さがしもの  角田光代  新潮文庫


あらすじ

「そのこと、だれにも言うんじゃないよ。あんたひとりでさがしておくれ。」

そう言って入院中のおばあちゃんは一冊の本を探すよう少女に命じた。タイトルも出版社名もわかっているのに見つからないその本を少女は必死に探し続ける日々を描いた「さがしもの」

留年、空き巣、失恋・・・なぜか不幸に見舞われる女性は、その根源が家にある見慣れぬ本であることを知った。その本の行き先を別れた彼に渡そうとするのだが…。一冊の本が導く運命を描いた「不幸の種」

などなど本の物語が9つ収録された短編集。無限に広がる書物の宇宙で偶然出会ったことばの魔法はあなたの人生も動かし始める。



以前、とある本の巻末にある解説を読み、解説としての文章のつくりかたがすごく良かったなぁと思ったのが角田光代さんでした。いつか読んでみたいなぁとは思っていたのですが、なんとな~くタイトルに惹かれず、裏のあらすじを読んでもぴんとこなかったのでなかなか手が出せないでいました。

が、この「さがしもの」が店頭に並んでいるのを見たとき、ついにみつけた。そう思いました。


本を物語にした本というのは、もしかしたら意外とあるのかもしれない。けれど角田さんのごくごく静かでありながらもふわりと重たい(変な日本語ですが・・・)雰囲気は、本の持つ魅力や世界を存分に味わえ、十分個性的な本でした。


この本を読むと、本と言うものはホントに不思議だと実感する。少々現実とかけ離れた部分もありますが、それでももしかしたらと我が家にある本を眺めてしまいます。

僕は漫画やCDは中古でも構わないのですが、なんとなく本に限っては新品を手にしたい方でして、そんな僕からすると「旅する本」や「引き出しの奥」のように古本を手にするときの興奮というものがありません。

でもなんだろうなぁ、この物語を読んで、古本の魅力がなんとなくわかったような気がします。

特に「引き出しの奥」ではその本を手にした人が次々に裏表紙に書き込みをして再び売っていくというものなのですが、そこには本の感想などではなく、詩のようなものがびっしりと書き込まれていくそうです。

以前の僕は、汚い本だと本棚に戻すかもしれません。が、この物語を読んで、存在することに意味がある本があるということを感じた、そんな気がします。なんなら僕もその本に書き込みをしたい、そう思うほどでした。

本の内容自体にはたいした意味合いは無くても、その本がもつ意味は非常に大きい。

そう考えると、この本の物語は、『そういった本』が取り上げられていて、だからこそ面白いと感じるのかもしれません。


なぜ僕は古本が苦手なのか考えてみたのですが、ただ古いだけということが最も大きな理由なのかもしれません。特に某中古取扱店では、綺麗なものが優先され、多少の汚れは買い取っても、汚れがひどいと買い取ってくれない。そういったところに本の持つ価値観ががくんと下げられているような気がして残念な気がします。

そういった点では図書館の本のほうが味があり、随所に引かれた線や、チェック、書き込みなんかは資料作成に多少役立ったりゴニョゴニョ・・・・


じゃぁなんで漫画やCD、ゲームは中古でも平気なのかと考えてみると、漫画は綺麗に保管されていることに意味があり、CDは聴けることに意味があり、ゲームは作動することに意味がある。

だから綺麗なものを扱っているのであれば中古でも構わないという考えなのかもしれません。


ところで、僕にとって大事な本や好きな本はたくさんあれど、ここに出てくるような魅力的な本と言うのはなかなか出会えないものです。もしかしたらいくら本に出会おうとも魅力的な本には出合えないのかもしれないし、意外と本を滅多に読まない人が手にした一冊の本が、人生を変える一冊になったりするのかもしれない。

でもいつか僕にも不思議で魅力的な本が廻ってきたらなぁと、そんな本に出合えたら幸せだろうなぁと、なんとなくそんなことを思ったりして。



ふぅ…

今日本屋へ行ったら、「夜は短し歩けよ乙女」が文庫本化されていました。

僕の大好きな本であり、また、持っている単行本が文庫本化されたことも初めてだったので妙なうれしさを感じましたねぇ。しかも解説はなんとハチクロの作者羽海野さん。あれを解説と言うのか少々疑問はありますが、危なく手にしてしまうところでした。(いや、まぁ買っても良かったのですが・・・まぁ、ね。)


現在、森見さんの作品でまだ文庫本化されていない作品を読みたいなぁと思ってはいるのですが、ハードカバーを電車の中で読むのもなんだし…ということでためらっております。

というと、他の作家さんの作品でも同じ状態のものがいくつかあり…もどかしいです。