはドミナント(D)である。
====
と書かれています。
不定調性論はこの、T、D、Sという機能の統合を考えるとこから思考がスタートするのでこの前提を認めません。つまり例えば「ドミナント」とかいう機能と性質を5度上の音の存在から消し去る、という作業です(いったん消し去り、別の角度から意識に戻していきます)。

だからこの前提は最初は認知できません。
同書は続きます。
P2
トニカと平行関係にある6度上のAがトニカの機能をもつものとすれば、
====
これも仮定しないのが不定調性の考え方です。
そうしないと「トニカとは何か、そしてどのような理由からこのAはトニカの機能をもつと仮定できるのか」を証明しなければなりません。
もちろんC−Amの観点とか、C6の転回型がAm7であるから、という理解からかもしれません。でもそれはあくまで慣習の結果です。慣習は大多数の主観であるかもしれませんが絶対ではありません。そういう慣習をできるかぎりフラットにした平均律12音の世界を作りたかったのです。


トニカ、という存在が平均律音楽文化における慣習であるとしたら、まずその慣習を排除したのが不定調性の出発点なので、この相関関係も認められません。
なお、この大前提について、「バルトークの書法」やその他の論文でどのようなことが書かれているのかわからないので、ここではそのレンドヴァイ先生が話の根拠について書くことができません。
結果として、自分で決めた前提がゆえに、トニカ、サブドミナント、ドミナントの3グループはこの時点で作ることができません。
では不定調性論は、どのようにこの三つの区分けに行き着いたか、というと、
近似倍音の発生に基づく類似性からでした。
http://circle.musictheory.jp/?p=5244
こちらや
http://circle.musictheory.jp/?p=5418
こちらをご覧ください(または不定調性教材お問い合わせまで)。
https://ssl.form-mailer.jp/fms/156e2458110312
倍音発生の類似性とパターンだけを用いて、分類して作ったんです。たまたま同じ分類になった、と言って良いです。中心軸で見る、とかそういうことも行いません。

続きます。
P2*******
ここでDTS(ブログ主注「ドミナントートニカーサブドミナント」)のパターンが繰り返されていることに気づくが、この周期的繰り返しを五度圏全体に拡げてみると、中心軸システムの構成が明瞭になってくる。
====
とあります。
五度圏でc-g-d-a-e-という流れをT-D-S-T-D-と流れている、という指摘です。

拙論では機能を認めないので、もちろんこのようにパターンを拡張することができません。五度圏などの連鎖は倍音発生の数理の規則性として以上用いません。
ポイントは、倍音の発生状況の純粋に数理として類型化したことで”音楽とは関係のない”12音連関表ができた、ということであり、それが中心軸システムと同様であった、という点です。


P3*******
それぞれの軸の各4つの音を減7の和音を構成するものとすべきではなく、4つの異なった調の機能的近親関係と認識することが大事である。それはちょうど、古典派の音楽の平行長・短調の関係(C durとA moll、Es DurとC moll)にたとえられるものである。
====
となっています。
ここも拙論は「調」を認めないわけですから、平行調の例示もできません。
しかし、調を考えなくても同じ関係を表出することができたわけです。
そのような意味では、レンドヴァイ氏の区分けを別の角度から補完した、と考えることができます。
賢い皆様には、調や機能に固執しなくても良い場合があるのではないか?という点でこの中心軸システムを見ていただけると宜しいかと思います。そこからが不定調性論です。ビートルズやスティービーの曲を直感的に作るための感性のための方法論です、大げさな言い方ですが笑。


調と機能で区分けをしたい方は、このメインストリームである、中心軸システムの考え方で、転調概念の拡張を図っていけばよろしいかと思います。応用度の高い考え方だと思います。
不定調性論では、これらの音の配置を一つの設計図とした上で、自在に行き来しても、「それなりの雰囲気の連鎖ができ、音楽は成り立つ、なぜなら調や機能が音楽にあるのではなく、人の感じ方の進化(音楽に対するイマジネーションやアイディア)が自在になったからだ」と捉えるわけです。決してその音をつないでいるのは、理論だけではなく、人がそうつなげて良いと思ったその感性が優先される、という発想です。だから常にこの分析方法や思考が万能ではなく、人によっては成り立たず、時と場合に逸脱し、ということが起こり得るので、こうした発想をもとに、自分なりの和声のイメージを作るしかないのだ、と訴えるわけです。
そんなこ誰でも分かっているのですが、そこをサポートできないと音楽教育は衰退してしまうのではないか、そんなふうに思ったりしてます。
また、


P3-4******
1つの軸の極点の音、いまそれをCとすると、その対極点の音Fisは他の軸の音、例えばAよりも強い機能的近親関係にあることに注目しよう。極点の音は常にその同軸上の対極点の音とその機能を変えることなく入れ替えることができる。
====
いわゆる裏コードの話、としていける部分です。つまり、
G→C

