慰問絵葉書 | 雑文s

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思いつくまま気ままな文章

太平洋戦争も終盤。

昭和十九年七月二十五日の葉書である。

出した人は京都に住むある女性。

宛先は恐らく同世代の友人で、

軍属として関東軍に従って出征している女性。

 

葉書を書いた女性は、日本軍劣勢の報に接して、

1日もはやく戦地に赴き、お国のために軍属として働きたいと思っている。

 

・・・・・・・・・・・

 

3通連続で出された葉書としばらくしてからもう一通の葉書がある。

本文を転載する(読めないところは推測しました)

 

『暑さ厳しい折柄お元気でお働きでいらっしゃいますか。

長らくご無沙汰しています。何卒あしからず。

貴女の方からも余りお便りがないものですから

案じておりますの。

私もお陰様で元気で働いて居ります故

他事ながら御休心ください。

時局も益々緊迫して参りました。

さきはアッツ島、タラワ、マキンの玉砕。

今また、サイパンの全員戦死の悲壮なる報道を耳にしては

何だか私もお国へ対して済まない様な気が致します。

断然南方の軍属を志願する事にきめましたわ

両親も進めてくれますので・・・

そして大いにお国の為に働き

真の日本女性を海外に知らせ

現地人の女性を及ばない力ながらも指導したいものです。

貴女も二年の契約で帰京されたら再び南方の志願をされては?

貴女が帰京された時はその体験談をおききしたいと思っています。

堀川の皆さんも舳会の挺身隊で軍属として

舞鶴の方へ行ってられる相です。

御帰京されたらすぐ御知らせ下さいネ

暑さきびしい折柄くれぐれも御自愛の程を・・・

お便り待っております。

乱筆乱文おあしからず

サヨナラ』

 

『この前のお手紙着いたでせうか

私も突然関東軍の軍属を志願いたしましたの

驚いたでせう

若し之に不合格だったら南方の軍属を志願します。

時局に即應して少しでもお国のお手傳いがしたいと思っています

無事合格できましたらば貴女の後を受けついで

滅私奉公一生懸命働く覚悟です。二十八日が銓衡日なの

何だかむづかしい試験の様な気がします。

天神様に真心をこめて祈願しておきます

 

では又後程』

 

 

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当時の世の中の空気など知るすべもないが、

これが一般的な日本人の気持ちだったのだろう。

 

これほどまで真剣に国の事を思う女性のひたむきな気持ちには、

それが戦争という歪んだ世の中のなせる技であったという事を

知っている我々にしても、心を打つものがある。

 

この人はその後どうなったのであろうか。

夢を抱いて大陸へ渡り、軍と行動を共にしていたとすると、

敗戦の混乱をどう過ごしたのだろう。

ちゃんと日本に京都に帰ってきたのだろうか・・

 

その後の歴史を知るものにとっては、

中原淳一の可愛い少女のイラストの慰問絵葉書は、

どことなく悲しく見えるのである。