戦後の教育では、多くの戦争の実相が隠されました。
戦った相手の米軍人たちの証言も、戦後の若者たちの目には届かないように操作されました。
タッポーチョ―「敵ながら天晴」大場隊の勇戦512日 長編記録小説 (1982年)
著者ドン・ジョーンズ 中村 定(訳)
が原本(絶版)とされています。
若い頃、フォックスと呼ばれていた大場大尉の戦場(サイパン)での手記を読んだ記憶があります。(余りに酷い内容なのでブログには載せられません)
硫黄島の老兵と若年兵主体(敢闘しました)と違い、サイパン島は若い現役兵が多い部隊とされています。
しかし日本の委任統治領でもあり、*日本の民間人が多数残っていました。犠牲者の多い島です。
欧州派遣軍の帰還兵と太平洋戦線に従軍した元米兵からの印象は異なります。
戦後、
島伝いの陸上戦闘に関わった米帰還兵は、自分たちの子供たちにも語らなかったと言われます。
他の帰還兵の集まりと違い、彼らは来ないのが普通でした。
彼らは、軍人の *捕虜を捕りませんでした。(民間人も保護していません)
戦争が終わり、
残存部隊は、隠しておいた軍服・軍装で隊列を組みジャングルから出てきたと云います。
戦後、戦場の実相が隠され、
「弱兵」の様子のみを殊更歪んで見せられました。
残存した大場部隊の「強兵」は47名です。
日本側の大場栄大尉の手記と、米側から描いた(元海兵隊兵士の著者ドン・ジョーンズ氏)映画を観たいと思っています。
65年目で両者が、自分の中でシンクロしました。
短稿でした。
*日本の民間人
欧米の植民地政策で奴隷売買・医療・教育のない南洋群島を日本統治下に委任されたので民間人として教師や医師・看護婦も派遣されました。
奴隷売買を禁止して、教育機関、法務など全ての日本システムを持ちこみました。
*捕虜
米軍の情報収集の為にのみ捕虜にしました。他の群島でも同じでした。