ありがとうさようなら | 勝手に☆とやまの定住コンシェルジュのBlog

ありがとうさようなら

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【旧愛車のおしり】

愛車の車検が思った以上に高額だったので、
そのお金を頭金に、新しい車を買うことにしました。

メカにも車にも興味がない私は、すごくテキトーに契約。

その後、手続きが進むごとに丁寧に連絡をくださる
ディーラーさんに途中で辟易。
テキトーに決めているから、
連絡のたびに「もっと考えなさい!」と責め立てられているようで(汗)。

納車の日、前の相棒のおしりを見ながら、
申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

あっさり新しい車を買っちゃったけど、
あと2年がんばって乗ってもよかったんじゃないか…?って。

ごめんね、ずっと乗ってあげられなくて。

新しい車は、
操作性や乗り心地が格段にいいからこそ、
相棒というにはどこか可愛げが足りなくて、
細かいデザインもいちいち可愛くなくて気に食わない。

自分で別れを告げたくせに、
元彼を未練がましく思い出してるみたいな気分。

…こんな気持ちがまだあったかと、自嘲してしまう。



そういえば、最近読んだ論語の一節に、

子謂衛公子荊、善居室、
始有曰苟合矣、少有曰苟完矣、富有曰苟美矣。


というのがありまして。

孔子が公子荊という貴族について話していて、
内容としては、
蓄財がうまい人というのは、
少し謙遜して事実を語るものだ
と伝えているものだと思います。

1.苟合:いささか合う
 なんとかやりくりできようになった(=蓄財をはじめたとき)
2.苟完:いささか完(まった)し
 なんとか体裁が整った(=少し財産ができたとき)
3.苟美:いささか美(よ)し
 ようやく一人前の財産ができた(=かなりの財産ができたとき)


私が気になったのは、
この文章全体の意味ではなくて、

富むという段階が
合→完→美で表現されていること。

三段階めの「美」を見て、ドキッとした。

合うだけで、本当は十分なのに、
完全やその先の好ましさやかわいさまでをも
求めてしまう自分とその環境が恐ろしいと感じた。

だって、車は運転してまだ2年だからね。
要望言えるようなドライバーとは言い難い。

そんな自分のなかにあるおごりを、
無言でたしなめてくれるかのような、
旧愛車のおしり。

今までありがとうね。

やっぱり、やってきてくれた新しい相棒を
ちゃんとかわいがろうと思います。