第一篇 幽界の探検  第四章 現実的苦行 〔四〕 | フリーランス宣伝使への道

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つぎに自分の第一に有難く感じたのは水である。

一週間といふものは、水一滴口に入れることもできず、
咽喉(ノド)は時々刻々(ジジコクコク)に渇(カワ)きだし、何とも言へぬ苦痛であつた。

たとへ泥水(ドロミズ)でもいい、水気のあるものが欲しい。

木の葉でも噛(カ)んでみたら、少々くらゐ水は含んでをるであらうが、
それも一週間は神界から飲食一切を禁止されてをるので、手近にある木の葉一枚さへも、口に入れるといふわけにはゆかない。

その上時々刻々に空腹を感じ、気力は次第に衰(オトロ)へてくる。

されど神の御許しがないので、お土の一片も口にすることはできぬ。

膝(ヒザ)は崎嶇(キク)たる巌上(ガンジヤウ)に静坐(セイザ)せることとて、
是(コレ)くらゐ痛くて苦しいことはない。寒風(カンプウ)は肌身(ハダミ)を切るやうであつた。

 自分がふと空(ソラ)をあふぐ途端に、松の露(ツユ)がポトポトと雨後(ウゴ)の風に揺られて、自分の唇辺(クチビル)に落ちかかつた。

何心なくこれを嘗(ナ)めた。
ただ一滴の松葉(マツバ)の露のその味は、甘露(カンロ)とも何ともたとへられぬ美味(オイシ)さであつた。

 これを考へてみても、結構な水を火にかけ湯に沸(ワカ)して、温(ヌル)いの熱いのと、小言(コゴト)を言つてゐるくらゐ勿体(モツタイ)ないことはない。

 草木の葉一枚でも、神様の御許しが無ければ、戴(イタダ)くことはできず、衣服は何ほど持つてをつても、神様の御許しなき以上は着ることもできず、あたかも餓鬼道(ガキダウ)の修業であつた。

その御蔭(オカゲ)によつて水の恩を知り、衣食住の大恩(タイオン)を覚り、贅沢(ゼイタク)なぞは夢にも思はず、どんな苦難(クナン)に逢(ア)ふも驚かず、悲しまず、いかなる反対や、熱罵(ネツバ)嘲笑(チョウショウ)も、ただ勿体ない、有難い有難いで、平気で、社会に泰然自若(タイゼンジジャク)、感謝のみの生活を楽しむことができるやうになつたのも、全く修行の御利益(オカゲ)である。

 それについて今一つ衣食住よりも、人間にとつて尊く、有難いものは空気である。

飲食物(インショクブツ)は十日や廿日(ハツカ)くらゐ廃(ハイ)したところで、死ぬやうな事はめつたにないが、空気はただの二三分間でも呼吸せなかつたならば、ただちに死んでしまふより途(ミチ)はない。

自分がこの修行中にも空気を呼吸することだけは許されたのは、神様の無限の仁慈(ジンジ)であると思つた。

 人は衣食住の大恩を知ると同時に、空気の御恩を感謝せなくてはならない。

しかし以上述べたるところは、自分が高熊山(タカクマヤマ)における修行の、現界的すなはち肉体上における神示(シンジ)の修行である。

霊界における神示の修行は、到底前述のごとき軽い容易なものではなかつた。幾十倍とも幾百倍ともしれぬ大苦難的(ダイクナンテキ)修練(シュウレン)であつた。





 
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