日本の将来を憂うブログ

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好きなものは歴史(明治~終戦まで)と城です。仕事や時事問題や宗教観、死生観まで思ったことを好き勝手に綴ろうと思います。

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 実は昨年の11月から禁煙をしています。


 禁煙外来に行ったのがきっかけでやめるつもりはありません


 でしたが、何となくやめることができました。



 しかしやめてからも吸魔は常にあります。


 ご飯がおいしくなったと感じる事もありませんし、


 これといってメリットを身を以て感じる事もありません。



 しいて言えば喫煙所を探すことが無くなったのと、


 遠出したときにわざわざ喫煙の為にPAに寄らなくて


 よくなったことくらいでしょうか。


 禁煙して9か月。未だにタバコからの心理的依存には


 勝てていません。自分が非喫煙者と同じ感覚になるには


 まだ遠い道のりです。



 ドラマなどでタバコを吸っていると少しばかり羨ましい気持ち


 になってしまうのです。



 タバコは百害あって一利なしなのもわかってるし、


 タバコを吸ったからって何の解決にもならないし、


 タバコはさらにストレスを増大させるのもわかっています。



 頭では分かっているけどなぜかタバコがこのモヤモヤした


 状態を打開してくれるのではないかと思ってしまうのです。



 禁煙セラピーも読みました。それでも完全に抜け出せない


 んです。


 「我慢している」という感覚がある以上は完全に離煙する


 事は難しいですね。



 完全に冷静に客観的に自己分析できているはずなのですが、


 心理的な依存は怖いですね。。。



 煙を吸っていいことなんて一つもないんですけどね。。



 

 今安倍政権で議論されている「集団的自衛権」というもの


がどのようなものか知らなかったので少し勉強してみま


した。



 そもそも憲法九条は、「国権の発動たる戦争と、武力による

威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、

永久にこれを放棄する」と規定しています。


 この憲法はそのままにして解釈を変える事で戦争をしやす


いようにしようというのが安倍政権の考えです。


 自衛権は二種類あり、

  

   ・個別的自衛権

  ・集団的自衛権


 です。個別的自衛権とは当然の事ながら、自国が攻撃された


ときはその相手国を攻撃するというものです。自衛隊の名の通


り当然の権利と言えます。



 集団的自衛権とは分かり易く言えば仲のいい国(同盟国)


が攻撃されたときはその攻撃した国を日本への攻撃と見做して


日本も攻撃できるということです。


 要するに何でもアリにしましょうってことです。



 集団的自衛権の行使を主張している人たちの主張は、


他の国が紛争で困っていても世界中で日本だけが知らんふり


はないでしょってことです。そもそもそれで通ってきたんだから


いいのではと思ってしまいます。(しかも毎年平均して260億円


くらい国連に支出しています)



 

 自衛隊は「訓練のための訓練」の部隊から「実践的な戦争の


ための軍隊」へ変わります。あと数年もしたら自衛隊から死者が


出るか自衛隊員が他国の人を殺す事でしょう。



 そうするとどうなるか?


  1.今まで訓練だけしていれば良かったものが、死ぬかもしれ


   ない部隊に変わる。


  2.自衛隊に入る人が居なくなる。


  3.人材不足の為、徴兵制になる。


 

 自衛隊がアメリカの手先として世界中を戦争して回る時代が


すぐそこまで来ています。




 また、安保条約はアメリカは日本を助けるけど日本はアメリカが


攻撃されても助けないという「片務契約」ですが、


その代り基地の提供や思いやり予算など税金を投入しています。


 なので片務契約自体が論点になるのは間違いです。


 産経の世論調査集団的自衛権容認が6割超だそうです。


 

 どういう聞き方をしているのでしょうか。



 ただ平和ボケしてしまって、自分たちや自分の息子の代でWW2の


様な時代がまた来るかもしれない集団的自衛権というものを


説明もできない様な人々が多いのも悲しい事実です。



 身に危険が及ぶかもしれないということが身に染みて分かるまで


、実際に自分の身内が戦争で死ぬまではきっと日本国民はぼーっ


と何もせずいるのでしょう。


 

 「どうせ自分ひとりじゃ何も変えられない」という


思いから思考停止に陥ってしまっている(政府の思うようになる)


人が日本国民では大多数です。

 

 もう一度日本はこのままでいいのか国民一人一人が見つめな


おす時期を迎えているのかもしれません。








 

仕事についての考え方は人それぞれであると思う。


当然生きていかなくてはならないので当然のように皆働く。


突き詰めていくと「自分がどれだけやれるか試してみたい」


という気持ちになり、何割かは自分で商売を始める。



自分がどれだけやれたかを測る物差しは売上ということになる。


どれだけ売上げたか=自分の評価になり、


目的が如何に喜ばれるかよりも自分の評価を如何に高めるか


に変化してしまう。


目先のモノに囚われているとニンジンを追いかける馬のように


お金を追いかける銭ゲバになってしまっている人が多いような


気がする。


パッと見た目は真面目に見えても一歩プライベートになると


金にモノを言わせ人を顎で使う。


こういう人はその部分を特定の人には隠せていると思っているが


その銭ゲバ精神は実はにじみ出てしまっていて、


見える人には見えてしまう。


結果その銭ゲバの回りには銭ゲバしか寄り付かなくなり、


銭ゲバ達は銭が無くなった瞬間、蜘蛛の子を散らしたように


居なくなる。



65歳まで仕事一筋でやってきていざ老後を楽しもうというときに


回りに誰も居なくなってしまう。


銭を追いかけるあまり、本当に心から自分の事を想ってくれる人


を築けなかったのだと初めて知ることになる。


家庭や友人を蔑にし、富を築いてもその人の人生にどれだけの


価値があるだろうか。



仕事の基本は感謝の対価であってそこには家庭という


ベースがきちんと出来ていなければ何の意味もないと


思う。



仕事の遣り甲斐や喜びの中心をどこにするか。


その中心がずれてしまうと一気に世界が狭まってしまう


と思う。



所詮一生のうちに稼いだ金は死んだら持っていけないが、


いくら自分を磨けたかは人生の充実に繋がると思う。


いくら稼げたかも重要だが如何に充実した人生を送るかを


考え、振り返った時に後悔しない、誰にも後ろ指を指されない


仕事をしたいものです。