蒲公英草紙 常野物語 著:恩田陸
- 蒲公英草紙―常野物語 (集英社文庫 お 48-5)/恩田 陸
- ¥500
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僕は恩田陸の夜のピクニックを映像から体験しました。
青春の一幕、青春ならではの妙なハズカシさ、多部ちゃんのかわいさなどなど、なかなか楽しみました。
が、おかげで小説版の夜のピクニックを読む気が失せてしまいました。
夜のピクニックが面白かったので、他の作品をと思っていましたが、恩田さんは基本的にSFやミステリー作家のようですね…
僕はミステリーは得意じゃないし、SFって肩書きだけでもなんかとっつきにくいなぁ…
と思っていました。
が、なんとなくこの『蒲公英草紙』というタイトルに魅かれ、気がついたら購入していました。
家に戻るまで恩田さんの作品だとは知らなかったので、少し戸惑いましたが…
あらすじ
田舎町の大豪邸、槇村家。この田舎町は槇村家によって保たれていた。
槇村の末娘聡子が病気がちのため外に出ることは少なく、少しでも元気の元となればと話し相手に選ばれた峰子。二人の周りには少々個性的な人たちが取り巻いていたのだが、ある日不思議な家族が槇村家を訪ねてきた。彼らが使う未来を予知するちから?しまうって何?
20世紀という新しい時代。今を懸命に生きることとは何かを模索する人々の懐かしさと温かさ、そして切なさがにじむ感動作。
これは20世紀をにゅーせんちゅりーと呼ぶような時代の東北の農村を舞台としています。
そのような時代背景なだけに、言葉もどこか古臭く、ノスタルジック全開の作品ですが、だからこそ常野一族という不思議な力を持つ人々、いや、その力が奇妙な光をもって鈍いながら力強い光を放っているのかもしれません。
草紙というくらいですから、峰子が書いた日記なのですが、この時代で、かつお屋敷でお嬢様とともに生活するに値する品のよさをなんとなくかもしだしており、全体的にキリッとしたものがあります。
ん~これは最後まで読んでこそ面白い作品なので、あまりゴチャゴチャ言えませんねぇ。さすがミステリー作家だけありますね。
そういえばこの本を読んでいて、妙に印象に残った一文があったので、そこを抜粋。
「皮肉なものだね。どこに何があるか分からない昔の方が、我々は幸せだったと思わないか? 今はどこに何があるか分かっているのに、そのことがますます我々を不安にさせ、心配事を増やしている。」
確かになぁと…
これは20世紀初頭に生きる槇村の主人が言った言葉ですが、この言葉の真意は今も変わらず残っているような気がします。20世紀のときよりも100年たった今、さらにどこになにがあるのか分かるようになっただけに、よりこう感じる人は多いかもしれませんね。僕もその一人です。
あれをすればこうなる。あれをしなければこうなる。
全て手段はわかっているだけにもどかしい日々です。
この言葉に続いて、常野の父親はこう返しています。
「ひとは自分が持っていないもののことは心配しないさ。自分が手に入れたものを失うことと、よそのひとが自分より先に手に入れるんじゃないかと思うものに対して心配するんだ。」
この人ら…なんて大人なんだ…いや、十分なお歳の大人なのですが…深い。
これが大人な男って奴なのか…
この作品はあたたかい作品ですが、非常に陰の部分が強い作品にも取れます。20世紀という新しい波が押し寄せてくる時代だからこその哀しみがこの中に含まれています。
時代背景、タイトル、装丁などなどからほっこりロマンかと思いきや、そうではない。
ネバーランドや夜のピクニックもそうでしたが、ちょっと悲しいというのが、この人の作品らしさなのかな?
初の恩田陸作品でしたが、楽しんで…という表現が正しいかはわかりませんが、楽しんで読みました。
僕は基本的に不思議な力としての魔法がドバァァァ!!とか、幽霊がドロロロロ…といった感じの作りすぎたものは読みたいと思わなかったのですが、この人の書く不思議な力はそのようなにおいがありつつも、どこか優しく、人間離れしている中に人間臭さが感じられる。
そして調べてみればこの常野物語、なんと短編連作として一冊の本で出てるじゃないですか!
思わず手にとって、隙を見ては読んでいます。
ふぅ…
夏って読書感想文のためなのかどの出版社も一斉に推薦図書?みたいに本を提示してきますが、毎回2,3冊は手にとって読みたいと思うものが出てきます。そして我が家には数冊、このキャンペーンに乗っかって買った本が積まれております。。。