Db→C
とすることができる、という発想です。
これも単音で成り立つ、ということはわかるのですが、これをいきなりV7とIIb7の関係にまで持っていくのは飛躍である、と不定調性ではなってしまいます。
どこにも和音の話はまだ出てきていません。あくまで単音の関係性だけを述べていただけです。
V7の構成音はどこから来たのか、どのように発生させたのかが明確ではないので、これも「慣習の流用」になってしまうからです。V7は前提としてあたりまえ、とはしていません。
V7→Iの機能と意味を疑うところから拙論が始まっていますから、無条件でドミナントコードを出現させる根拠が不定調性にはないんです。
しかしながら最終的には、この慣習を「無視」することもしません。慣習の排除を行おうとしたのが十二音技法であるとすると、不定調性論は「自分が身につけてきた音楽感覚全てを用いて音楽を作るべし」というスタンス=バルトークがやろうとしたことかもしれない、ですから、
主要三和音の機能を難なく学べた人はトニカ、サブドミナント、ドミナントの機能を流用することが可能です。
身につけてしまったものは使わにゃ損です。それが自分に正直になったとき出てくる感覚であれば使うべき、という発想であり、不定調性論はそれらの思考を自分に認めてやる、ということができるやり方を展開していきます。

また拙論は和音の作り方も異なります。
V7は長調の音階音を組み合わせて作ったものです。しかし不定調性論の最初の部分には調も音階もないので、そうしたいつも使ってる和音を簡単に作ることができません。あるのは数理だけです。そこで「1音に親和する音の表」を作りました。それが「数理新和音モデル」です。
http://circle.musictheory.jp/?p=5092
これです。
この純粋に平等に拡張した音の群から、自由に弾き手がどの範囲までを使うかを決め(反応領域)、そこから音をピックアップして和音を作り、連鎖させる、という発想になります(独自のコード進行連鎖法の確立)。
7thコードは上方7倍音までを使えば簡単にできるので、作成そのものは簡単ですが、決して長調の音階に基づいて無条件に用いている、というわけではありません。
この数理親和音モデルから、様々な「和声単位」を作り、自在に三度堆積でない和音を構築していくことが可能になります。
この三つのグループは「機能によって括られている」とするのが中心軸システムですが、この三つのグループは数理的に、調や機能と関係ないやり方でもくくったのが不定調性のやり方です。レンドヴァイ先生がくくった「機能の枠」を取り払い、別の類似性でくくることで、これらの三つの音組織は機能から解放される、と解釈するわけです。
するとどういうことができるでしょうか。
例えばT-S-D-Tのバリエーションで見たとき、
key=C durとして、
C |F |G  |C  |

C |D |G  |F#  |
これらの各位置の和音は中心軸システムから同じ機能を持つ、ということになります。
機能解釈はそれでも良いですが、よく弾いてみてください。
その音楽が言っていることがまるで違うと思います。
つまり代理できたとしても、表現しているニュアンスが変わり、イメージも変わっていく可能性を否定できないと思うのです。
だから「機能を拡張」して、類似性と関連性でくくるのではなく、機能を取り払い、個々の配置だけを視野に置き、自在にそれらを行き来することによって、新たな雰囲気ができ、それを旧来の「機能概念」の慣習で身についてしまったことをうまく用いながら、新たな音楽を作ることができる精神的土壌を作り上げるわけです。
またはレンドヴァイ先生の功績の一番のポイントはこの精神の発端を分析学の分野で作り上げたことであると思います。まさに「機能概念の拡張」ですね。
だからこそ、
C |D |G  |F#  |
を弾いても、今の皆さんであれば、
「うむ、なんとか、旋律が乗せられそうだ、、、」
なんて思えるようになったのだと思います。時代ですね。
これを「機能の拡張」ではなく、雰囲気の連鎖になっている、というところに意識を持って行ってしまいましょう。では、
C |DmM7 |G7M7  |F#  |
こうなったらどうですか?

これってまず、「あれ、ところで、Cは上方倍音のi,iii,vで作ったけど、DmM7ってどっから来たんだろう?それにG7M7っておかしくないか?」
て思考がつまづくと思います。「こんなコード使えない」とかなります。どっから出てきたんや!こんなに理詰めてきたのに、いきなりmM7コードとか、どっから作って持ってきたんや!なんで作れたんや?なんか適当に知ってるコード当てたんやないんかい!
もちろん拙論ではこうしたコードを作るための考え方をがっつり用意しました。

バルトークの時代にはこういう和音は「存在しえないもの」だったかもしれませんが、現代もうそんなこと言っていては新しい音楽はできません。その可能性を閉じることは今自分の首を絞めることです。
でも伝統学習はとても大切です。島岡先生もそれはおっしゃっていました。とても優しい先生で私の主張をすぐに理解しながらも「ジャズの理論のことはまるでわかりません」として、論点を整理頂き、ジャズのアレンジはそうして考えると一つの変奏曲のようですね、と思わず膝ポンな指摘が印象的でした。
どんなに優れた講師でも、専門以外というのは同じ音楽でも分からない、となってしまうのはポップスとクラシックも同じですね。
ジャズはジャズらしく生きようではありませんか笑。あとは自分はできるだけ架け橋になりたい。クラシック音楽理論の凄まじさがあるからこそ不定調性は存在が許されるのですから。

