(すみません。長文になりますが3月11日当日の事をどうしても書きとめておきたくて。ほとんど私的なことなのでスルーして頂いて大丈夫です)
今回の地震発生時、自分は小田原JCシニアクラブの面々で東京プリンスホテルに向かっている途中でした。
14時半過ぎの東海道新幹線ひかりに乗ってあと3Kmで新横浜駅、というところで突然車内の電気が消えゆっくりと新幹線は停車しました。
地震により電力供給が途絶えたのでした。
(新幹線に乗る直前に先輩に勧められて入れたiphoneアプリの『ゆれくる』が事前に教えてくれたのは驚きでした!しかし…あまりにもタイムリー過ぎて、驚きでした。docomoの地震予知メールは来なかったですね)
止まった直後は風で車両が揺れているのかと思いましたが、Iphoneアプリなどにより地震であることが判りました。
その後かみさんからのメールやTwitterなどの情報をもとに現状を把握。
こんな災害時に地元を離れていることを悔やみました。
小田原の会社や家族は大乗だということをかみさんからの情報で得て一安心。
また別の用で横浜に行っている父や、東京に住んでいる次姉、そして茅ヶ崎に住んでいる長姉などにメールで安否確認を取りました。
父は横浜駅周辺で立ち往生している模様。
長姉のところは家族それぞれの安否確認が出来ているとのこと。
次姉のところは、小学4年生の長男がどこへ遊びに行っているのかわからないとのこと。
(これが一番焦った!)
品川に住むかみさんの実家も大丈夫のようだと、かみさんからの情報もありました。
そして19時頃ようやく新幹線は新横浜駅まで最徐行で進み、我々は下車。
駅近くで食事を取りながらその後の対策を練っていました。
その間に入ってくる津波などの被害に、驚愕し、またこんなところで帰宅することも出来ずにいる自分に苛立ちを感じていました。
(しかしながら、次姉の長男が大丈夫だとの情報も入り、そちらは一安心)
その後新幹線が下りのみ動いていることが判り、22時半頃ようやく小田原に帰着できました。
帰着後、駅前に住む自分はすぐに帰宅。
家の状況の安全確認をした後、自分に何か出来ないか駅の方へ戻るもあまりの数の帰宅難民に自分の無力さを感じ帰宅。
とりあえず何かの際にはすぐに対応できるようにしていました。
横浜で立ち往生していた父は、相鉄線が復旧してから海老名まで移動しその後小田急線復旧に伴い1時半頃帰宅できました。
長文になりましたが、地震当日の内の家族はこんな状況でした。
地震翌日の今もTVで情報を得ながら今の自分に出来ることはなんだろうとあれこれ考えながら、極力節電を心がけるようにしたりしています。