実習2日目終了。

今日は・・・
いや、今日も子どもたちから教えられました。
本当に頭が下がる想いです。

子どもたちは自分たちをよく見てる。そりゃそうです。だって28人のクラスだと56の瞳で自分たちを見ていて、自分はたった2つです。
色んなことが見抜かれて当たり前です。

教室に入ることを試合と同じように考えたら、いつでも白装束で教室に入るべきだと日々痛感しています。

そういう覚悟を毎日持って教室に入らないと子どもたちに失礼だって思うんです。

想像も予測もつかないことをする子どもたち。
でも、心はいつもまっすぐに前を向いている。


昨日から続いた子どもたち主導の会議。無言清掃。子どもを嘖ったこと。

子どもたちがすごい分、自分ももっともっと努力し、自分を精査することが必要だと思い知らされます。


明日は何が待ち受けているやら。



明日も覚悟を持って居室に入ります。


子どもたちに感謝です。合掌。
ふぅ~
とりあえずひと段落。

昨日東京都の教員採用試験の結果が出ました。

「期限付名簿登載」???

簡単に言えば「補欠合格」です。

欠員が出た場合直接その学校の校長先生から連絡→面接→採用?ってな感じです。
で、採用後来年の8月に再度面接試験を受けてはれて正式合格(名簿登載者)になるんだって。
だから採用になっても、来年度は簡単に言うと「単年度契約の公務員」です。

今にして思えば、高校2年生の時に「教員になりたい!!」って思っていた火種が30年間くすぶり続け、42歳から勉強して教員免許を取得して・・・

夢とか情熱って消えないし、あきらめなければ夢って実現するもんだなぁ~って実感しています。

去年の採用試験は一次試験で落ちて、今年は「補欠」・・・
少なくとも一歩ずつ前には進んでいます。

努力は必ずしも報われるとは限らないけど、間違いなくチャンスは増えるし自分を信じる根拠になると思ってます。

チャンスは準備のできた人にしか来ないから・・・

そんなこんなで、喜んでいいやら悲しんでいいやらわからないけど、一つの結果は出ました。
だから、今日はお墓参りに行ってきました。

来年はもっと、もっと努力して、勉強してチャンスをモノにします。

心の中の火種ってすごい力を持ってるということを身を持って感じています。
でもね、とっても大切なことがあるんです。

それは、かなえたい夢が自分にとって大きければ大きいほどその「代償」は高くつくんです。


だからこそ、周りの人に感謝です。
合掌
「ネガティブな感情」は「絶対的なポジティブな感情に裏打ちされ
ている」

確かに・・・

だって、はなっから「負けるって」わかってる試合に出るのに「負
けたらどうしよう」なんて思わないじゃん。

「勝てるかもしれない」って根拠があるから、その反対の感情が出
てくる。

「もし~だったらどうしよう」って不安も、「そこまで至るまでに
120%自分のポテンシャルを発揮したから大丈夫だぜ」っていう
非常にポジティブな感情があるから出てくるんだよね。

なんてことを自分に言い聞かせてます。

今日みなとみらいに新しくできた「CUPNOODLES MUSEUM」に校外学習で行ってきました。


結論

とっても面白かった。


オリジナルカップヌードルができるんです。
子ども達は大騒ぎしながら思い思いの絵をかいていました。

もちろん自分も作ってきました。


安藤百福さん
日清製粉の創業者です。

45歳まで銀行マン。
倒産して一文無しに・・・
そして、47歳に初めて「チキンラーメン」を開発したんです。


で、90歳の時に「宇宙食用インスタントラーメン」の開発に成功。


すんげぇ~!!の一言です。



「クリエイティブシンキング」として6か条が書いてありました。
1、まだないものを見つける
2、何でもヒントにする
3、アイディアを育てる
4、タテ、ヨコ、ナナメ360度から見る
5、常識にとらわれない
6、あきらめない


やっぱり、あきらめた瞬間に自分で育てた芽を自分で積んでしまうことになるんですね。

せっかく「芽」を息吹かせたんなら「華」を咲かせなきゃもったいない。


努力は必ずしも実るとは限らないけど、あきらめなきゃ花は咲かせることはできるんだなぁ~って痛感した校外学習でした。


本当は子ども達の校外学習なのに自分も学習させていただきました。




何度でも、何度でも・・・

ドリカムの歌にもありましたね。



子ども達との約束で目下「アメーバピグ」とやらに挑戦中のおぢちゃんです。


本日19時から始めるとのこと、それまでにできるようになっておかないと大変なことに・・・


どんな小さな約束でも約束だからね。



でも、どっからはいんだっけ?