そして、このG7M7というのはチック・コリアが用いたコードです。
使っている人はいるわけです。そうやって思い直してこれを演奏してみると、プラシーボ効果のように、
「うむ、なんとか、旋律が乗せられそうだ、、、」
となると思います笑。あとは好みです。好みだけは理論ではどうにもなりません。だから音楽は面白いんです。


「音楽、最後は好みである」



これ大事です。誰もあまり声高に言わないけど、これ大事。不定調性論は大きな音楽の権威に向かって「音楽は好みの連鎖であり、他を排除せず、自分の音楽を突き進もう」と言っているわけです。


この和音進行はどうやって作ったか、というと、もちろん中心軸システムの設計図が頭にあったわけではありません。
ただ、mM7の響き、7M7の響きを弾きながら選び、連鎖させているだけです。
これによって私は、この進行に「かゆみを伴った喜び」→「変態的は初恋の思い出」→「そのときに見た変な雲」みたいにイメージを広げて固めて、それを音楽に昇華しようとします。
不定調性論は作曲思考法なので、未知なものを作るための方法論です。
コードを10個覚えた時、それらをなんとなくつなげながら、わけも分からないけど、かっこいい響きや流れを見つけ、創造していくポピュラーミュージックの現場的な発想からスタートしています。
機能も知らず、進行も知らないけど、見よう見まねで曲っぽいものができる理由は何か、学習を後回しにして、コピーだけですぐれた曲を書く人がいるのはなぜか、と考えた時、誰でもできる方法論は、覚えた響きのイメージを頼りにそれらを感性のまま連鎖し、曲構造を作るその行動そのものの大切さを身につけることです(ある程度訓練必要)。
そしてその方法の一つが不定調性論であり、この考え方を、伝統学習や、段階的理論学習と並行して身につけながら、セオリーの表裏一体をどちらからも学び、より早い段階で「自分なりの音楽の捉え方」を身につけていくことがベストである、と考えるわけです。
そのためにビートルズ的音楽発想法について述べているわけです。どうやったらギター一本で曲が作れるか、を考える、ということですね。



学校に行かなくなったやつが一番早くメジャーデビューした、みたいな話があるでしょう。
「学校の内容は退屈だった」とか言っちゃったり。
でもそうではないんです。学校はちゃんと教えていたんです。「君のやり方でやってみな?」って。
それが効率よく行き、名前のない自分だけの方法論で、他のクラスの誰よりも先にデビューまでのヒントを勝ち得た、というだけです。そしてこの「独自の方法を自分で発見するための思考の道具」に対して私が「不定調性論」という名前をつけたにすぎません。


中心軸システムを学ぶと転調概念の拡張が自在になりますが、1コードでいかにかっこいい曲を作るか、ということは学べないかもしれません。でももしあなたが、そういった一発ものを混ぜたミニマルミュージックをポップスに混ぜて新たな商業音楽を作ることのできる才能に長けている人だったら、どうでしょう。カリキュラムどおりの楽譜の勉強や、コードの勉強していたら1年もたたず嫌になってしまったりしませんか?それは才能なんです。それを講師がみつけてやるんです。

楽譜の学習は、後でもできるんです。コードだって。
でも



18歳は、今しかない、、



んです。だから今できる音楽、今できる表現て、今だけなんです。
私たちポピュラーの学校の講師は、それを伸ばすべきであり、そのカリキュラムを工夫し、受講生にチャレンジしていくしかないと思うのです。


あれ、中心軸システムどこに行った?笑


これは運なのかもしれませんが、学校の授業で「理論を良い意味で無視して、自分が作りたいように一度作ってみよう」という問いかけが講師から随時あれば、ひょっとすると、早い段階でその才能を見つけられるかもしれません(すみません、これは運がとても左右します)。
でも私たちは、できる限りそうした才能を早期に発見し、何らかの共有と制作への試行錯誤を一緒に行いたいと思っています。
同書にこんな表記があります。



P9******
註3)古典の和声では7度上の和音(H-D-F)が、ドミナントの機能をもつとされるのには若干問題がある。リーマン(Rieman)はこの和音を属7の和音の根音を省略したものに過ぎないとしているが、しかし、いまH上に減3和音の代わりに、H上に長3和音や短3和音を考えると判然としてくる。それが独立した役割を持つ場合には、Hは明らかにサブドミナントの機能を持っているのである。
====
例えば、
C  |B  |Em  |Am  |
を弾いてみてください。
C→Bでは、皆さんは何を感じますか?「ドミナント感?」「サブドミナント感?」
B→Emではドミナントの解決感を感じるのではないでしょうか。
では、
C  |Bm  |E7  |Am  |
ではどうでしょう。Bmは「サブドミナント感」を得ましたか??
不定調性論では、ここに「個人差がある」と考えます。だから「サブドミナント感」などと定義しません。そうあなたが感じるならそうでしょうし、だけど人は同じようには感じませんよ?ということです。
だから「CがBに行った感」というものを捉え、それが音楽の表情的にどんな感情を表出しているのかを各自が汲み取り、それがソロをとる際のコード進行なら、どんな風に自分のソロで表現しようか、というようなことを各自が考える、ということに重点を置きます。機能の解釈の違いは歴史的な観点の違いであり、あなたには関係ないんです笑、あなたにはあなたの観点があり、それを曲作りに活かせば良いだけです。


