ありがとうさようなら
【旧愛車のおしり】
愛車の車検が思った以上に高額だったので、
そのお金を頭金に、新しい車を買うことにしました。
メカにも車にも興味がない私は、すごくテキトーに契約。
その後、手続きが進むごとに丁寧に連絡をくださる
ディーラーさんに途中で辟易。
テキトーに決めているから、
連絡のたびに「もっと考えなさい!」と責め立てられているようで(汗)。
納車の日、前の相棒のおしりを見ながら、
申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
あっさり新しい車を買っちゃったけど、
あと2年がんばって乗ってもよかったんじゃないか…?って。
ごめんね、ずっと乗ってあげられなくて。
新しい車は、
操作性や乗り心地が格段にいいからこそ、
相棒というにはどこか可愛げが足りなくて、
細かいデザインもいちいち可愛くなくて気に食わない。
自分で別れを告げたくせに、
元彼を未練がましく思い出してるみたいな気分。
…こんな気持ちがまだあったかと、自嘲してしまう。
そういえば、最近読んだ論語の一節に、
子謂衛公子荊、善居室、
始有曰苟合矣、少有曰苟完矣、富有曰苟美矣。
というのがありまして。
孔子が公子荊という貴族について話していて、
内容としては、
蓄財がうまい人というのは、
少し謙遜して事実を語るものだ
と伝えているものだと思います。
1.苟合:いささか合う
なんとかやりくりできようになった(=蓄財をはじめたとき)
2.苟完:いささか完(まった)し
なんとか体裁が整った(=少し財産ができたとき)
3.苟美:いささか美(よ)し
ようやく一人前の財産ができた(=かなりの財産ができたとき)
私が気になったのは、
この文章全体の意味ではなくて、
富むという段階が
合→完→美で表現されていること。
三段階めの「美」を見て、ドキッとした。
合うだけで、本当は十分なのに、
完全やその先の好ましさやかわいさまでをも
求めてしまう自分とその環境が恐ろしいと感じた。
だって、車は運転してまだ2年だからね。
要望言えるようなドライバーとは言い難い。
そんな自分のなかにあるおごりを、
無言でたしなめてくれるかのような、
旧愛車のおしり。
今までありがとうね。
やっぱり、やってきてくれた新しい相棒を
ちゃんとかわいがろうと思います。