行くところ、戻るところ
【日光金谷ホテルにて】「をす」
おはようございます。
今日の富山も晴れてますね~。
あれよあれよという間に、5月も佳境。
大人になると、どうしてこんなに時間の流れが早く感じるんだろう…。
「ていねいな暮らし」を目指しながらも、
時間に追われる生活から抜け出せていない私。
そんなときに、ふと思い出すのは、旅の記憶だったりします。
…今月のはじめに訪れた日光金谷ホテルの写真を、
引っ張り出してみました。
●今の生活と、旅の関係を考えてみる
【日光金谷ホテルにて】バターナイフ
いきなりですが、
私の父は「旅を考える」(通称:旅論)というのをまとめています。
…といっても、出版するわけでもなく、学会に発表するわけでもなく、
着手から10年以上が経ち、それでも「まだまだ…」と。
現在、改定20版となっている旅論。
都市計画とまちづくりの世界で40年生きてきた父の仕事、
そして60年あまりの人生の集大成でもある論文といってもいいものです。
父の人生の集大成である大切な旅論を、こんな駄ブログで紹介するのも悪い気がするけど、
父が考える旅の定義について、ひとつご紹介したいと思います。
<旅の第一定義>
旅は「余暇時間の中で、日常生活圏を離れて行う様々な活動であって、
触合い、学ぶ、遊ぶということを目的とするもの」
観光政策審議会の『今後の観光政策の基本的な方向について(答申39号)』の定義(1995年6月)より
<旅の第二定義>
旅とは「日常生活圏(本拠地)を離れ、生活(生命活動)をしながら
諸活動を行って再び出発地に戻ること」
佐々木嘉彦氏「生活構造論」、今和次郎氏「考現学」より。両氏の教えより、父が発見(笑)する。
…つまりは、日常に戻ってこそ「旅」だということですね。
【日光金谷ホテルにて】東照宮ぽい
うちの父の持論は、これらの定義を紹介する第1章から、第11章まで展開します。
きっと死ぬまで改訂を続けるに違いないと思います(笑)。
…と、日常に戻って考えてみます。
〝戻ってこそ旅〟と思うと、
今、ここにある日常も、どこかに戻るための旅の途中なのだと意識できる。
大切なのは「行く先」だけじゃない。
「戻るところ」も同じくらい大事なんだ、と。
これは〝日常〟にものさしを移すと、
後ろばかり見るのはよくないことだけど、
ちゃんとフィードバックしてるかどうかってこと。
おおきく〝人生〟というものさしにすると、
自分のルーツを大切にするということ。
そして〝地球〟というものさしにすると、
生命のリレーを意識するということ。…かも。
…こうやって考えると、
時間に追われてるのがばかばかしく思えますね(笑)。
あわわわ。
どんどん考えが膨らんできた…いかんいかん。
さてと、仕事しなくちゃ!
追伸:お父さん、勝手に紹介しちゃってごめんなさい。