もちろん機能や役割学習を最初から忘れてよい、という意味ではありません。
機能や理論を覚えたら、その裏側を使って曲を作ったらどうなるのか、それを踏まえた精神的土壌でもって、今の自分の感性で曲作ったらどうなるのか、を講師とすり合わせるべきだと思うのです。
対位法などの伝統学習の完全習得を目的にする場合は話は全く違います。そうした学習は一時期絶対に必要です。ポピュラーをやる人の目的が、「普通の人が良いと思えるものを察知して届けられる人になれること」という点に大きなウエイトがあるからです。独自論は、それらの行動が伴ったうえで自分が最もその境地に至りやすい方法論でなければなりません。

さらに芸術活動とか、自分の音楽のひたすらな追及、というてんもまたアプローチが変わってきます。大天才でもないかぎり悩んで悩んで試行錯誤を経て辿り着くものなのだと思います。このステップを迅速に行えるか、ということについて講師と一緒にトライできるのが、音楽教室に通う一番のメリットであると思います。

そして最終的に、その良し悪しを判断するとき、優先するのは理論ではなく、自分の勘と経験から「これでいこう!」、というものになれるようにトレーニングしていこうぜ、と訴えるわけです。
だからHのコード(つまりVIIのコード)が、どんな機能で言われようが、関係がないんです。
この「そうしたことが関係なくなる学習段階」を早期に設けながら、理論史の学習としての中心軸システムを自分なりに学び、レンドヴァイ先生の意図をくみ取ったら、すぐに「自分はどう考えるか」「どう使うか」に移行し、分析、実践に行動を写していただきたいわけです。
レンドヴァイ氏のこのアプローチこそ「オレ流」の極致だと思いませんか?
多くの人がこの方法論を用いれば万能だ!と思うだろうな、と私も思いました。

学校の教育システムが悪い、みたいな言い方に見えますが、そうではありません。
自分も大手専門学校で学務を務めました。講師は本当に入魂のレッスンをしています。
私が、その先を、もっとガッツンとくる思考をと、思えるようになったのもそうした先生方の指導のおかげです。
最後に、、、
:C  |G   |D  |A  :|
この進行、中心軸システムでいうと、トニックードミナントーサブドミナントートニックです。
で、これを不定調性でいうと、特に私にとっては「A day in The Life進行」です。この進行を聞くと、ビートルズが一番勢いのあった、かつ一番悩んだ時の苦し紛れ(?)のとんでもない音楽的発想、というイメージを未だに弾きながら感じます。バランスのとれた進行ですが、安易に自分の曲に使いたくありません。やっぱりここぞ!って時に使いたいです。
、、、という風に感じて音楽と対話し、自分が感じたもの、それこそが自分であり、自分の音楽であり、理論の先にあるものだ、とまるっと受け入れる、というのが不定調性論(の考え方)なんです。自分にとっては一番自分に近い位置で音楽を理解させてくれる思考法です。もちろんそう思わない人も多々おられるでしょう。
だから、先人の方法論を勉強しながら、同時に自分が納得いく方法を「発明」し、学生さんなら在学時にデビューする勢いで新しい音楽を生み出せる学習法を先生に頼らず、または頼って生み出していただきたいです。
 


ところで、V7て、v以外のvii,ii,ivはサブドミナントな領域音なわけですが、構成音比率サブドミナント:ドミナント=3:1でもV7はドミナントなんでしょうか?
機能ってそもそも和音のどこにある、どんな要素なの?、、、って思いません?


このあたりも機能がない不定調性は解釈が楽です笑。

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教材改訂の第二巻に出てきます。

f-c-g

基音cの下方にf、上方にgを反応させます。これは自然倍音的でもありますし、なんとなく納得いただけるかなと思います。そして、それぞれの音を実音化して、それぞれ長三和音を反応させます(同じ構成音を順次構築させる=「反応領域」)。

F△-C△-G△

になりますね。「それぞれが実音になる」ということはそれぞれが基音化するわけですから、どこまでもこの反応ができてしまいます。それを人工的に方向性と秩序を絞って制限するわけです。

これは各音楽理論、個人によってマクロ的にも違いが出てくるとっても重要な点であり、ケンカの素です笑。

簡単にいうと、

・「〇〇理論」ではその音は親和しないと考える

・伝統的な知識をもってすれば分かるが、この場合この音は適切ではない

・一般的に〇〇氏がその著書でいうには、これこれこういうふうに考えるべきである

・ジャズ理論では、〇〇についてはより自由でいい。

とか言いますよね。

でもこれって、結局、昔の人がそう定め、それを学習した今の人が勝手にそれを良し、としているだけです。どんなにその思想が大勢を占めようと、あくまでそれを良し、としているのは良しとした個人の考えなのです。思想というのは「法」よりも緩いがゆえに厄介です。

