2015-12-20 18:44:40

気骨と普遍 のつづき

テーマ:日々のできごと
…前回の続きです。

今、この世の中に足りないもの、
つまりは私にも足りないもの、
そして私が求めているものは、
「気骨」なんだと気がついた。

そして、ほんとは「気」が「鬼」になるくらい、
もっともっと思いや念を入れないといけないんだと。

わかりやすい表現
心地よい場所や関係
共感を生むしくみ
分かち合える喜び
…みたいなものは、嫌いではないけれど、

それを求めていては終わりだなと思う。

まったく戦ってないじゃないかと思う。

そうやって「気」の抜けた「骨」が軸にあったところで、
「骨抜き」人間と同じじゃないか、と。

子供心に感じた憧れや嫌悪感
素朴な疑問や発見
世界が狭いから純粋に感動できること
ものわかりのよくない自分
…みたいなものを、
カラダのどこかにしまってから、忘れていた。

「合理性」という免罪符は、
いつも使っちゃいけないものなのに、

いろんな要素をあげつらって、
いかにも吟味したかのように理由付けをして、
いろんなことを流してきたなぁと思う。

せっかく1万個もの神経細胞が
めいっぱいに張り巡らされてるのに、
おんなじ細胞10個くらいしか使わずに、
いろんなことを判断してきたなぁと。

「合理的」というと、よく聞こえるけど、
それ以上考えなくて済むという意味で、
これ以上「怠惰」なものはない。

もう少しで、何が大切なのか、見失うところだった。

“そこ”を考えるのを、
誰かに任せてしまったら、
私は私ではなくなるのだ。

そういう些末なことが気になるのは、
生きているが故の苦しみであり喜びなんだ。


大人になると
「どうでもいい」ことが増える。

世の中には自分の興味の及ばないところがあるから、
それを「どうでもいい」と捉えることもあるし、
がんばっても自分の力が及ばないところに対して
「どうでもいい」と投げやりになることもあるし、
後で責任を取れるから手段や方法は「どうでもいい」と
広い心で思えることもあるし。

面倒なことは、
時間やお金で換算すればコストパフォーマンスが低い。
でも、面倒なことができる才能や知恵から見てみると、
使わないでやってしまうことの方がもったいない。
使わなければどんどん鈍るんだから。

自分の感覚がただただ鈍っているだけなのに、
大人ぶってわかったようなことをいうなんて、
人間としては生産性ゼロだ。いや、マイナスだ。
まったくクリエイティブじゃない。

この世の中には、
パーフェクトな正解があるわけではない。

今はよきことだとされていても、
数百年後に真逆にとらえられているかもしれない。

私の浅はかな考えはここ数十年で作られたものだけど、
身体の感覚や直感は何万年もかけて作られたご先祖様たちの叡智の結晶だ。

だとしたら、後天的に仕入れ&編集してきた価値基準より、

好き嫌いや直感、もの心もつかない頃に決めた自分ルールを、
もっと大事にしていいんじゃないだろうか。

嫌なものが好きになることもあるし、
好きなものが嫌いになることもあるけれど、

そういうものと向き合ったり、なぜだろうって考えるのは、
自分と闘うことでもある。
そして、もともと備わっている理性と感性を、
さらに磨いていくためには必要な行為だ。

知らない誰かが言ったことを盲信するなんて、
自分の身体にも、自分をとりまく様々な環境にも失礼だ。

骨の気、とりもどさなくっちゃ。とね。


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