僕は先天性というだけあって、産まれたときからこの障害にかかっていました。
生まれてすぐに看護婦さんが僕の腰の小さなこぶに気がつき、あら、少し変ね、検査しましょう。という感じで検査したところ、なんと産まれてきた僕は障害者。
早急に手術が必要な体だったらしいのですが、赤ん坊には体力的にもたないとのことで3ヶ月くらい未熟児が入るような無菌室?に入れられていたらしいです。その間食事制限もあり、両親は泣き叫ぶわが子を涙を流しながら見守っていたとか。
余談ですが、人の脂肪(お肉)は幼児期にほぼ決まるらしく、小さいときにいっぱい食べさせるとどうしても太りやすい体質になるそうです。だから僕みたいに、ミルクが欲しいといっても、脂肪をつけさせないように禁じていると太りにくい体質になるとかならないとか。まぁ、赤ん坊が欲しがっていればあげてしまうのが親心だろうし、大人になっても結果暴飲暴食すれば太るだろうし、やせたいと思えばやせるのかもしれませんから本人次第ではあるのでしょうが…
そんな食事制限された僕を見ていられなくなった両親はなんとかしてくれと医師に直談判。予定よりも3ヶ月以上早く手術したと言うのは…ほんとなのだろうか。
この手術、腰にたまった脂肪をとるものだったそうです。
神経が張り巡らされた場所にメスを入れ、余分なものを取り出す作業だったらしく、初めは麻酔の関係で6時間だか○時間だか(はっきりしません)しかできないはずなのに、10時間越えの長期手術だったようです。
そんな簡単に麻酔時間が変えられるのかわからないので嘘か真か…
その後、すくすく育った僕。
小4のときに、なんらかの健康診断で引っかかった僕は、近くの大学病院へ。
そのとき、母が急に思ったそうです、僕を脳神経外科で見てもらおうと。
その病院へ行ったときのことは何となく覚えているのですが、脳外で診察を受けた記憶は無いんだけど…
そのときの結果が数日後に出ました。
両親のみが病院へ行くというなんとも危険な展開。
そして家に帰ってきた父の顔と声は今でも覚えています。
夕食後に父から「あのな、静岡の病院で検査することになったから」と言われたときはまぁ喜びましたね。え?学校休んでいいの?と。
そしてここで初めてMRIに入って、あのゴーンゴーンという大きな音と、身動きをとってはいけないという制約に苦しんだ記憶があります。あんな中に1時間も入ってるんですよ?まったく。
そしてその数日後…再び父の不安そうな顔を見ることとなりました。
「あのな、入院しなくちゃいけないんだってさ」といった瞬間、僕は泣き出しましたね。さすがに全く知らない土地で入院&手術ですよ?そりゃ泣くわ(^▽^;)
嫌だ嫌だ言っているうちに時はたち、入院当日。ふくれながら静岡の県立子ども病院まで行きました。
なぜ近くの大学病院ではなかったかというと…この手術が難しいからなんだそうです。ましてや子どもの体ですからね。
で、入院翌日が手術というなんとも急な話。そんなに危険な状態だったのだろうか…
というか、僕の障害で危険てなんなんだろう。
この辺はまったく記憶にないので、大袈裟な両親の話を僕なりに書き起こすものですから、はっきりといえませんが、僕はどうやら奇跡らしい。
普通僕と同じ障害を持っている人で歩いている人は珍しいらしい。僕が子ども病院でのほほ~んと歩いたときに先生が十数年前の僕のカルテを見直したとかしなかったとか。
それくらい珍しいって話を聞きました。
確かに、脊髄損傷とかそういう話はドラマとかで見ると歩けなくなるというのがお決まりですが…僕は歩いちゃってますもんね。
もちろん排泄行為は自分で普通にしてるのでカテーテルを使って~とか、そういった類の行動もありません。
ん?また話がぶれてきた。
このときの手術時間も12時間くらいだった…かなぁ?覚えてないや。まぁ、麻酔していたから当然か。
ただ覚えていたのは、この前日、全身麻酔の匂い(薬を嗅いで眠らせるので)は何がいいか聞かれ、バナナ、イチゴ、オレンジ…だったかな?その中からオレンジを選んだことくらい。で、数日後にイチゴにすればよかったなぁとか、眠りに着くとき、麻酔科の先生が分数の話をしているときに寝た気がするなぁとか、くだらないことばかり。
ん~と、無事手術終了。背中の脂肪を取って、袋みたいなのをかぶせて…あぁわからない。何されたんだ僕は∑(-x-;)
背中の手術が終わり、ひと段落着いたときに先生からある提案が。
それは左足の手術でした。
確かに当時の僕は多少歩き方がおかしかったらしく、よく転んでいました。
少しずつ僕も自分の体の異常さに気がつき始めていたころですから、この足が治るのだと思うと、多少心が揺れましたが…やはり嫌ですよね?手術で入院だなんて。
僕は現在も左足のつま先はまったく感覚が無いし、左足の筋力は右の半分。おかげでサッカーをやっていても左では踏ん張れないし、ボールを蹴ることも出来ない。小学校のころは多少変形した足のおかげでスパイクが履けないほどでしたから。昔は細いスパイクが主流でしたからね。
今は幅の広いスパイクがあるのでそれ履いてます♪相変わらず左足でボールは蹴れませんが。それでも僕が障害者だって気がつかないらしい。スゴイなぁ…でも左足が使えないことはサッカーをやめた理由ではあります。