どんなにメジャーの法則が宇宙の真理を突いていようと、あくまで各個人が良かれと思って判断しているだけなわけです。それが科学的に証明されたとしても、100年後もその証明が正しいと、今生きている誰が断言できるでしょうか。これまでひっくり返ってきた思想や科学的根拠などいくつもあります。それを信じる信じないで済む話は、結局最後は「自己判断」の粋を超えないわけです。

そこにいろいろな権威や伝統や派閥などの力を用いた営業トークがそこに絡んできても、「君がこれに従わなければ、命を奪う」とでも言われない限り、特に従う必要もないわけです。

ここが考え方の原点。不定調性論がガラパゴス的に存在していられる点です。そこにしか通用しない方法論でも、自分に通用すればそこがまずスタートラインです。そして同じように考えている人は実はたくさんいるんです。価値観がそれまでそこになかっただけです。

====

さて、簡単に反応領域でキーcの主要三和音が出たわけですが、これをさらに拡張してみましょう。先ほど設けた自分が設定した範囲を拡張するだけです。

ここでは同じ拡張方法で広げてみます。教材では「反応領域の形態模写」と言っています。

f-c-g

これはcを上下に拡張したんでしたね、次はf,gも同様にしましょう。

b♭-f-c-g-d

ですね。類似が分かりやすく、それぞれ分けて書いておきましょう。

b♭-f-c

f-c-g

c-g-d

どうでしょうか。そしてこれに長三和音に該当する音を反応させたんでしたね。これだってこじつければ、自然倍音の最も自然な単音に親和する音を足した、と言い逃れることもできます。

B♭△-F△-C△

F△-C△-G△

C△-G△-D△

こうなります。ここで出てきたコードは、同じ構成音の拡張方法でどんどん広げてきたわけです。とても整合性があり、バランスの取れた拡張だ、と私は思っています。

で、これらを使ってコード進行を下記のように作ってみました。

C△ |B♭△ |F△ |G△ |×2

F△ |C△  |D△ |C△ |

F△  |C△   |D△  |G△ |

C△  |B♭△ |F△ |G△ |×2

B♭△ |B♭△ |C△  ||

とかどうでしょうか。

機能和声理論では、ここでのB♭△=VIIbはCマイナーからの借用、D△=IIはドッペルドミナントとかいいましたよね。それはそれでいいのです。

 

ここでは、幾何学的な整合性から生まれた和音を並べて借用やドッペルドミナントをもとの用法とは異なるニュアンスで用いているわけです。

これが可能になったのは、先輩音楽家たちの自由な発想がもたらした結果、ポップスでも用いられるようになったのです。

これらのコードは「借用」ではありませんし、そもそもCメジャーキーのダイアトニックコードとして扱っていません。「ある和音の作り方レシピ」からできたいくつかの和音を使って「なんかイケてそうな流れ」を作ってみたにすぎません。このB♭をCmキーからの借用と考えるか、CミクソリディアンのVIIbと考えるかは個人の自由です。

楽曲そのものは、そうした素材がブレンドされた結果できた全く別の新しい作品なわけです。

そこに素材としての役目やアイデンティティは原型をすでに発展させてそこにあるのであり、「このD△はたしかに、ドッペルのIIだが、自分はそうは思わない、これは『飛躍のD△だ、だから俺はライブの時このコードのところでいつもジャンプするんだ!』というところまで"ただのドッペルドミナント"は進化していきます。音楽の素晴らしいところは、その音が心と共鳴し新たな和音になる、という幻のようなことが起きることであると思います。

後はそれが感じられるかだけで。

=====

不定調性論はそれゆえに調が入り混じったような流れの中で生み出される整合性について別の角度から考えていきます。機能和声論に基づかず、しかし伝統的な手法と共存できる別発想を皆さんに学習期に提供します。

 

そうしないと

「ドッペルドミナントっていうのはわかったけど、いったいいつ、どんな風に使うんだろう」

とか

「そもそもドッペルドミナントが存在する意義って何だ?どっから来たんだ?それがIImに優先されるのはいついかなる時なんだ、そしてどういう理由でそれは優先されるんだ?感覚で使っちゃいけないのか?そもそも理論がそういってくるその答えに俺は順応できるんだろうか、もし順応できなかったら、俺はこのまま音楽の道に進んでいいのだろうか」

みたいな疑問を学習が解決しないと、先に進めなくなるからです。

 

そこで、その問題の「自分なりの解決案を自在に考えて自己納得できるステップ」を仮に設けるわけです。思考のプラグインを挿すわけです。

 

現状、今そうなっているはずですし、皆さんそうやって自己納得させて学習し、それをレッスンで用いていると思います。別に新しい発想ではありません。

 

ただ、この「自己納得させることの意義」を正当化する方法論がなかったと思うのです。

 

知識がないがゆえに?センスがないがゆえに?時間がないから仕方なく?

先生の言っている意味が分からないけど単位取らないと先に進めないから無理やり納得した?

