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目の前の人がガムを噛んでいると、自分に関係ないので、それに対して、何の感情も浮かばない
けれども、そのガムを「ぺっっ」て、道路に吐き捨てたら、
何らかの感情が沸き上がりますよね。
「自分が目の前の地面を汚された」
「ガムの吐き棄ては悪いことだ!」
「自分のものでもある地面を汚されたくない」
「そんなことするな!」
おそらく怒りなどの感情や、悲しみ、呆れたり、見下したり、
そんな、感情が沸き上がる理由は、
その人にそんなことをして欲しくないから。
あるいは、その人を自分の思い通りに行動を改めさせたいから。
共同で使う道を汚されるのは、自分の権利を少し侵されてしまったような、失ったようなうな状態だから。
自分の存在を少し否定されたような状態につながります。
なので、その人に無関心ではいられなくなった。
つまり、関心がある状態になったから。
関心があるか否かは、自分の生命保存と種の保存の欲求に基づきます。
人間は生命をつなぎ、種をつなぎ続けることを、最も大切だとプログラムされているわけです。
ということは、種をつなぐというのがこの三次元での最も根源的プログラム。
ほとんどの個としての肉体は100年弱で滅び、
繋がれるのは遺伝子と思考などの、情報のみ。
つまり私たちは、次世代に情報をつなぐことを全ての決断の原理にしているのです。
それを考えれば、私たちの脳の奥底に明記されてあるプログラムは、
先祖と親への感謝と、最先端の情報の塊である自分を承認すること。
ともすれば先祖と親に承認されたいという根源的欲求に束縛されやすいですが、
先祖と親に感謝し、自分という情報を認めることで解放されるのでしょう。
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