電車の中で何をする? ブログネタ:電車の中で何をする? 参加中

[ 電車の中で何をする? ]

僕は音楽は好きですが、外へ出たときに聞くことはなく、
外を眺めるて流れる風景を見るというようなきれいな構図を描くこともなく、
ケータイでメールを送りあうほど友達もおらず、
かといってただぼんやりと狸寝入りをすることもない。

黙々と本を読む。
文庫本をペラリペラリとめくりながら、目的の駅に着くまで本の世界に没頭する。

昔は本は一気に読まないと気がすまない方でしたが、本を読む時間を作るのが下手ですからね、仕方なく電車の中で読むようになりました。

さて、そうして読んだ本が

走るジイサン 著:池永陽

走るジイサン (集英社文庫)/池永 陽
¥420
Amazon.co.jp
あらすじ
69歳のジイサンの頭の上に、猿が乗っている。ちょこんと座るようにのっている猿は、話しかければクーッと鳴き、一人前に怒りもする。けれど猿は頭にのせている作次にしか見えない。
作次の息子には京子さんという嫁が出来、作次の家で過ごすことに。猿と嫁との共同生活がはじまったのだ。
そんな中、作次は京子さんにほのかな恋心を抱いてしまう。。。
老いていくならではの哀愁がにじみでてくるほっこりドラマ。

この作品は、やはりまずタイトルに惹かれてしまいました。
走るジイサン。別におかしな話ではないけれど、どこか笑えてしまう、というのは世のジイサン方に失礼でしょうか。
でも妙にこのタイトルを本棚で見たときに笑えてしまいまして、手にとって1ページ目をペラリとめくれば

 『頭頂部だ。頭の上に猿がいる。いくぶん哲学的ともいえる澄ました顔をして確かにちょこんとのっている。』

こんな文章を読まされて、僕はすんなりとレジへ進みました。

そして読み進めていくうちに、作次に引き込まれていく。
なんていったって、頭の上に猿がのっているにもかかわらず、まぁいいか…と今の現状を受け入れてしまっているその姿勢がいい。
自分はボケたのかとか、精神異常なのかとも考えるが…まぁいいか。
そう思わせるのは、作次の性格もあるのでしょうが、猿の顔がよかったのかもしれません。
憎みきれない顔、話しかければ反応するし、作次の心を読み取るような素振りすらする。
そんな猿なら…まぁいいかと。

さらに作次は恋をする。いや、あれが恋なのかどうなのか僕にはわかりませんが、少なくとも作次は息子の嫁を意識している。
けれどなんかいやらしさがなく、スケベジイサンの雰囲気はない。
だから読んでいても作次の妙な感情がこっちにも悶々と伝わってきました。
いや、これまた表現が違うかな?悶々というか…沸々と?
いや、もっとこう熱いけれども静かで、なおかつ秋風のような…
そんな感じです。

なんとなく読んでいてジイサンのにおいがする。
なんとなく老いのもの悲しさを感じる。
なんとなく老いた自分を想像してしまう。
というような作品でした。


短い電車時間、ぽつんと本を読むのもなかなかなものです。

が、電車の中で音符(楽譜)を読んでいる人が異常にかっこよく見えるのは僕だけでしょうか。


ふぅ…
この話の調味料のひとつとして、作次が通う喫茶店の娘が描く絵があります。赤を基調とした絵のようですが、どうやら作次の目から言わせれば、赤がひどい色なのだそうです。それには理由があるのですが…
作次はただ鉄工所で赤く染まる鉄を見てきた。そのため、赤い色の変化に気がつくのだが、なんだか少し作次が羨ましくなりました。
ただのジイサン。けれどジイサンには違いがわかる。そう、たったひとつだけれど違いのわかる男だった。
僕も何か、そういうものがほしい。