■〔生きてるだけで、まるもうけ。ブログコンテンツ〕■
1勝(章)GREAT JOURNEY 〔2008年8月10日 完結!!〕
http://ameblo.jp/jamesbondas007/
〔世界放浪編〕
1幕SMALL GREAT JOURNEY
2幕SHORT GREAT JOURNEY
3幕LITTLE GREAT JOURNEY
〔日本放浪編〕
終幕GREAT JAPAN GREAT DISCOVERY GREAT JOURNEY
大日本大発見大旅行!!
2勝(章)HAPPY LIFE!
1年半の世界放浪を終え、大阪に帰ってきた旅人。
旅で得た事をもれなくこれから続いていく長い時間に生かしていく。夢幻でもなく、ただの希望でもなく、現実に生きていく「私」という一人の人間の人生のために全ての事柄を、生きていく、幸せになるというただ一点へと終結させていく!
無駄も遠回りも無い。夢も非現実も無い。全ては俺の目の前で起こっている現実なんです。
だから、俺が興味のあることは、俺のために全て取り上げ、幸せというただ一つの目標へと終結させていく!
さぁ、はじめます!
STEP1-
2008年の俺
●ヒロカンパニー ●都市 ●環境 ●日本 ●大阪 ●高石市 ●趣味
青年団の夏祭り
生きてるだけで、まるもうけ。
HAPPY LIFE
STEP-1
2008年の俺
-第2歩-
活動・青年団-①
自治会で村の規模にもよるがだいたい30歳までの若者で構成される青年団という組織が俺が住む大阪府高石市取石の村にもある。
1年半その活動に参加出来ずにいたが、放浪の旅を終え帰郷してすぐ年に1回で8月中に行っている青年団主催の夏祭り、そして、俺が言い出して始まってしまった月1回の町内の掃除について紹介したい。
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8月23日(土)
夏祭り
記憶が確かなら、今年でこの活動は3回目になるはず。もしくは4回目。
目的は、年1回行われる秋祭り、つまり、岸和田のだんじりで有名なあのだんじり祭りが俺たちの地域では10月(岸和田は9月の中旬)に行われるが、我が村はもろに少子高齢の煽りを受けていて、綱の引き手ある子供、出来れば高校生以上メタボ未満の若者の部類がさっぱりおらず、俺たちの若者世代から下は中学生、小学生、幼児といった具合で年齢層の空洞化が見事に起こっているため、人手をかき集めることが主だ。
俺たちが住む高石市という町は、テレビで天災の接近を緊急報道されていてもここだけは台風の目に入っているように避けられていつも取り越し苦労に終わりがっかりするほどに台風や地震や火事などといった天災とは全く無縁で安全地帯であることを除けば、取り立てて何もない所だ。
元々人口も多くないんだが、地域発展の為とかで、何十年も前に同じく村人口の縮小が原因で永く村の行事として、村興しの祭りだっただんじり祭りが途絶えていた。
それに代わり、、だんじりの人力木造からエンジン付鉄筋枠のお手軽な花車というだんじりを模したものに変わって祭りは小学生ら中心の子供祭りという性格で続けられていた。
俺も小学生まではその子供だんじり祭りに参加し、楽しい時間を過ごし、また子供ら同士の交流の場として待ち遠しいイベントになっていた。
しかし、時代が移り、古くには我が村でも行われていたというあのだんじり祭りを復活させることになり、その時俺は20歳を過ぎたばかりのそれを盛り上げていく中心的年代であり、俺より下も上も数が少ない中俺たちの年代はまだ数人にて、こんな中ではどうしても一人一人の存在が重要視される中にいて、再興させるためのオープニングスタッフとして加わっていくことになった。
まもなく、フットワークや頭脳、指揮能力を買われたわけでもなく、副団長にもなった。
おれが任命され目立ってしまうくらい村人が少ない中、祭りは再興されていた。
子供だんじりをしているよりよっぽど金がかかり、危険性も増し、小さい子供が参加しづらくなるという変化をふまえてまで、なぜだんじり祭りを復活させるに至ったのか。
それは今後ふれていきたい。なぜなら、今ははっきりしていないからだ。