いろんなやり方で妥協して、方法論を皆さん自分なりに確立してきたと思うのです。

 

不定調性論は「そのやり方でいいと思うよ、それが一つの前に進む方法論なんだ、ひょっとすると唯一の方法論かもしれないね」と語りかけます笑。

 

その先陣を切るために膨大なページを割いて、それがなぜそのように思考可能なのかを一つ一つ不定調性の教材では解説していきます。

楽理的な発想や追及をしたい方はぜひ教材を手にお取りいただきたいのですが(PDFですが)、それ以外の方(プレイヤー、作曲家、ミックス関係、プロモーション関係)には、自分の理解の仕方を恥ずることなく、むしろ徹底的に極めて進むことが一つ有意義である、と知って頂きたくてこの論法を展開しています。自分がイケると感じたものは、もう自分の感覚に責任を持ってそれが通るまで発信していくしかない、ってことです。でもこれってあたりまえですよね。

 

====

なにせガラパゴスの理屈を、一般社会に持ち込むのですから、今のところまだかなり抵抗があるかもしれませんので、まだ密かに密かに笑、でも自信を持って、あなたが持って生まれてずっと背負ってきた、そしてこれからもずっと付き合っていく自分の「脳」「心」が自然と作り出してくれるアイディア、欲求、思考を大切にするステップをどこかに設けて頑張ってください。

 

 

 

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この話題、昨日メールで質問頂いたので、了承いただき記事に書きます。
何度か同じこと書いたかもしれませんが、少し価値観も変わってきているかも。
====
この問題は、
I7ーV7ーI7
において
「なぜI7で、人はトニック感を感じるか」という問いです。
こういう風に唐突に人に聞かれたら、皆さんは何と答えるのでしょう。
====
「ブルース7th」と言われるこのI7、ブルース楽曲においてI度の位置にくる和音がI7とされ、それが伝統となりジャズとなり、ロックとなり、ポップスとなり認知されています。
 
例えばI7の根拠を、ひとつの基音の上にはI-III-V-VIIbの自然倍音ができるから、本来本当のトニックはI7である、とか言っちゃうこともできるでしょう。でもこの理屈だとV7ーImではなぜ解決感を感じるかということについて同じ論法で説明できないでしょう。
 
I7はI△やIM7の変化和音だ、という見方もあるでしょう。
でも「変化」したのだとしたら、なぜ変化したのか、どういう理屈から変化したのか?なぜそれが西洋クラシックで早い段階に起きなかったのか(起きていたのかも。)
じゃあ、IM7(b5)がトニックになる音楽があってもいいんじゃない?
I6sus4も極端な話、変化和音じゃない?
私はV7→I6sus4で解決感を感じるけど、これはなぜ?私が人とは違っている変わり者だから?「感じてる」なんて嘘をついてる?
とかなっちゃいますよね。
 
だから拙論でもとてもこの問題考えに考え抜きました。無知な所もあります、きっと。だからとにかくいち早く「拙論」をまとめ、自分の意見として世に訴え続けよう、そこから批判を受け、先行研究を知り、また勉強しよう、となりました。
これらをシンプルに理解するにはどうすればいいのか、それをレッスンで一瞬で教えるにはどうすればいいか。そしてそれが将来自分の音楽を作るにあたり役に立つような気づきは与えられないのか。
 
====
では話を元に戻しましょう。
この解決感問題に悩む人はまず、
V7ーI
はなぜ解決感を感じるのか、ということの答えを考えてみてください。これは答えられますか?
トライトーンの半音解決で説明します??それとも自然倍音の発生と基音への帰結から説明しますか?それとも機能和声論の伝統理論から説明しますか?
とにかくある程度は答えられると思います。
 
では次。
V7ーImや、IVーIやIVmーI、VIbーVIIbーIm
に解決感を感じるのはなぜ?でしょうか。
 
V7ーImは自然倍音で説明できるのでしょうか。トライトーンの解決で本当に説明できるのでしょうか。半音で解決してませんよ。
IVーIとかIVmーIにはトライトーンもないのに解決感あると思います。なぜでしょう?私だけかな?解決すると思ってるのは。
 
VIbーVIIbーImなんてV度進行もしてないですよ。でも私はこのImのところで「キマった」感を覚えます。
 
でも、これらも何とか答えられますか?

同じ一つの答えで説明してください。この進行はこういう理屈、この進行はこういう理屈、こっちはこれ、こっちはこれ、ではなく。もうわかってきましたか??
 
では、
IVーVIIbーIはどうでしょう。これは転調で説明すれば良いのでしょうか?
VIIbはIIIbに行くべきではないのですか?なぜIに行ったんですか。
誰の指示ですか。なんの欲求ですか?ひょっとするとIIIbに行った方が良かったんじゃないですか?その曲のその部分、あなたじゃなくて他の人にアレンジして作ってもらった方がいい曲になるんじゃないですか?あなた本当にそれでいいと思ってる根拠は何ですか?みたいに色々思ってしまったり他人の詭弁で、または権威による営業トークでふと思わされたりしませんか?
 
