#配慮はしているつもりですが、若干のネタバレがあるので、ご注意ください。

K太郎が、ハリーポッター全巻読み終えたのち、
また「賢者の石」を借りてきた。
もう一度読むそうです。
気持ちはよく分かる!だって私も3回だか4回だか、、もう何回読んだかわからない。
借りてきたついでに私もまた読んじゃおっと。

さて、ハリーポッターシリーズで、いつも気になるのが
「血」、「生まれ」。

伝統的に、
欧米では「才能」を評価し、
日本では「努力」を評価する傾向がある、という説を聞いたことがある。

「才能」、、
どう解釈しましょうか。
「努力の末、確かな結果を伴ったもの」の場合もあるし、
「生まれ持っている能力」とも言えるかもしれない。
(前者はなんとなくアメリカンな感じがするし、
後者はなんとなくイギリスっぽい感じがする。あくまでイメージ。)

ハリー・ポッターは、
あんなに厳しい環境に育ちながらも
魔法の能力のみならず、豊かな人格もきちんと両親からうけついでるということに
違和感を感じた人が多いのではないでしょうか。
ダーズリー一家での暮らしと、
トム・リドルの育った環境は、悲惨度で言えばそんなに大きく違うとも言い切れない、、
なのに、トム・リドルはハリー・ポッターとは似てもにつかぬ魔法使いとなっている。

組わけについても違和感があります。
パチル姉妹は別々の寮ではあるけど、
多くのきょうだいは同じ寮になっている。
スリザリンは純血主義で、闇の魔法使いを多く排出しているという設定も
考えると、
結局「どこに生まれたか」ということが重視されていることが分かります。

教育学ではよく、
人格や能力を決定するものとして
「遺伝的要因」と「環境的要因」が
それぞれどれくらい影響するのか、という議論がなされます。
別々の環境に育った双子ちゃんを研究するとかって話、聞いたことありませんか。
まあ、どっちの要因が何パーセントずつかっていう結論は絶対出ないでしょうけど、
何か一つの事象について考える指標として使われるものなんですね。

それで言うと、
ハリー・ポッターのストーリーは、
遺伝的要因が強く影響していると言えましょう。

「おしん」的な「どれだけ苦労したか」話とか、
下克上やら、わらしべ長者とかいった話が
大好きな日本の文化からすると、
なんだか違和感がありますが。。。

そこで更に思い出すのが、ジブリの「魔女の宅急便」で、
キキが飛び方を聞かれたときのセリフ、
「血で飛ぶ」。
魔法使いというのは、とにかく「血」なのでしょうか。

ハリー・ポッターが
「血」、すなわち遺伝的要因を重視したストーリーになっているのは、
「魔法使い」を題材にしたからなのか。
それとも「イギリス的(あるいはヨーロッパ的)」だからなのか。
もしくは「魔法使い」そのものがイギリス(ヨーロッパ)的なものの
象徴だからなのか。

気になるところです。

歴史や文化には全然詳しくないので分かりませんが、
最近、イギリス王室ネタの本を読んだりして
イギリスって何なの?ヨーロッパ的なものってなんだろう?
という謎のヒントを探しているこのごろです。