ふるさと→かながわ・・・


うわぁ~

大変なことになりそうです(-_-;)




自分は昔「アルコール依存症」「薬物依存症」でした。

今から15年くらい前になります。

あの頃は苦しかったような気がします。
周りに歩いてる人が全部敵に見えて、常に道具を持って歩いていました。
どんな道具を持ってても人が怖くて怖くてしょうがなかった。
で、酒で薬飲んで記憶がぶっ飛んで、街にくり出して暴れたりしてた。

でも、これじゃ、ダメになるって思って酒と薬を全部トイレに流して、家に引きこもって酒と薬を抜こうとしました。
毎日がぶがぶ水飲んで、吐いて、また水飲んで吐いて1か月くらい一人で頑張ってみた。

でも、最後は結局3か月間くらい入院しました。
今ではすっかり・・・とまでいかなくても依存症ではなくなりました。
年に数週間酒におぼれるときはあるんです。

でも、強烈な自己嫌悪を持ってしばらくひきこもりになったりします。

依存症って本当に怖いです。
何もかもを失う。

モノじゃなくても「人」に依存しても厄介です。

これも嫌って言うほど経験してきました。
だから、自分は人を「信頼」しても「信用」しないんです。

そんなことはさておき、
15年前の苦しさがあったから、5年前にぼろ雑巾みたいな状態やホームレスからの脱出ができて、今非常勤っていうアルバイトみたいな形でも学校で先生って呼んでもらえるようになりました。

それでも、いまだに人生を投げ出したくなる時がチョイチョイあります。

そんな時は、道場行ったり、子どもたちの顔を思い浮かべたりしながら、何とか土俵際で踏ん張っています。

よく「人生は何度でもやり直すことができる」って言うでしょ。
そんなうまい話あるわきゃないよ。

人生をやり直すことなんてできるわきゃない。

でもね、「やり始める」ことはできるんじゃないかって・・・

少なくとも自分はやり始めている最中です。
これからどんな物語が始まるのか、これから鮮明に自分で描いて行かなきゃいけません。

それが楽しみだったりするのですが・・・


さてさて、今日「ばかもの」って映画を観ました。
何だか昔の自分を思い出してしまいました。

自分の場合はこの映画のように、なんとなくハッピーエンドにはならなかったですが、単純にいい映画だなぁ~って思っちゃいました。

映画館で見れなかったのがチョビット後悔です。


ばかもの [DVD]/成宮寛貴,内田有紀,白石美帆
¥3,990
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何も考えないで、お時間があるときに観てみてください。

今日の5・6J時間目は急きょ話し合い。


学校にはみんなが楽しく過ごすため、安全に過ごすため、お行儀を身に付けるためなどんどのために「ルール」があります。


だけど、そのルールがなかなか守れない。


なぜかって?


掃除るるより遊びたいから。


給食当番やるより、早く食べたいから。


一言でいえば面倒くさいからです。


楽しくなけりゃ学校じゃない.

って言っても、一部の子どもたちだけにそれを許すわけにゃいかない。


ってなわけで、今日は掃除の事で緊急ホームルーム。


実は、この話し合いは今まで何度も何度もしてきた事なんです。
で、毎回ルールを設ける。
でも、一向に守られる気配がない。


なぜか?

それは教師側が提示したルールを押し付けてたから・・・


だから、子どもたちは守らない。


今日は子どもたちにルールを決めてもらったんです。


約束事を子どもたち自身に決めてもらった。


すんげぇ~厳しい意見がバンバン出てた。


最終的には「掃除をさぼる人は教室や廊下を歩く権利はない。学校にこなくていい!!」って・・・



これを言い始めたのは女子です。


続けばかり、女子が先頭に立って意見がドンドン出てきた。



そこで自分は「約束するってことは何が何でも守るって覚悟があって言ってんだろうな!!」って・・・




そしたら、女子一同が自分のほうをギロリ。



「こいつら、腹くくってモノ言ってる」って・・・


普段掃除をさぼってる男子はたじたじです。


もちろん、自分もドギモを抜かれたというか、ぶん殴られたような衝撃を受けました。


約束って、大人にとっても子どもにとっても「覚悟」が必要なんです。
そして、約束に大きいも小さいも関係ない。


必要なことは・・・



約束したからには何が何でも守ることだけ。




明日からの掃除がどうなるか?


