雪沼とその周辺 (新潮文庫)/堀江 敏幸
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あらすじ

山あいの寂れた場所に雪沼という町がある。大きな町ではないが、生活をするには何不自由なく過ごせる。そこには小さなレコード店や書道教室、町工場など時代の波に取り残されながら生きながらえる場所があり、そこに根付く人がいる。それぞれの人生が雪沼を舞台に静かに、しかし確かに流れているのである。

人生の甘苦を映す連作短編集。


収録作

・ スタンス・ドット

・ イラクサの庭

・ 河岸段丘

・ 送り火

・ レンガを積む

・ ピラニア

・ 緩斜面



これはすごく落ち着いた小説で、劇的なストーリーはなく、しかし人々の生活や思いは勢いよく血管を流れる赤血球のように熱く力強い。それをまず感じさせてくれるのが、『スタンス・ドット』。廃業を決めたボーリング場の店主がいよいよ店を閉めるというときに一組のカップルがトイレを借りに来た。それをきっかけに店主は1ゲームやっていかないかと提案する。このボーリング場は店主が守り通したアメリカで出会ったピンを使い続け、独特の音が弾けるのだが、耳が遠くなってきた店主にはこの音がもう聞こえなくなってきていたのだ。悲しみを超えたものを背負いながらいると最後のフレームを投げてみないかと誘われる。


という流れなのですが、この小説のよさは、そこに息づく何かがあること。『スタンス・ドット』では長年使用してきたこだわりのピンの音が、『河岸段丘』では長年使用してきた裁断機が、『ピラニア』では不器用ながらも続けている料理店がそこに静かに、しかしはっきりと生きている。それに応じるようにそこに住む人、使う人たちも力強く生きている。そういった生命力のようなものが静かな文章から伝わってくることがこの小説のよさじゃないかと。

そしてこうした人々と雪沼の風景を絵画を観るように読める風景描写も魅力のひとつです。


僕はなかでも『送り火』が好きです。

静かに話す男の人が書道教室を開き、部屋を貸している女性が教室の世話をしているうちに夫婦になって一男をもうける。しかし運命というのは時に残酷で、二人の子は幼くして亡くなってしまう。それでも書道教室を続けていく。

という話なのですが、この短編集の中では衝撃的な死と向かい合うという印象的な場面が描かれる数少ない作品です。ただ、それでも彼らは静かに死を受け入れ、そしてまっすぐ立ち上がろうとする。この作品のなかでもとりわけはっきりとしたメッセージ性の強い作品だったと思います。そして最後は読み手の想像によるものですが、タイトルを現す形で幕を閉じようとしています。主人公のキャラクターも相まって静かに眼を閉じたくなるような優しさと切なさがあったような気がします。


どこか懐かしい、でもそれは時代に取り残された世界が未だにそこにあるだけで、雪沼の人々は決して古いわけじゃない(といいつつ主人公はご老体が多いのだけれど)。その空ろな感じがどこか切なく儚げな作品でした。



ふぅ…


これを読んでいて何か頭をよぎるなと思ったのですが、感覚として似ているものがあったのです。

ドラマの「優しい時間」これに雰囲気がそっくりなのです。

どこか懐かしくて、でも今をしっかり生きている、そんな見えない時間の差が静かに感じられる。

優しい時間を面白いと感じた人はこの作品も気に入るかと思います。