震災の翌週、予定通り休暇を取ることとなり、敵前逃亡のような後ろめたさを抱えながら被災地を後にして、実家の秋田を目指ざしました。

出発直前の3月14日、月曜日の朝、電気が戻りました。

オール電化の我が家のライフラインは、水道の復旧を待つのみとなったのです。

もう、暗い夜を過ごさなくてもよい、いつかは復旧するとは思いながら、過ごした3夜は実に長く感じられました。

後顧の憂いなく、と言いたいところでしたが、週末に給油するのが通常だったため、残り少ないガソリンに不安を感じながら、家を後にしました。

初めに向かうのは、娘の待つ妻の実家です。

子供たちは震災発生時には、保育士さんの自宅にいました。
あまりの揺れに保育士さんは家を飛び出し、預かっている子供たちを連れ車の中へと避難したのだとか。

その後は、何度電話しても連絡がつかず、結局、妻が義父に連絡をつけて二人を迎えに行き、そのまま自宅で預かってくれていたのでした。

下の息子はまだ小さくて親と離れるのは難しいので、妻が職場から戻る途中に実家から連れてきましたが、娘はよく泊まったりしていたので、そのまま預かってもらいました。

震災後、土日が出勤となり、当然預かってくれる施設などありはしないし、停電で食料の確保も難しい状況では、実家に預かってもらうしかなかったのでしたが、そんなわけで、私は震災発生から3日間、娘に会えず、携帯の電池も切れたままで声も聞けませんでした。

3日ぶりに無事な姿を見ることが出来た時、私より先に娘が泣き出しました。

暗い夜を親と離れて3夜も過ごし、どれほど寂しく心細かったでしょう。

私は、この時ばかりは、「管理職・男性職員全員」という一律の基準で休日出勤を命じた会社を呪いました。

涙目の娘を乗せ、車は仙台を後にしました。

車の燃料計の針は、大きく下に傾き、いつエンプティランプが灯ってもおかしくない状況の中、私は、急発進・急停車を避け、時速60キロを頑なに守り、信号待ちや下り坂ではエンジンを切るエコドライブで、営業中のガソリンスタンドを祈る気持ちで待ちました。

「山形へ出れば」

きっと、やっているところはあるだろう、と踏んでいました。

仙台市内はもうすでにほぼすべてのガソリンスタンドが在庫が尽きて閉店。
入荷の予定なし、の張り紙をしているにもかかわらず、期待感で長い行列ができたりしていました。

列が列を呼ぶのでしょう。ツイッターなどでずいぶんガセ情報も流れたようです。

ハナから仙台はあきらめ、山形に賭けていたのでしたが、県境を越えて町に入り、次第に暗雲がたちこめてきました。

国道沿いの小さなスタンドは、朝から閉めている店が続きました。

「・・・・ここまで・・・」

私は呻吟し、最悪の事態も想定しました。もう、行けるところまで行って、できれば街中で車中泊か・・・。

東根市内の中心部に近づくと、大きなスタンドに長蛇の列ができているのが見えました。

「やってる!」

叫びたい気持ち、いや実際に叫びました。

やってくれてさえいれば、並べばいつかは給油してもらえるのはず。

もう、祈るような気持ちでした。

既にエンプティランプは点灯しています。

国道13号線に入りすぐのところにある、昔よく使っていたガソリンスタンドから伸びる長い長い列の後ろに並び、車を止めて、スタンドまで走って聞きました。

「在庫、ありますか?」

こんな質問、普段ならないでしょうが、スタンドの店員は表情も変えず

「わかんないね。・・・一人10リットルまでだけど、昼まで持たないかもね」

とにべもなく答えました。

もう、つなぐしかない。

秋田に入れば、きっと満タン入れられるはず。日本海側の交通・流通網は大丈夫なはず。

実際にそうでした。

関西や中部などから被災地への物資輸送は日本海側を通り、新潟や山形・秋田から福島・宮城・岩手などに入るルートがとられたようです。

「裏日本」と揶揄される日本海側が、急に頼もしく感じられました。

並ぶこと、1時間半。

在庫切れの不安をしりぞけ、念願の給油がかないました。

10リットル。残油も合わせてエコドライブで150キロ近く走れます。秋田の実家まであと140キロ、何とかつながりそうです。

ガソリンを待つその間、列の脇にあったローソンに妻と娘が買い物に行きました。

棚はガラガラでしたが、おにぎりがあったようでした。

ちゃんとしたものがあって本当によかった。物のありがたみをこれほど感じたことはありません。

「当たり前」の生活が奇跡のように思われる日々は、その後も続いたわけですが、それを思い出すにつけ、石原慎太郎の「天罰」発言の真意が、実は贅沢で過剰な生活への戒めとして、よく身に染みる思いでした。

犠牲者が出たのはいたたまれませんが、我々はこういうことでもない限り、「当たり前」の生活に感謝することなどないのではないかと思えてなりません。

その後、秋田に入り、象潟の道の駅にあるガソリンスタンドで、一人20リットルの給油制限をドライバーの交代でかわして2回に分けて給油し、ほぼ満タンにしました。

命からがら。

普段の備えが甘かったとはいえ、綱渡りの被災地脱出となりました。

最近夫婦でマカを飲むようになりました。
不妊症にもいいし、免疫力を上げるためにも良いんだって!
なかでもホットストアの高品質マカはとっても良いみたいですよ。