【動画】外国人向けの銭湯の入り方  湯屋(ゆや)の思い出その1  | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

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☆BLOGの話題は、精神世界とリアルな現実世界の話題です。
巡礼の旅で、危機に瀕する日本を感じました。
未来の孫たちへ、「日本人の霊的遺伝子」を繋げる責務が、今の世代にあります。


On the way to enter the public bathhouse,foreign guests
http://youtu.be/fMnb56OLnek



紹介された動画のお風呂屋さんの湯船が赤茶色なのは、地下水が鉱泉だからです。東京周辺では、深い井戸だと鉱泉に当るのです。
汚れた湯ではありません。初めての地方からのお客さんは驚かれます。




湯屋(ゆや)の思い出 


さて・・・思い出です。
下町の家は東京大空襲で焼失しましたが、首都圏にあった風呂屋(一般公衆浴場)は残りました。
大正時代の古い建物です。

小学生の夏休み中は、お盆で帰省する住み込み従業員の代わりに手伝わされました。
廃材と石炭が燃料です。まだ重油バーナーの普及前の戦前からのやり方。

釜入れ用に切断する作業は難儀な事でしたので、帰省前、大量に広い敷地に材木を山積みしてくれました。火力が強い石炭は、値段が高いので、お客さんが立て込んだ時しか燃やしません。

子供でしたので、山積みの材木は遊ぶのには宝の山でしたね。
コンクリート造りの釜場(2間X2間)までは、リヤカーに積んで運びました。
石炭置き場は釜場の外で、取り入れ口と連結していました。石炭は重いので、蒸気機関車が石炭車から取り込むような仕組みと同じです。


高学年になるまでは、祖父が最初の火入れをしました。
オガクズと新聞紙で火をおこし、小さな材木をくべます。火が盛んになったら太い材木を次々と放り込みます。
湯槽の温度計が高温(60度)になると、私の役目です。材木を補給していくのですが、煙突が低かった頃は灰を掻き出しながらの作業。
高いコンクリート製の煙突に替えてからは、多くの灰は煙道を通って灰溜めに集まるので少なくなりました。

湯槽の上は10cm程の分厚い板で冬場は暖かい。寝転びながら本を読んでいました。
時々、温度計の赤い目盛りをチェックしていますが、本に夢中で忘れてしまいます。
気づくと慌てて、釜場へダッシュです。
熱い風呂好きの年寄りのお客さんに、「ぬるいぞ~」と叱られる。(^^;


突発な事もあります。
気持ちよくなった赤ちゃんが、ウンチをしたのです。
お客さんからの苦情ですぐならば、水栓を全開して湯船を溢れさして流しますが、その間女湯の入場は待ってもらいます。
最悪、湯船内の掃除と消毒です。男湯の洗い湯は水になります。(男の人たちは穏やかに笑っていました)
湯槽からお湯を流すので、火力の強い石炭と薪を放り込みます。湯船が半分ほど溜まれば入れますが、臭いは残りました。

哀しい事もありました。
店を開ける前、様々な事情の方が裏口から来ます。
警察官に伴われた娘さんもいます。嗚咽していました・・・。




恥ずかしい思い出もあります。
祖父の厳命で、
女衆の休憩の時、湯銭を頂く番台をやらされました。
(さすがに2年生になる頃は逃げましたね)

★基地の米兵は、断っていました。



*その2へ続く予定です。