高校生の女の子が、同級生を殺害し、身体を切り刻んだ事件。
僕のような人間が口を出す問題ではないのかもしれませんが、少しだけ書いてみようと思います。
事件の内容については僕は何もいえません。
ただ、気になっている事があります。
それは、こうした事件が起こった際に必ず言われる「事前に防ぐ事は出来なかったのか」ということについて。
どの事件でもそうですが、周りの人は「何か危険な兆候がある」という事を少なからず認識しています。
この事実が上記のような発言の、一つの要因であると思います。
一般人はこうした事件が起こった際、「昔はこんな事件は無かった」、「昔は身代金目当ての誘拐がせいぜいで、不可解な事件は無かった」といいます。
ここで出てくるのが、「戦前は青少年による残虐な殺人事件が多発していた」、「人口減少を加味しても、凶悪犯罪は低下している」、「まだましになった」等です。
これに対する反論は、「事例が少なくなったのであれば、逆に何らかの危険な兆候を察知しやすいのではないか」、「ゆえに事前に防ぐ事は出来なかったのか」ということが言われそうです。
さて、上記のような事はよく言われることであり、間違った事ではないと思います。
しかし実際は防げなかったから、このような状況にあるのです。
当たり前のようですが、めちゃくちゃに重要な事です。
あまり良い例えではないかと思いますが、こうした事件を見て僕は「初心者のバレーボール」のようだと感じます。
相手の陣地からボールが自分の陣地に来た時、そこにいる味方全員はボールを確かに認識しています。
放っておけばそのボールは、バウンドして死んでしまう事まで分かっています。
ですが結果は、「お見合い」で結局ボールは死んでしまいます。
これがバレーボールならば、何度も失敗して「お見合い」を防げばいいのです。
しかし、こうした事件は「お見合い」状態になってはいけません。
「事前に防ぐ事は出来なかったのか」
答えは簡単です。
防げたのです。
初心者とはいえ、誰でも良いからボールを殺さずにいればチャンスは作れた。
特に今回の事件においては、少なくとも一度はボールを生かしている。
これは精神的な疾患やそれに近い症状に対する無知(初心者)が失敗の原因だと思います。
とはいえ、実際の現場を知らない僕はやはり何もいえないと思います。
その時、その状況におかれた時、僕は事件を防げたかというとわかりません。
ですが一つだけ重要な示唆があります。
無知は恐ろしいという事です。
何も、これだけの話ではありません。
差別、貧困、格差、犯罪、病気、戦争、平和、性の問題、政治、経済、歴史など。
自分に関係がなければ知らなくても良いという問題では無い。
役に立つか立たないか、それは重要な事ではあります。
しかし、僕たちは他国と比べて平和な国にいます。
もちろん、死ぬまでこの比較的な平和を受け入れるだけなのも悪くはありません。
ただ、それだけでは、あまりに無味乾燥な感じがして、如何ともし難いことではありますが、24時間365日やるというわけではありません。
少しの時間、知識を手に入れようとは思いませんか。
人間の凄いところは、高い比較能力だと思っています。
つまり、相対化の能力です。
自分と他人、あれとそれ、戦争と平和、男と女、善と悪。
二元論だけでなく、三元論、四元論と範囲を広げていけるのが人間です。
しかも横にだけではなく、抽象と具体を使い分け多層的に物事を考えられます。
これも高い相対化能力の賜物です。
多層的かつ多元的に捉えることが出来るのです。
だから人間は物を考える事ができるのだと思います。
僕はこれをやらない手は無いと思います。
そのためには、知識が必要です。
相対化するための材料です。
相対化が出来るから知識を手に入れることができます。
もし絶対化する事しかできなければ、知識は入ったもの勝ちになって、上書きしたり修正したりできなくなります。
知識を手に入れるのも、思考するのも、全ては相対化のなせるワザです。
これを使ってみようとは思いませんか。
以上です。