三重県の鈴鹿市。レースの街。

街全体がレースを楽しむ街。


街のあちこちに外国人ドライバーも見かけるそうで目

F1ドライバーにも好評で、各国の料理が楽しめるので、

世界各国からやってくるレース関係者、スタッフは

この街が好きなのだそうです。


ホンダが工場を建設しようと考え、

建設先を探していた頃、

全国各地の誘致合戦が繰り広げられたそうです。


全国の県知事や、市長がホンダの創業者本田宗一郎氏の

接待合戦を繰り広げ、誘致をお願いしたそうでっす。


それでも本田さんは決め兼ねており、

〝ここだ〟ってトコロは見つからずにいたそうです。


ある時に鈴鹿市へ行った時のこと、

当時の鈴鹿市長の接待は・・・


市役所の応接間で、今までの接待合戦、宴会は一切無く、

出されたのは麦茶一杯。市長は作業服で現れたそうです。


これだけで本田宗一郎氏は鈴鹿に工場建設を決めたのだそうです。


そしてサーキットの建設。鈴鹿はホンダと共に成長したのです。


当時の鈴鹿市長は鈴鹿市を本田市にしてもらいたいと

ホンダの創業者ホンダ宗一郎氏に伝えたそうです。


本田さんは丁重にお断りしたという伝説。


車好きの中では有名な話なのです。


オイラは車が好きですが、本田さんも好きなのです。


技術は人を幸せにする、しかし環境も壊すという事を

知っていた本田さん。技術は環境に対して責任も

負わなければならない・・そう考えていたそうです。


んーーー時代は変わっても、変わってもらいたくないものもあります。


不易流行・・・

    変えてはならないもの、

      変えなければならないもの

        それを見極める力


いま時代は、不易流行。