
- ノスタルジア (角川文庫)/埜田 杳
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あらすじ
『些末なおもいで』
不眠症の高校生・檜山は毎晩眠れずに、窓の外を見ていた。ある日、毎夜のように眠れずに窓の外を見ていると、同じ学校の矢鳴に外から声をかけられる。彼は夜眠れずにいるからだを夜のまちを徘徊して過ごしていたのだ。矢鳴の幼馴染、キューピーさんも加わり、心地よい生活が始まるかと思った。しかし矢鳴は「あれ」と呼ばれる奇病にかかっていた。体の一部から羽が生えて、いずれは飛んでいってしまう奇病。
彼らの生活に闇を落とす。。。
この作品を読み終わった後で作者のプロフィールを読んでみると、なんと僕と同い年。言葉の使い方や名前の付け方から若い人なんだろうなぁと思っていたのですが、まさか同い年だったとは。
なんだか高校球児が年下になったときのような衝撃がありました。
考えてみればもう働いている人だっている歳です、本を書いている人が同い年でもおかしくはない。でもなんかまだ、作家は自分よりも年上であるという感覚のほうが強いんですよね(^▽^;)
さて、本題。
今まで読んできた作品にはない分野の作品に手を出したきがします。まずこの作品は青春小説っぽいけれどそうではない。確かに学生・友情・恋・失望という青春小説をうたうにはもってこいのキーワードが並ぶのですが、青春とは一線を画した世界に身をおいているような気がします。
そうしている要因はまさに「あれ」。
ある日からだの一部がかゆくなり、いずれは羽が生えて飛んでいってしまうという奇病。
矢鳴は左目、手の小指、と少しずつ奇病に蝕まれていくのですが、この病気については何もわかっておらず、世間でも「あれ」としての噂話としか広まっていない。
この病気をすんなりと受け入れられてしまう檜山とキューピーさんは見事に青春小説の登場人物っぽいのですが、やっぱりこれは容易にそのジャンルを与えてはいけない作品だと思います。
それだけのひとつの世界観と人々の思いのようなものが見事に交錯していると思います。
だからといってほかになんと呼べばいいのかわからないので、青春小説として僕の棚には並んでしまうのですが。。。
矢鳴はキューピーさんには一切この病気について自分から話をせず、彼女も自ら矢鳴に会いには行かない。
檜山も矢鳴の自由が奪われていくと同時に少しずつ接する時間が短くなっていく。
しかし彼らのそんな行動は、避けているという非なるものではなく、受け入れているという肯の部分が確実に強い状態ではないでしょうか。
受け入れているからこそ会えない、会わない。。。
この物語のラストで見事に涙を浮かべてしまった良作です。
この作品はほかにも『dysprositos』 『熱い骨』 という短編集がふたつ収録されていますが、この2つの作品はなんとも若い人ならではの作品ぽいなって思います。
どこか暗く、もやもやとした空気の中、それでも静かに息をし続けている、そんな感じを受ける作品でした。
ふぅ…
最後に書いたように、この作者の作品は、キラキラとしたポップチューンな青春小説ではありません。
だからこれ読んでみて!!ってお薦めするようなものではないのですが、読み終わった後に窓の外の景色をそっと眺めてしまう、しまいたくなる作品でした。