昔の貴婦人の肖像画などをお見受けしていていると、手袋をつけておられることが多いですね。
手袋をつけてお茶を飲むとなると・・・そこでティーカップのハンドルは右手で抓むだけ、左手は添えないとなると、慣れの問題もあるでしょうが、指が滑りそうでこわいですね・・・。
それを外見はエレガントに見せながら頑張るわけですから、かなりハードルが高い持ち方ではないかなと思うところです。

こうした話をお伺いしていると、紅茶の業界って癒し系というよりも体育会系なのかな?と思ったことが少なからずありますね。

右手でハンドルを抓むべし、左手をカップに添えてはいけない、というのを「正式なティーカップの持ち方」と言われていることにあえて反論をしてみようというこの企画。
まずはティーカップのハンドルに焦点を当てて考えてみたいと思います。

ハンドルを抓むことに関しては、もともとハンドルは抓むために作られているからだという理由づけなどもお見受けするのですが、果たして本当にそうなのでしょうか?

1710年に西洋初の磁器窯としてマイセンが開窯しましたが、当時のカップと言えばハンドルのついていない、お湯のみの形状のティーボウルといったものでした。
そこにハンドルが付くようになったのは1700年代中ごろから。
手元の資料では、1740年代くらいからハンドル付のカップを多くお見受けしていますね。

ここで一つ皆さんに考えて頂きたいのは、多くのティーカップのハンドルがリングのような、輪っかのような形になっているのはなぜだろう?という事です。

真実にティーカップのハンドルは抓むべしというのがマナーに添った「正式」なスタイルなのであれば、ハンドルの形状は輪っかよりもっと抓むことに適した形・・・たとえばプレートなどの形状になっていても不思議ではないだろうと思うのです。
それに、そうした形で作って欲しいといった要望が顧客から上がってもおかしくないところです。

しかも1740年代当時と言えば、マイセンをはじめとした王立窯の顧客は王族や貴族階級などの権威ある富裕層だったでしょうし、こうした人々がマナーに対して無関心に食器を作らせたとは考えにくいものです。

ですが、ハンドルが付けられるようになった始まりの時代である1740年ごろのマイセンをはじめとした主たるメーカーの作品を見ている限りでは、そうしたプレートなハンドルの作例は手元の資料を見る限りでは見当たりません。

また、後代にマナーの移り変わりでハンドルを抓むべし、と変わったというのであれば、これもその時代を境にハンドルの構造に何らかの影響があっても不思議ではないだろうと思うところ・・・。

プレートと言えるハンドルの作例をお見受けするようになるのは、多くがアール・ヌーヴォーからアール・デコにかけての期間が中心で、蝶の羽を模したバタフライハンドルや花を模したフラワーハンドルといったのものなどが中心になりますね。
ですが作例の数自体西洋陶磁器全体から言えばごく少数ですし、1800年代終わりごろから1900年代前半にかけてと、西洋陶磁器の歴史から言っても相当に後の時代の作品です。

こうしたことを踏まえて考えていくと、最初からハンドルのリングに指を入れて持つことを想定して作っていたのではないか?
そう考える方がむしろ妥当性が高いのではないかと皓斗は考えるようになりました。


さすがに1700年代のマイセンといったあたりとなると、お教室のコレクションにもありませんので、かわりに1800年ごろの英国製のティートリオで・・・。


ティーボウルにコーヒーカップ、そしてソーサーの三つ組です。
コーヒーカップにだけハンドルがついていたというのも面白いところ。
派手さはありませんが、縁の絵付けが緻密で職人技を感じさせてくれる器ですね~。


次回は1800年代の作品を中心に見ていきながら、引き続きハンドルの構造についてをさらに突っ込んで、良く作られたハンドルのリングに指を入れて持つといかに持ちやすいか、という事についてを考えていきたいと思います。

ちょうど秋のイベントレッスンの募集中でもあることですし、せっかくですので、お教室のコレクション・・・1700年代終わりごろから現代にかけての200年余りの各時代のティーカップを作例としてご紹介していきますね♪


秋のイベントレッスン「基礎からの陶磁器」募集中です!

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