■■■多摩川台古墳群 宝莱山(ほうらいさん)古墳上の彩雲 | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

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巡礼の旅で、危機に瀕する日本を感じました。
未来の孫たちへ、「日本人の霊的遺伝子」を繋げる責務が、今の世代にあります。


多摩川台古墳群展示室


IMGP4072展示館

多摩川台古墳群資料館



 東急多摩川駅の西,徒歩5分。多摩川台公園内にあり、古墳をテーマにした珍しい資料館。
古墳や横穴式石室を再現するとともに,周辺の多摩川台古墳群から出土した埴輪,刀剣,ガラス小玉などのレプリカを展示している。

東京都大田区田園調布1-63-1 多摩川台公園
交通 東急東横線・多摩川線・目黒線「多摩川」駅下車徒歩五分
開館 9:00~16:30 無料
休館 月曜(休日は除く)年末年始



 
大田区の古墳時代


 大田区内には多くの古墳が分布していましたが、そのうちのいくつかは宅地化のため破壊されてしまいました。
しかし多摩川台公園(田園調布1丁目63番)を中心に、現在でも見学できる古墳が残っており、都心にあって貴重な存在となっています。

 多摩川下流沿岸の大田区から世田谷区にかけて、荏原(台)古墳群が形成されていますが、ここは周辺を治めた首長達の墓地であったと考えられています。さらに、「日本書紀」巻18、安閑(あんかん)天皇元年(534)の条にみられる「武蔵の 国造の乱」において、大和政権と結んだ ”笠原直使主”(かさはらのあたいおみ:埼玉県さきたま古墳群の二子山古墳は使主の墓ではないかと言われています。)と地位争いをして倒された ”小杵”(おき)の本拠地がこの地域であったとの説も あり、古代史的にも重要な場所となっています。

 大田区は、地理的に武蔵野台地の縁辺にあたることもあり、その斜面を利用して造られた横穴墓が、古墳時代終末期より奈良時代にかけて数多く造られています。これらは、古墳にかわる墓制として注目されます。

 大田区内の古墳時代遺跡の特徴として、古墳・横穴墓といった埋葬に関する遺跡は豊富に存在するのですが、住居祉を中心とする生活に関する遺跡は、古墳時代初頭を除いて、皆無と言って良い状態であることが指摘できます。古墳や横穴墓を築 いた人々は、どこに暮らしていたのでしょうか?すでに宅地化されてしまった多摩川・呑川(のむがわ)の沖積地に、それらの遺跡が存在していたのでしょうか?疑問の持たれる所です。
 「大昔の大田区」(大田区立郷土博物館、平成9年3月21日発行)より転載。
http://inoues.net/museum/ohtaku.html


IMGP4087宝來山古墳の案内板



都指定史跡 宝莱山古墳 (大正15年4月)
夜間は入れません。門扉が閉まります。


IMGP4086宝来山古墳の階段



宝莱山の彩雲

IMGP4090彩雲A





木にかかる頭上の「彩雲」は、五分もしないうちに消えました・・

いくつもの古墳の間を巡ったので、少々疲れて宝莱山のベンチで休憩していた時のことです。

作家・三島由紀夫氏のコラム・・「古代の石笛(いわぶえ)」を聴く会が印象的でした。
老生の少年時代、杜や古墳群の冒険では、野鳥たちや精霊との交流に「野鳥の口笛」を吹いていたのです。
(今も呼び寄せていますw)
リタイアした後、「古代の石笛」の音色を確かめました。
正に「野鳥の口笛」でした。


ヒヨドリを呼ぶつもりが、口太カラスのお出ましです。
頭上の赤松に止まりましたので、ひょいと真上を見ると彩雲が現れました。
慌ててカメラを出して撮影したのです。気付かせてくれたのは、カラスでしたw


古代の祭祀に「墓前マツリ」があります・・
シャーマンの巫女が、おマツリを「古墳の主」に捧げるのです。新首長の代替わりの儀式でもある。
古墳には、恐ろしい封印が隠されています。


多摩川台公園古墳展示室-マツリの風景「墓前祭」

*多摩川台公園古墳展示室-「墓前マツリ」


巫女たちは、「精霊」となって古墳を護っているのでしょう。

少年時代、度々体感したのが、ぼんやりした「虹彩の精霊」です。

再会です。。(^^)




天柱石(富山)にてご奉納(石笛奏上)  
https://youtu.be/U92VLCD_Aw4

Mise en ligne le 8 juil. 2011

平成23年6月、「天柱石」と呼ばれる
富山の巨大磐座にて、石笛をご奉納
させていただきました。。