2015-01-03 23:18:32

仏間と空き家問題

テーマ:日々のできごと

【後飾りの祭壇も10日以上が経過】浄土真宗です。でっかいおぼくさんあります。

1月3日。
父が天に召されてから
長いようであっという間の2週間が過ぎました。

いつもおせわになっている慶集寺の河上住職のお経を聞いても、涙が出なくなりました。

「日置き薬」とはよく言ったもので、
この2週間のうちに、いろんなことが自分のなかで整理され、消化されたんだなということが確認できました。

住職は、生前の父が、
お盆にみんなでお経を唱えたことを嬉しそうに語ってくれたという話をしてくれました。
お経を読む私にバシャバシャとシャッターを切っていた父に激怒して、結局みんなで一緒にお参りしたあの日のこと。

そうか、やはり仏間があると、
何かご先祖様を介して、今生きている人たちのコミュニケーションが円滑になるという効果はあったのかもしれないなと、今更ながらに思いました。

そして、思い出した話がありました。
以前、利賀村であったローカルサミットでだったか、
よい田舎は、“人間”と“自然”と“死者”の三者で成り立っている…というような話をきいたこと。

今、生きている人と、
それを生かしている自然環境と、
昔生きていたご先祖がいるということだったかと思います。

ご住職は仏間のことを
「死者を介して、今生きている者が集まる場」というようなことを
おっしゃられていましたが、

今いない人を思う部屋があるって、
とても贅沢なことなんだなと思います。

最近の住宅には、いわゆる仏間がないところも多いですし、
現在の空き家問題の大きな部分を占めているのが仏壇問題でもあります。

自分自身が体験し直面してみると、
「面倒だから仏間をなくしてしまう」という決断はとてもじゃないけどできません。

死者を介して、今生きている人が集まり、
今後の絆を確かめ、ともに未来を考える場所だということがわかったから。

実は、仏間の存在意義のベクトルは、
どこまでも未来に向かっていて、死者は“媒介”でしかないんじゃないか。
…なのに、今までは死者に向きあう場所として捉えるばかりだった。

本来、仏間ってもっと有機的な働きのできる場なんじゃないだろうか。

…うーん。

何か見えそうでまだ見えないけど、私なりに答えを見つけてみたいと思います。

…これも父が出した「お題」のひとつだと肝に銘じて…。

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コメント

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2 ■コメント失礼します。

今ってブログしている方多いですしね(^^)
何だか優しい雰囲気がします。
なう、フォローさせて頂けたら嬉しいです☆

1 ■お悔やみ

寒中お見舞い申し上げます。

昨日ようやく黒部市で行われる『ラジオ深夜便のつどい』の当選はがきが届きましたので嬉しくって…あおいさんにご報告しようと、久々にブログにお邪魔したら…

昨年末に、お父さんが急逝されたと知り驚きました。

突然の事で、まだまた悲しみが絶えない事と思います。
でも健気に歯を食い縛りお仕事されている様子に返って胸が痛みます。
でも無理されないで下さいね。

私も18年前に朝方に倒れた義父が2時間後に亡くなった時の事を思い出しました。

当時は、こんな急に亡くなってしまうならもっと優しくしてあげていれば良かったと悔やんだり、おじいちゃんが急に亡くなってしまったのにいつも通りに、お腹がすく事も腹立たし思ったり、普通に生活しようと心がけていても急に悲しみが込み上げて来て泣き崩れていた事も…
突然過ぎる別れは
本当に辛いものでした。

でも毎朝お仏壇に手を合わせながら、あんなにもお年寄りに見えたおじいちゃんに私が年月を重ね近づいて来ていると思える様にまでなりました


これから寒さも厳しくなりますね。
インフルエンザも流行っています。
いつもより免疫力が低下していると思いますので過剰な位
温かくしてバリア張り巡らしてお過ごし下さいね。


ごきげんよう。さようなら。

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