すきまのおともだち  江國香織


すきまのおともだちたち (集英社文庫)/江國 香織
¥580
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あらすじ

仕事で訪れた街で道に迷い、帰れなくなってしまった「私」は、庭で育てたレモンの木からレモネードを作りそれを売って生活する「おんなのこ」と、車も運転する「お皿」に出会う。帰れなくなった私はここの家の客人として生活するのだが…

変わるものと変わらないもの、どちらが大切でどちらが幸せなのか。不思議な世界に迷い込んだ小さな女の子との友情物語。



なんとなく江國香織の世界に近づくことができなかった僕ですが、この本のタイトルに惹かれて手にしてしまいました。

『すきまのおともだち』。ひらがなの美しさと言葉のリズム、優しさとキラキラとしたポップな感じがグッと伝わってきましたねぇ~。と、タイトルフェチにはたまらないものでしたが、物語も面白く読めました。


ジャンルとしては児童書扱いになるのでしょうか。でも大人が読んでも十分考えさせられる要素があり、児童書特有の文体(もしかしたら江國さん自身このような文章なのかもしれませんが)ですが、物語にすっと入り込める、そんな作品でした。


つまり、すきまのおともだちとは異世界のお友達ということで、まるで魔法の世界にいるような感覚に陥ります。が、そこに住む人々はそれが当たり前で、つまり女の子がいつまでも女の子であることも、お皿が喋ることも、街の駅の隣が隣町駅であることもごく自然なことである。日々時間とともに進む私からすれば異空間ではありますが、女の子からすれば現実世界(女の子から見ると異世界ですが)の方が不思議なことである。


女の子はあるときこんなことを言います。

「過去の思い出があったら、どんなにすてきだろう」


女の子は生まれたときから小さな女の子で、生まれたときから両親はいない。けれどそれは過去の思い出ではない。なぜなら過去の思い出はなくしてしまったものだからこそ過去の思い出なのだからと彼女は説明するのですが、この考え方が妙に神秘的で、かつ哲学的な気がしてなりません。


例えば、僕が大切な人と生活しているときは、今の思い出である。例え昨日のデートも、1ヶ月前の喧嘩も、半年前の出会いも、すべて今の思い出である。なぜならまだそれはなくなっていないのだから。

けれどその大切な人と別れてしまったら、それは過去の思い出であり、取り戻そうとしても取り戻せないものである。

しかし、変化の無い異空間に住む女の子は、過去を持つこと、つまり失うものが無いのだ。

僕たちからすればそれこそうらやましい世界に思えるけれど、変化が無いことの失望もある。

女の子らしくあること、お皿であること、世の中の当たり前、それらが常にあり続けることが異世界の自然の摂理であることに僕は少々戸惑いもしましたが、常に変化し続ける僕らからすると、このすきまの世界が必要なこともあるのかもしれません。


女の子はとても小さな女の子とは思えぬ言葉遣いをし、この世界の人々は世界が確固たるものであることに自信を持ち生きている。無意識に彩られた強制社会と少々言葉を悪くするとそうとらえることもできますが、それだけに彼女たちは力強く、そして自信満々に生きている。

なんだかうらやましくなってしまうほどに…


でも一番うらやましいのは、「私」のすきまの世界との関わり方ですがね(@ ̄ρ ̄@)


児童文学だからこその世界観、そして女の子たちのもつ価値観、どちらも強制的にこの世界を押し付けられるかのような物語ですが、それがもしかしたらすきまの世界なのかもしれません。



ふぅ…

全然本とは関係ないのですがね、


なんかすごく・・・・鍋焼きうどんがおいしい(-^□^-)