ぶっちゃけ言えば、また騒然となってもいいと思っています。


もちろん約束をきちんと守ってほしいと願っているのは事実です。


それより、子どもたちが自分たちで意見をだし、覚悟を決めて自分たちでルールを作ったことのほうが大切だって思うんです。



さっきも書いたけど、
「こいつら腹くくってモノ言ってる」って感じた衝撃。



自分も襟元を正して子どもたちとの約束を何が何でも守っていきます。



う~ん。

自分もあらためて「覚悟」しちゃいました。



今日、子どもたちを叱り飛ばしました。
でも、何だかとっても後味が悪い。
ってか、自分自身に腹が立っています。

大切なことを忘れているような気がするからです。
...

人として、指導者として、「叱る」ってとっても大事なことだと思
います。
「怒る」とは全く違うんです。

でも、受け取る人との人間関係がしっかりしてれば「怒る」が「叱
る」に変わることもあります。

ここでも、「関係性」が重要なポイント。

「叱る」方もいやだけど、「叱られるほう」はもっといやな気持に
なるかもしれない。
だからフォローが必要なんです。

決して上から叱るんではなく、人として同じ立場で叱る。
正直に叱る。
その人に一つの「魂」として接する。

ここまでは、誰でも知ってることだと思うんです。

自分にいろいろな話をしてくれるあるお寺の和尚さんが言ってまし
た。

『みんな「叱る」っていうだろ。でも違うんだよ。本当の叱るとい
うのは「嘖る」って書くんだよ。だから自分もその責めを負う覚悟
を持つことが必要なんだ。』

この話を聞いた時、ハンマーで頭をひっぱたかれた気持ちでした。

「覚悟」もないのに「嘖る」ってのは、ただ単に「怒ってるだけ」
なんだなぁ~って・・・

今日、そのことを久しぶりに思い出しました。
「信じる」とか「自信を持つ」って言葉はあんまり好きじゃないで
す。

特に自分以外の人に「信じてるから」とか、安易に「自信を持って
がんばって」なんて言うのは大嫌いです。

だって、自分の責任を投げ出してるように感じるから。
... それに、根拠がないでしょ。

だから選手も生徒も指導者としては「信頼」はするけど「信じない
」事にしています。

選手や生徒に責任を丸投げするのは指導者じゃないように感じるか
らです。
指導者の仕事は責任をとること。
指導者の真価は責任の取り方にあると思っています。

ちょっと話は横にそれちゃったけど、何か成し遂げようとしたら、
自分の選んだその道を、自分のやってることを信じて、自信を持っ
て進むしかないジャンって言うのもほんとだとおもうんだよねぇ~


んじゃぁ~信じたりとか自信がなかったらあきらめるのかって言う
とそんなに簡単に諦められるんだったら、ハナかっら選ばなきゃい
い。

自分は理屈っぽいから、こんな風に考えてます。

信じるための根拠を作る。
自信を持つための根拠を作る。

具体的には努力するしかない。
努力して、努力して、これでもかって努力する。
それも、自分自身が自ら動いて努力する。
で、鼻血が出るまで考える。

でも、努力のスピードは遅くなったり、早くなったりしてもいいん
じゃないかって思います。

大切なのは、努力の跡を自分の目に見える形で残しておくこと。
自分自身の進んできた轍をしっかり残しておくこと。

それが、自分を信じる根拠になるから。

根拠があれば信じたり、自信を持ったりするってことができるんじ
ゃないかな?

でも、この歳になると、求められるのは「結果」だけでしょ。

だから努力するんです。
それも、ほんの少しでもいいから変化を加えてコツコツと・・・

それが「継続は力なり」ってことなんじゃないかな?

ふと、こんなことを考えてしまいました。

秋の夜長とはよく言ったもんです!(^^)!
好きな方言 ブログネタ:好きな方言 参加中


何といっても聞いていてホッとする。


聞きなれているかもしれないし、自分もしゃべっていたからだと思うけど、特に女性の広島弁には「参った!!」って感じです。


でも、一番好きなのは、広島弁でも阿賀のことばかな。


自分のルーツを感じます。