それでは、IーIV#ーIはどうです?
この進行感にニルヴァーナっぽい解決感を感じる私はおかしいですか?じゃあ、なんで解決感を感じてる?これって解決感じゃない?
不定調性だから?笑
 
不定調性は「進行感」を自分が自分の意思で発見する方法論です。
 
そしてさらに、世界には機能和声論を知らない人もいます。
これらの進行をそれらの西洋音楽慣習のない人聴いたら同じような解決感を感じるのでしょうか。
それともそういう場合は排除しますか?
そういう限定的な理論のままで本当にいいんですか?もう一つ裏面から考えるやり方を持っておきたくないですか?
 
====
そしてさらにこの問題をもっと広げましょう。
では、猫や犬がこれらのケーデンスを音楽的に感じないのはなぜでしょうか。
この問いかけって大事だと思いません?意味がないですか?
私はそういったことへの理解も必要だと思っています。
人だけが良ければ良いのか?もうそういう時代じゃないんじゃないか?
せめて方法論だけでも何か自在な存在がいるのではないか、、、?

音楽理論は音楽の理論のままにとどまらせず、音楽家の考え方そのものとリンクして音楽を勉強するすべての人の思考をより明晰にすることができる方法論ではなければならない、そして、ああ音楽勉強してみよう、作曲してみようかな、と思ってもらいたい、と思っています。
 
今の時代、動画投稿サイトで発見される才能がたくさんあります。正しい経験と知識を持った業界人が理解できない才能、しかしその才能を理解できる人がたくさんいた、っていうことも知りました。そしてそれらは商業的価値を持ってしまいました。「ポピュラーミュージック」になってしまったわけです。
だからそうした価値観を理解できる方法論が必要だと思います。そしてそうした「一般の理解を超えた才能」と、スクールで出会ったとき、それを理解し、そのまま育ててあげられるスタンスが必要だと考えています。
 
====
話を戻しましょう。
きっとこの問題、より科学的に説明できる人もおられると思います。世間は広いですから。
 
不定調性論では、12音の関係性や親和性を再構成しました。
そこから人の心(脳)が感じる「印象」「意思」「模様感」「イメージ」「クオリア」「共感覚的な知覚」が引き起こして認知される音楽感覚をそのまま素直に受け入れる、という考え方を取り入れました(そのために和音はあらゆる方向に進行し、あらゆる印象を個別に引き起こす、ということを示す必要がありました)。
 
簡単ですね。
自分がそう思ったから、今そう思うしかない。そういう自分を受け入れ切磋琢磨を続ける、という発想です。正しい伝統理論は「情報」として理解するにとどめ、あくまで自分の感覚を真ん中に置く。
不定調性は関係なくしてかまいません。
自分の感覚優先。
 
それらの感覚的根拠によって、V7ーI7のI7で、もしあなたが解決感(進行感)を感じるなら、その感覚をただ認め、活用すれば良い、というところに落とし込みます。簡単ですね。
その進行感の発生の理由を、自分の外部に求めるのではなく、自分の「感じ方」に求めます。
人や理論書に誘導されるのではなく、教師や世間体に束縛されることなく、伝統や常識に縛られることなく、今のあなたはどう感じるのか、それを自分に認めてやる、ということです。
そういうことを学校で学ぶことと並行して大事にしてもらいたい、わけです。

私なら、I7には明らかにブルースを感じるでしょう。これまで聞いてきたブルースを感じますし、それをカッコイイと思っています。だからこの和音を弾くときはカッコよく弾こうとするかもしれません。この和音に「打ちのめされ感」を感じる人はそう弾くでしょうし、「ロックンロール感」を感じる人はそう弾くでしょう。だから違う音楽が出来る。それがまた違う音楽を生む。
そんな社会、混沌とするだけなのですが、ちゃんと混沌としているから、きっとみんなできているんだと思います。
それを方法論とか言う私がゆるされるのかどうかは横に置いて笑。
 
「なんでI7ってトニックになるんだろうねえ」
 
という質問がちょっとあいまいすぎるのだと思います。
自分の感覚に突っ込んでみましょう。そう感じている、決めているのはあなたであり、これまでも同じように決める人がいて、たまたま先進国でそれらが引き継がれ、たまたま理論になり、たまたまあなたが共感しているに過ぎない、ということからスタートすればよいのだと思うのです。

そして実験でV7→Idim7で曲を終わらせようとしたり、V7-Vで曲を終わらせようと試せばいいじゃないですか。ビートルズのHELPはV7→Vのようなイメージで曲がはじまりますよね。斬新でした。もう先例はいろいろあるんです。
音楽業界を活発化していくためには、早期に常識から脱出する若者を育てていかないといけない、というのはご理解いただけると思いますし、実際突飛なサウンドはとても刺激的です。それを作り出す人を育てようではありませんか。伝統音楽はきちんとした教育体系がありますから、名曲は生まれ続けますが、そうでない名曲、誰も知らない音楽も作り続けなければなりません。不定調性論はその斬新さを生み出す流れを作りたいわけです。
 
