■”【感動秘話】空襲で死を覚悟した母親が最後に取った行動…”◆母子帰還船 | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

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☆BLOGの話題は、精神世界とリアルな現実世界の話題です。
巡礼の旅で、危機に瀕する日本を感じました。
未来の孫たちへ、「日本人の霊的遺伝子」を繋げる責務が、今の世代にあります。

昭和20年3月10日、東京大空襲の日。理不尽な炎の中で最期を遂げられた、先人たちの御霊が安らかでありますことをお祈りいたします。

 

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3月10日、今日は昭和20年に東京大空襲された日です。

陸軍記念日を祝えないようにこの日を選んだそうです。操縦士は飛行機を軽くして早く帰りたいので十分東京が燃えているのに全部焼夷弾を落としたそうです。

 

◆母子帰還船

 

生前の祖父は、関東大震災の経験から、辛うじて東京大空襲を逃れることができました。
自宅前の深川・小名木川に流れ着いた大量のご遺体を引き上げたそうです。

紅蓮の炎に追われた住民が飛び込んだ。
二度目のお役目でした。


満洲から帰れたのは運命的なものだと思います。
早期に引き揚げられた方は、まだ恵まれていた。
ひと冬ごとにバタバタ減る。


母は、寒い冬を三度越せたと、我が身を励ますように言っていました。

帰還船が少なくなり、やっとの思いで帰れたと。

死に物狂いで我が子を守ったのです。


しかし、実家は焼けており、祖父の消息を菩提寺に訪ねた。
その寺も焼けていおり、焼け跡に小さなバラックがありました。
声をかけると、バラックから御上人が飛び出してきました。
それはそれは、喜んでくれたそうです。
あまりにも檀家の人たちが亡くなられているのです。
生涯独身を通したお方で、東京大空襲の中を「寺の過去帳」だけを懐にして守った僧侶です。


祖父の転居先は、帰るべき私たちへの伝言を御上人に託していました。
生き残っている血縁は、私だけです。

 

戦災者の慰霊に・・

合掌