Uターン一周年を迎えて | 勝手に☆とやまの定住コンシェルジュのBlog

Uターン一周年を迎えて

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【道端のポピー】

こんにちは。
うららかな日差しの富山。

昨日は、日付が変わる前にお家に到着できました。
車の運転は、ずーっと主人。
本当にお疲れさま。

●祝!Uターン一周年!

さて、これで富山にUターンして1周年となりました。

去年の5月3日に、布団やMacやいろんなものを積んで、車で帰ってきた私たち。
同じように、昨日の5月3日、同じように夜にお家に到着。

今日は一年を振り返ってみて思うことを書いてみようかと…。
まあ、一年住んだくらいで富山県人になれるはずもないけれど、改めて考えてみます。

富山県は、面積的には、小さい。
でも、海から山まで、いろんな歴史文化が混在していて、
ひとことで括ることのできない地域だ。

結局、「富山の県民性は…」なんて、まとめることができないな~と。

知り合いが増えれば増えるほど、〝富山県民性〟がぼやける一方、
〝富山〟に愛着が湧いてくるようになったのも事実。

長く身を置き、多面的な視点で捉えることで、
それは「富山の特徴ではなく、その人やそのエリアの特徴である」と思えてきました。

●知らないからできること

今まで、「富山県はどこがダメですか?」と
一刀両断するようなことを、よく聞かれました。
私よりもIターンの彼が、よく質問されますね。

とりあえず無理やりにでも答を絞り出すと、
やたらとうなずいて、聞いてくださるんですよね。…気持ち悪いくらいに。

…でも、そうやって言えることなんて、性格占いみたいなもので、
〝あたってるところもあるし、そうでもないところもある〟もの。

物事を一刀両断できるって、主義・主張がしっかりしているように思えて、
なんとなくカッコイイことに見えてしまっていましたが、
これって、〝一方通行の関係〟と〝無知〟がなせるワザなんじゃないか、と。

いろいろ知れば知るほど
「これはダメだね」と言いづらくなってきました(笑)。

…言えない、というよりは、言いたくないんですね。

●でも、やっぱり嫌なところはあるんですけどね…

…もちろん、都会の生活にあって富山にないものはありますし、
その逆もたくさんあります。
そして、「そんなものいらないのに」「もっとこうすれば…」というものも、
富山にはいっぱいあると感じています。

でも、それはあくまでも、自分の趣味の話。
「県民性」で括った批判をすべきものではないなぁ、と思っておりますが、
一周年なので、あえて今回は言ってみたいと思います。

富山ライフ満喫中の主人に、あえて富山の嫌なところをきいてみると
「美味しいお店や行ってみたいお店が少ない」「東京より緑が少ない」「若者が遊んでいるところがわからない」「つまり、まちに活気がない」などなど、たくさん出てきます。

でも、「そんな静かなまちだから富山に住んでいる」んだし、
それに気づいたから、「できるだけ中央通りでお洋服を買うように」している彼。

文句を言うなら、同じだけ貢献するのだ、ということなのでしょう。

●富山の残念なこと

この一年間、私が嫌だな~と思ったことナンバーワンは、
〝知らない人どうしで席や道を譲らない〟とか
〝ぶつかっても何も言わずに去ってしまう〟とか、
人と接するところで残念なケースによく遭遇すること。

知っている人には優しいのに、知らない人は見えないことにしているみたいに冷たい。

…でも、これが「よそからわざわざやってきた人」と分かったら、
急に優しくなるし、こちらから話しかけてみると、すんごくいい人だったりする。

だから、〝マナーが悪い〟のではなく〝シャイなのだ〟と思うようにしています。

都会の満員電車はいつも好きになれませんけども、ああいう風に、毎日、自分のテリトリーを侵されながら生活していると、自然に他人との心地よい距離の取り方が分かってくるな…と思います。

実際、ぶつかって声を掛けて何の反応もなく、敏腕刑事みたいにすごい勢いで去っていくおっちゃんとかいますけど(笑)、きっとそのおっちゃんは、去りながら「…ああ~、何か言えばよかったな~…」と思っているに違いない、と思います。

私自身、見知らぬ人にいっぱい迷惑をかけて、
であるにも関わらず優しい言葉をかけられて、
であるにも関わらず猛スピードで立ち去って、
後味の悪い経験をたくさんしてきたから。

●結局は、自分の意識の問題

…おお。長くなってしまいました。

「暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけましょう」
…カトリック教会の「心のともしび運動」の言葉。
(私のお家は浄土真宗ですけども)

まとめると、
生活の中で感じる不便さや嫌なところも、好きだと思っているし、
「ヤだなー」と思ったことに対して自分のできる方法で、
よくなるように関われるよう、心がけていきたいと、改めて思った一周年でした。

これからも、よろしく、富山。