====
そのような意味で、猫ちゃんがケーデンスを感じない理由は、「ああ、きっと猫は何も感じないんだろうなぁ」で済むわけです。でも本当にそうでしょうか。人間よりすぐれた感覚だって持っている彼らです。ひょっとすると別の音が邪魔してただのノイズに聞こえているのかも。
であるとしたら人間の感覚なんて、人間同士がその感覚の優劣で争ったって、仕方なくないですか?猫の感性を静観できるなら、他人の感性も静観すればよいと思います。
それよりあなた自身が今生きて、感じるその知覚を信じて、それを優先し、いかに自分の表現を追求するか。その感覚に共感してくれる人と作品をひたすら作る、その方がエキサイティングだと思います。
 
また、こうした和声の進行感を理解できない人に出会っても、もはやその人が勉強不足とか、才能不足とは思わないでしょう。「その人は感じない」だけであって、もっとその他の感覚が研ぎ澄まされて、生き方をそちらに向けているのだ、と「理解」できるでしょう。
 ビートルズを万人が好きにならないのと同じです。人は必ずしもあなたと同じようには感じないんです。
 
いずれは音楽知覚についての普遍的な答えが出されるかもしれません。しかしもう少し先の時代の話かもしれません。それであれば、現状最も的確な感覚は、自分がそう感じた、という事実以外ありません。これは決して「自分の知覚こそが、知識こそが正しい、私の知覚こそが正しい」と他に強制する、という意味ではありません。それは不可能です。自分のやり方でアウトプットしていくだけです。そして共感してくれる人と一緒に生きて、人生を拡張して、精一杯全うしよう、という話です。
 
勉強をしていけば、価値観や感覚は変わっていきます。100年の恋も冷めるように、人の価値観は変化してしまうんです笑、V7ーIなんてダサい!!って思う日が来るし、またしばらく経つと、「やっぱりこれだよ」となります。そう感じてるのはあなたであり、V7ーIはいつも通りそこにあります。
 
不定調性論も提案者が生きている限り変化していくことでしょうね。
 
====
 
そんなこんなで以前の前奏曲。
https://soundcloud.com/kan_takeuchi/a3-1
前半コードを書くと、
Dm7(b13) |Dm7(b13) |A7(b9)/C# |A7(b9)/C# |
C6 |C6 |AbM7(13) |A7(b9)/C# |
Dm7(b13) |Dm7(b13) |A7(#5)/C# |A7(#5)/C# |
C6 |C6 |Bm7(b5,b13) |Dsus4(b5) Asus4 |
Bbm7(9) |Bbm7(9) |DbM7(9) |DbM7(9)
D7  |D7  |C(#11)  |C(#11)  |
DM7(11) |DM7(11) 〜こんな感じです。
この雰囲気が、まるで黒い陽炎がゆらゆらと意志を持ってダンスしているような風景が浮かびました。ただ黒い影が躍るようなイメージを模索しながら和音を探しただけで、キーや機能、和音が今何なのか、とかを考えて作ったわけではありません。それでも慣習的進行の名残が見られると思います。これは私が聴いてきた音楽文化によるものです。
 
この問題、あなたがどう考えるか、ですね。
====
教材の方では「反応領域」という考え方で、自在な和声構成法と連鎖法を作りました。それから皆さん独自の考え方を確立していけば良いと思います。
そのあとで伝統や、一般論を覚えることも有意義でしょう。
また、A.M.ジョーンズらのアフリカ音楽の研究、参考文献に基づいて発想を拡張した四度領域を用いた詳細な7thコードの生成と解説については、教材第6章(14年度版以降)をご覧ください。
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若い人たちへの応援歌です。
 
参加者全員ほとんど歌が専門じゃないけど、頑張って練習して歌ってくれました。
作詞、作曲、編曲、ミックスやらせていただきました。
10代から夢を見つけて、人生のど真ん中を生きている人。
 

 
https://www.youtube.com/watch?v=VqZU3T87Ql8
 
皆さんの夢が少しでも実現しますように。
 
 
====
明日、夢が叶うから
 
1.
ビル の隙間に浮かぶ 澄んだ青空 夢に続く入り口
今日が最後の時と 震えて見上げる 朝はひとりぼっちで
 わずかほんの少しだけの差で
 明日との距離がどんどん遠ざかっていく
 昨日の君が小さな背中包んで
笑って 泣こうよ またまっすぐなあの日の気持ち呼び起そう
思うまま 歌おう もう二度と戻らないこの一瞬を
それ以外 どうやって 君の想い 空に伝えられるだろう oh
la la li li la 君を探そう
 
2.
独り 生きてゆく意味 求め さまよい 居場所見失うより
友と ぶつかりあって 悩み合うたび日々は輝いていく
  裸足で 歩いた痛みだけが
  本当の自分が歩いた全てだという
  どれだけ本気で踏み出す勇気 持てるか oh
笑って 泣こうよ ただ胸を踊らせることに委ねよう
思うまま 歌おう その飾らない声で今を叫ぶ
それ以外 どうやって 君の未来 空に伝えられるだろう
la la li li la 君を叶えよう

笑って 泣こうよ 今 なりたい自分になりきるだけでいい
思うまま 生きよう 明日 夢が叶うと決めてしまえば
何が 起きても 君の心 大空高く届くだろう OH
  la la li li la 君がいるから
  la la li li la 明日があるから
  la la li li la 君の思うまま
 

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