今回、青年団が夏祭りを行う事になったのは、今も昔も変わらず、だんじりを引くとなれば子供だんじりを引くに比べ圧倒的に引き手が足らないという事と未来の引き手である子供が少ない事から、将来への投資としてだんじりがある小屋の前で、たこ焼きや綿菓子、焼き鳥、カキ氷、ジュースなどを無償で配り、ついでに小屋でふれあい、この日のためにだんじりから取り外された太鼓を叩かせてあげて興味を持ってもらおういう試みからだった。
残念ながら、写真を取り損ねたが、今の所は少ないながらも何とか揃ってきた青年団のみんなで手分けしてプロのテキ屋さながらに手際よく準備が整っていく。
みんな真剣でかっこいい。
だんじりではなくても、共同イベントを成功させる、盛り上がる、これが俺は祭りでなくても行える青年団の活動の楽しさ、意義だと思っている。難しいのは、意義だの何だのどうでも良くて、祭りを楽しめる人も居るから、だんじり自体にそれほど意味や興味を見いだしていない俺なんかとは、だんじり復活の経緯に関して意見は合わないだろう。
俺がだんじり祭りに協力し青年団や自治会組織に参加するのは、ただの大義名分かもしれないが地域活性化などと掲げているためだ。
たんにだんじり好きな人、集まれでは俺は参加していないだろう。
俺は、例年のように綿菓子機をセットし、スタンバイしていた。
放浪からの帰郷後道ばたですれ違った者もいたが、帰ってきてから久しぶりに会う者達ほとんどだった。
懐かしい顔ぶれに久々に再会して、あの旅の、1年半の旅の話に触れていく。
懐かしいながらも、俺が纏う新しい空気と懐かしい空気が抵抗無く混じ合っていく。
そして、やっぱり懐かしくなる。
俺は生まれ育った村に、帰ってきていたんだ。
大体の片付けを終えてから、打ち上げという事で近くのうどん屋の座敷を借りて、飲みたい奴は飲み、食べたい奴は食べた。次の秋祭りに向けて、一仕事終えた俺達は、一丸となる。
8月24日(日)
町内清掃活動
青年団主催の夏祭りを終えた翌日は、月の第4日曜日で、これが俺が言い出して決まった青年団による清掃活動という、団員にはとんだ迷惑な活動だった。
というのも、言い出してすぐ俺は、長い1年半の旅へと出て行ってしまったからだった。
張本人が消えてから1年半。彼らは涙ぐましくも続けていたのだった。
俺は忘れていたわけではない。だから、故郷へ復帰早々のこの日に久々にこの活動に参加したのだった。
この日は、この後に前日の祭りの片付けも残していたから、1日中掃除する日になった。
で、朝、9時にだんじり小屋前に集まり、数人の青年団と主要なメンツを引きつれ、というか引き連れられ俺は掃除ルートへと入っていった。
その時撮影した写真は、残念ながら、ウイルスにより食われてなくなってしまった。
が、町には、目を瞑りたくなるほど、しかし、注意しなければ気づかなかったほど自然に不自然なごみが街に馴染み、放置され、散らかっていた。
(あ~写真!!ウイルスめ~!)
(後日改めて撮影し、公開する!)
街を、ちりとりとハサミ、ホウキ、ゴミ袋をもって練り歩く俺達。
習慣のように、通勤途中に吸殻を捨てるんだろうかと予測される吸殻の多い場所なんかもあるし、車からのポイ捨てで溜まったと思われる場所もある。
灰皿やゴミ箱を設置したらどうかという意見も、街を歩きながら出てきた。
俺は、こういった捨てる習慣を止めないといつまでも続くし、俺達青年団の活動が、街は綺麗になり続けてもただ地域の清掃システムとして受け入れられるだけで、何の改善でもない事に、苛立ちを覚えた。
実は青年団の活動、という点では何の問題も無いかもしれない。
環境問題なんかと関わり、深めていく必要も無く、参加者にとってはそれは重いことかもなのしれない。
利他的や利己的な意味なら、何も悩まずただ続ければいい。
発展させていく意味なんか無いのかもしれない。
でも、悔しいじゃん!俺のゴミ違うし!でも俺の街やし!
せっかくやってんだ!正す必要は、報われ、楽できる事になる。
こんな事、自己満足や、利己だけで続けてられん。
社会貢献ていうのも聞こえが良いし、俺の利益にもつながる。
最近、環境問題って言葉が時代背景もあってか、なんか無性に俺に関係がある気がするし、興味がもてる。
なんか、あるんちがう!?
旅行、美術、建築、料理、酒・・・いろいろ興味はあるけど、
このテーマも、俺が目指していく像の、一つの大事な構成要素に加えていく事にしよう!
環境。
これからどう関わっていこうか。
青年団の活動は、続く!
環境問題への言及は、続く!!