あぁ…つまり、中学生の僕がいくら嫌だ嫌だと言っても手術は行われたわけです。この左足手術の提案をされたときの母の目の輝きといったらすごいものがありましたから。この子の足がよくなるの?きれいに歩けるようになるの?って。まぁ、当然の喜びでしょうね。さすがに足の形を固定するため右から左に太いワイヤーが貫かれた足を見たときは青い顔してましたが。今もあのワイヤがー通っていた傷跡ははっきりのこっており、加えてアキレス腱伸ばしたり、骨を削ったりしたので左足だけで4箇所もの傷跡がありますが…もう見慣れました。
結果はじめに書いたように、僕の左足もしくは腰の手術跡を見ない限り僕が障害者だとは…いやいや、見たとしてもいまだに僕をサッカーに誘ってくれる友達がいるくらいになったわけです。
右足でビシッとシュートを決めてやったり、やんちゃなサッカーを展開していくわけですよ♪
それでも医術は魔法じゃありませんから、左足の形はおかしいため皮が硬い靴は履けない、スリッパも履けない、革靴を買うときだって履けるのかどうか緊張したくらいですから。高校を決める時だって、無難な高校を選ぼうとしたけれど、そこは上履きではなくサンダルで生活を送る学校らしく挫折。いや、まぁだからこそ今の僕があるのだけれど。
スノボーやスキーというウィンタースポーツをやりたくても左足の自由がきかないので参加しないようにしているし、スキューバーダイビングをしたいと思うけれど、フィンが履けない気がする。
左足は足袋がはけないからとび職にはなれないし、紋付袴も着れない。浴衣をきたって足元はコンバースじゃぁかっこつかない。高校のとき文化祭の項目に下駄を履いて踊る伝統行事があったので、下駄が履けない僕は参加しないつもりだったけれど、雨男ぶりが発揮されて体育館での踊りとなり、下駄ではなく裸足になった。このときばかりは雨男万歳と思いましたね。
左右の足の長さが違うから、左足の革靴はよく脱げる。
爪切りを怠ると、靴の締め付けによって、爪が足の指を傷つけ出血している。
なのに感覚がないから靴を脱ぐまで気がつかない。このときばかりは感覚なくてよかったと思うけれど、考えてみれば一般の人はこんな怪我すらしないのだよね。
でも左足の裏をくすぐられてもくすぐったくないのはメリットか。
ん?だいぶ愚痴となってしまいましたね…反省。
でも加えて愚痴を言うと、こんなにできないことがあるのに、僕は障害者として認められていません。つまり障害者手帳をもらっていないのです。なんでもらえないのか、というかどうやったらもらえるのかもわからないのですが…一度子ども病院で診察してもらったときに、親が試しに聞いてみたところ、やはりたやすく認めるわけにはいかないらしく…普通のことほとんど変わらない僕は余計認めずらいとのこと。
障害者扱いにされれば、バスが半額になったり、公共施設で得をしたりといろいろな補助があるのですが…まぁしかたないか。こんな野心を持っているようじゃね。。。以前全盲の母をとりあげたドキュメンタリーを見ましたが…よくまぁ僕みたいなのが文句を言ってるなぁと反省したくらいです。
ん~…この記事を書くきっかけは、実家で、ふいに体の話になって、あまりに僕が自分の病気のことを知らないなぁということ。文章におこすといろいろと見えてくるものがあるので書いて見ましたが…知らないことが多すぎて、結局は懐かしい体験談になってしまいました。
同じ病気を持つ親子さんのいいアドバイスにもならないでしょうし…
そのとき初めて聞いたのですが、僕が病気だと言うことで、僕と同じ病気を持つ子どものお母さんから何度か電話がかかってきていたらしいのですが、記事に書いたように僕は偶然歩いちゃったので、同じ病気の下半身麻痺の子どもとは勝手が違いすぎるらしく、申し訳ないと電話をきることもあったそうです。
やはり一度大人になった自覚として病院を訪れるべきなのでしょうかね。
でもどんな病院へ行けばいいのだろう…大学病院はたらいまわしにあった経緯があるからか、父親はいい顔しないし…かといって小さな病院で見る症状じゃないだろうし…
結果自分を知らないまま時間が過ぎていくのでしょうか。
一応この障害を持っていることは黙っていて、友達でも知っているのは中学校の友達を除けば3,4人。
陰のある、秘密のある男と自分では思い込んでいるのだけれど、僕を知っている人からすればそうでもないらしい。でも逆にちょっとホッとする。どこまでこの障害のことを認知しているのかはわからないけれど、左足が役に立たなくてもサッカーに誘ってくるし、プロレスだってしてしまう。バリアフリーという言葉があるけれど、バリアフリーとは心の壁を無くすことで完成される気がします。
ふぅ…
長々と書きました。結果ただの手術自慢と左足への愚痴となってしまいました。まぁ予想できてましたけれど。
※自分の病気を知らないため、オーバーに書かれた部分もあるかと思います。実はなんてことない病気だと言う可能性もあります。これだけ長い文章を読んでいただき、こんなオチでは申し訳ないのですが。